「お母さん!」 由季は言えに帰るなり、大声で叫んだ。 「お母さん、どこー?」 台所よ〜と、どこか気の抜けた声が響く。 ばん!と勢いよく扉をあけてリビングを突き抜け、キッチンの入口へとたどり着いた。 「お父さん、帰ってるの!?」 「おかえりなさい」 オーブンから甘い香りが漂っていて、母はミトンを手に取りながら言った。 「お父さんは今タイに出張中よ?どうしたの?」 「え、タイ?イタリアとか言ってなかったっけ・・・?」 「さあ?だって片野さんがそう言ってたんだもの・・・人件費がどうとか・・・難しくて忘れちゃったわ♪」 オーブンから鉄板を取り出す。ふぞろいに並べられたクッキーが、こんがり良い色に焼けている。 今日はクッキー作ってたのか、とぼんやり見ていたが、はっと気づいて更に聞いた。 「そうだっ!片野さんて人!お父さんの秘書でしょう?私の学校に車で迎えに来たんだよ、すごく恥ずかしかったんだけど!」 「あら、楽じゃない」 「公立高校なんだよ?いないよ、そんな人・・・片野さんにはすぐ帰って貰ったけどさ・・・」 「お父さんも心配だったんじゃない?高校から普通の公立に通うなんて・・・」 由季は眉間に皺をよせた。 「嘘よ」 信じられない。信じたいのに。 「前の学校に通ってたら、そのまま進学出来たけど・・・公立を受験するって言った時、何も言わなかったわ」 父に高校受験のことを話した時、そうか、と一言呟いただけ。書類等を整理しているばかりで由季には一度も目を合わさなかった。 母は何も言わず小さく息を吐いた。 「・・・はい、おやつ♪」 小さな花柄の器に出来たのでクッキーを入れて渡される。 「お父さんのこと・・・悪く言わないで、ね?言葉足らずなところあるし・・・今からお茶入れるから、先に服着替えてきなさい」 由季を優しく諭し、台所から追いやる母に何も言えずに従う。 お母さんも、お父さんとだれくらい話してないんだろう・・・。 由季に映る母の笑顔は、いつもどこか淋しげだった。
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