「いらっしゃいませっ!」 自動ドアをくぐると、女性店員のにこやかな笑顔に出迎えられる。それまでカウンターで仕事をしていたのに、わざわざ立ち上がって頭を下げてくれる。 なんとなく気恥ずかしくて、店内を見回すフリをして視線をそらした。外の窓ガラスもそうだったが、店の中にはさまざまな物件情報がところ狭しと貼られていた。 「この店には初めてですよね?」 「あ、はい、一名です」 そんなことは聞かれていない。 緊張を悟られないようにポケットに手を突っ込んだ。 「どうぞ。こちらへお座りください」 通されたイスに座る。小さなカウンターを挟んで、彼女と真正面で向き合う形となった。 「それでは簡単にご説明させていただきますね」 イスに座りなおし、彼女は慣れた口調で話し始めた。 「こちらではお客様がお持ちになったさまざまなお悩みやご希望、ご要望をお聞きしまして、その条件にそった物件をご紹介させていただきます」 彼女の癖だろうか。流暢に話している間、彼女の手の中でボールペンがありえない速度で回転していた。ペン回しではなく、あくまで転がすようにペンを回すだけだから別段失礼ではないが。周りの空気を吸い込みそうな回転速度とそれを行う細く白い指のギャップに、視線が釘付けになった。 「それで、今日は何かご希望はありますか?」 会話の手順がこちらへと移る。あんまりテンポがいいものだから、しばらく自分に質問が投げかけられたことに気がつかなかった。 「え、あ、はい! あのですね、特に、これといって」 急速に顔が赤面していくのがわかり、意味もなく頭をかいた。 「ただ来年で俺も二十五歳になるんで、その……何かやるなら、何か変えるなら来年かなと思いまして」 必死にここへやってきた理由を話すと、女性はそれでいいんです、と何故か嬉しそうな顔をした。 「では一緒にお客様にあった物件を見つけていきましょう。お仕事は何をなさっているのですか?」 「デザイン会社で働いています」 「ひょっとして○○とかだったりして?」 「あ、はい、そうです」 自信なさげに答えると、対照に彼女はオーバーに驚いてみせた。 「まぁ! すごいじゃないですか!」 「別にすごくなんか。普通に試験をして、普通に面接をやっただけです」 まるで普通に入っていない人の言い訳みたいな文言になってしまった。 「それでお仕事の方は順調ですか? 同僚の方とはうまくいっていますか?」 「はい、その点で特に困ったことは。ただ……上司から来年のスマートフォンのデザインコンテストに応募してみないかと言われていまして」 「素敵じゃないですか。応募されてみては?」 「いや、どうなんでしょう。俺なんかがそんなものに応募しても……」 「応募するのに『〜だから』なんてことはないですよ。大丈夫です、ダメでも落選するだけですから。応募しちゃいなさいよ、YOU!」 ジャニーズ? 「仕事面はなんだか楽しそうなことになりそうですね」 「はぁ、そうでしょうか……」 可愛らしさとは裏腹に適当なことを言う。 不安な俺を尻目に、彼女はニコニコしていた。 「私生活の方はいかがですか? 何かを買いたい、何かをやってみたいなどはありますか?」 「うーん、特には……あ、温泉とか懐かしいですね。もう何年も入っていないけれど」 「いいじゃないですか。私も温泉大好きなんですよ。草津、白樺などなど。時間をとって温泉旅行に出かけてみてはいかがですか?」 「でも、どこも遠いですし……」 「大丈夫です。みんな陸続きですから」 「でも、一人で行くのはちょっと……」 「大丈夫です。男はつらいよも一人旅でしたから」 どんどん『大丈夫』の信頼性がなくなってきているような気がする。 「どうなんだろう、そんなんでいいのかな」 「大丈夫です。そう言っておけば大丈夫ですから」 怪しい宗教みたいだ。 「私生活の方も見つかって、他に良くあるのは色恋沙汰とかですかね」 平成の世にまだそんな言い回しを。 「人を好きになったりしますか?」 ずいぶんスタートラインが後ろだな。 「もちろん。俺にだって好きな人はいます」 「まぁ、素晴らしい!」 大きな拍手される。むしろそんなことされると恥ずかしい。 「そもそも、なんで俺に彼女がいないこと前提で話が進んでいるんですか」 「だっていませんよね?」 「い、いませんけど……」 頑張れ俺。 「彼女さんがいらっしゃる方はこちらから話を振らなくても勝手にその手の話を出しますし、そもそもこんなところに来ませんから」 そう言われると、確かにそうかもと思う。しかし店員自らこんなところに、とか言わないでください。 「それより、どんな方なのですか?」 「え?」 「お客様の好きな人です」 思春期まっさかりの女子高生のように、目をキラキラさせて食いついてくる。 「ど、どんなのって……」 俺は視線を泳がせる。 「髪が長くて、顔が小さくて。華奢で小柄だけど、制服がよく似合う人で。明るいというか、なんか風みたいに奔放で。人の恋バナに子供みたいに目をキラキラ輝かせるような」 つまり目の前にいる彼女だった。 「身近な人なのですか?」 「はい、今ものすごく近くにいます」 「では来年はその方に告白を考えているわけですね。素晴らしい、感動しました!」 自分のことともいざ知らず、総理みたいなことを言う。 「わかりました。それらを踏まえまして、お客様にご提案する物件は……」 うんうん頷いて、ボールペンをカウンターに置いた。 「ありません」 「はい?」 店内が凍りつく。 「というと御幣がありますよね。正しくは、ここにはありません」 なにかのなぞなぞみたいだ。 「あの……どういう意味ですか?」 「お客様がお話しくださったことは、すべからくお客様の未来です。それはここに用意された予定調和みたいな、誰かに用意されたものなんかとは違う。お客様が望み、お客様が欲しがった未来です」 今までとは違う真剣な眼差しで、彼女は言葉を続けた。 「今話してくださったことはどこかからやってきたり、まして突然降って湧いたりしたものではありません。ずっと前からお客様の心の中にあって、願われてきた未来。変な言い回しかもしれませんが、元から在る未来なんです。でも今のままでは、それはただの形のない偶像でしかありません」 凛とした声に、心の底で沈んでいた光が浮力を取り戻していくのを感じた。深遠な心の海を、海面へ海面へと浮上していく。 「ですから、ぜひ結果の如何を問わず、力の限り実践してみてください。大丈夫、その気になれば、何でも叶います。でもその気にならなければ、何も叶いません」 そして彼女は言葉を切り、目をつむる。 「どうかお願いです。願いを、幻にしないでください」 俺はカウンターに手を突き、無我夢中に立ち上がっていた。 頭の中が真っ白になりながらも、必死にただ一言を探し出し、叫んだ。 「お、俺……あの…………あなたのことが好きです!!」 店中に響き渡る大声で、彼女に告白した。 「…………」 彼女は答えなかった。 代わりに、今日一番の笑顔を見せてくれた。 「また来年きてくださいね」
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