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作品名:To me 作者:てっちゃん

最終回   To me
『――…ザッ……あの……聞こえ…ザザッ……聞こえてく……』
 ノイズで言葉が途切れる。雑音に混じって、ときおり荒い息遣いも聞こえてくる。
 恐る恐る出てみた電話は、どこかのB級ホラー映画のような内容だった。
 携帯電話の利点は誰からの着信か表示される点だが、それが表示されないとかえって電話に出ることを躊躇わせる。俺の場合、基本的に名前が登録されていない、あるいは非通知設定のものには出ないことにしている。その手のトラブルに巻き込まれるのはご免だから。
 そんな俺をして電話に出させたのは、その着信が五秒に一回のハイペースでかかってきたからだ。何かの間違い電話にしても、さすがに迷惑すぎる。
「……もしもし、どちらさまですか?」
 話しかけてみると、ひと際高い機会音の後でノイズが去った。
『聞こえますか! 監視センターっ!!』
 代わりに飛び込んできたのはとんでもない勘違いだった。一つ言えることは、電話の向こうの人間はかなり焦っている。
「あー、間違い電話ですね。それでは――」
 それだけ言って電話を切った。何が嬉しくて平穏なお昼の時間にそんなヒステリックな電話に付き合わなければいけないのか。間違いだとわかればすぐにかけてくるのを止めるだろう。向こうに間違いだったと認識する冷静さがあれば。
 ブルブルブル、ブルブルブル……。
 冷静さはなかったようだ。
 三度同じ番号から着信が入る。ため息を一つ、電話に出た。
『よかった、繋がった。いい加減にしろよ! バカッ! 切るなよ!!』
 お前がいい加減にしろ。なんてことは口にしない。こういうところで、冷静さをちょっとアピールしてみる。
「えーっと、先ほどからの方ですよね? まことに残念なんですが、こちらは監視センターではございません。ご愁傷さまです」
 最後のは精一杯の嫌味だ。
 一転、電話の向こうがピタッと静かになる。表現するとちょうど「…………」みたいな。長考にでも入ってしまったのか。こっちには通話料金が発生しないからいいのだが。
 しばらくして、電話の向こうが再び口を開く。
『……あぁ、そうか。そういうことか――』
 勝手に納得していた。情報の開示を求める。
『絶対エレベーター乗るなよ。いいか、絶対だぞ。乗るな、乗るなよ?!』
 そう言い残し、電話は切れてしまった。
 なんだこれ? 振りか? リアクション芸人が熱湯を前にして言うあれか?
 この場合、俺はどうするべきなのだろうか。
 エレベーターに乗るべきか、いや乗らない。
 どこの誰かもわからないやつのネタ振りに付き合う気はさらさらない。
 じゃあ忠告を聞き入れるかというと、それはまた別の話。あんないたずら電話を気にする必要はない。だいたい俺はもともと階段派だ。階段は重要な運動源だし、各駅停車みたいにしょっちゅう止まるくらいなら階段を上がった方が断然早い。何よりあんな小さな閉鎖空間では、何が起きるかわからない。変なトラブルに巻き込まれるのはご免だ。
 念のため着信履歴から削除しておく。
 携帯電話をポケットにしまい、午後の授業のためにラウンジから移動した。結局昼食はおあずけということになってしまった。
 教室に入った頃には、もう電話のことなんてすっかり忘れていた。


 最後の授業を終えて、大学を出る。徒歩五分の駅の改札を通り、ホームで下り電車を待つ。地元までは電車で一時間。地元の駅について、そのまま駅デパートの本屋に立ち寄る。デパートを出た後は、駐輪場に止めてある自転車に跨って家に帰る。
 何も変わらない。
 全てがいつも通り。
 言ってしまえばここまでが一連の流れ。
 通学なんてルーチンワークと一緒だ。特別な用事がなければ大学が終わって家に着くまでの行動は変わらない。電車は決められた線路を走るし、わざわざ違うルートに変える必要性も必然性もない。自転車に乗れば習慣であるかのようにペダルを右、左、右、左と漕いで、決まった角を曲がってゴールを目指す。
 何も、変わらない。
 マンション脇の駐輪場に自転車を止めて、エントランスに入っていく。わりと設備が整っているうちのマンションは、地域でもそれなりに大きい部類に入る。パネルに暗証番号をタッチして、オートロックのガラス扉を開ける。足元が乳白色のタイルに変わる。一階のホールはマンションの共同スペースになっていて、ソファーや自販機が置いてある。フロントの管理人に軽く会釈して、ホールを通り過ぎる。
 習慣とは恐ろしいものだ。
 そのときの俺は一階に止まっていたエレベーターを見つけると、反射的にダッシュしてそれに乗り込んでいた。マンションは38階まであるから、見逃してしまうと多かれ少なかれ待たされることになる。階段派の俺もさすがに30階まで歩く気にはなれないし、ならない。
 30階のボタンを押して扉を閉める。ふわっと体が浮くような感覚がして、箱が上がっていく。壁の鏡に寄りかかって、一息ついた。後は30階について扉が開いて、鍵を開けて家に入るだけ。頭の中はすでに帰ってから何をしようかに切り替わっていた。
 ここまでがあまりにいつも通りだったから、その衝撃は瞬時に俺を現実に引き戻した。
「!? ――えっ? ……なに? …………なになになに?」
 鈍い揺れが箱の中に伝わる。心地よい浮遊感が一転、恐怖体験に変わる。次いで天井の電気が数回点滅し、揺れは治まった。
「おいおいおいマジかよ……」
 エレベーターは完全に止まっていた。揺れ方からして、たぶん地震とかの災害ではないと思われる。非常灯に切り替わらないことも、電力に異常が起きていないことを物語っている。
「ご免してくれよっ!」
 正しくは「勘弁してくれよ」だが、頭が回っていない。
 扉の上の表示板を見る。どうやら19階と20階の間で止まってしまったらしい。二つの階のボタンを押してみるが、もちろんダメ。
 閉じ込められた檻の中でひたすら右往左往する。生まれて初めて頭の中が真っ白になった。きっと空白という意味での真っ白だ。
 頭が働かなくて、扉をこじ開けようとしたり、天井を突き破ろうとしたりしてみる。かなりパニックを地で行っていた。
「……はっ、そうだ! 助け、助け呼ばなっ!」
 その発想に辿りついたのも停止後15分経ってのことだった。
 階数ボタンの下の開閉ボタンのさらに下。黄色い電話のマークが入ったボタンを連打する。
「繋がれ繋がれよおい繋がれってば……っ!」
 一向に繋がる気配がない。電気も切れてないのに非常ボタンだけ使えないとはこれ如何に。
 ボタンを潰す勢いで拳を振り上げたところで、体が止まる。
【非常時はこちらのボタンを長押しして下さい】
「…………そ、そんなの知ってるよ。今やろうとしていたところだったのに」
 ここまでが長い独り言。
 咳払いを一つして、黄色いボタンを押す。それでも中々繋がらなくて、人差し指の色が変わるくらい長押しする。
「どうなってんだ誰か出ろよっ!」
 イライラと焦りが混在して、場は一触即発な雰囲気になっている。
 ふいにスピーカーの奥から、ポーンという機械音がなった。
「キタ! もしもし、聞こえますか! おーい、聞こえますか!!」
 必死に叫んだが、反応がない。それでも叫ぶのを止めなかった。ここで叫ぶのを止めたら、俺は大切な何かを失ってしまう気がした。主に身の安全という意味で。
「聞こえてくれ! 頼むから! 聞こえてくれよ!!」
 するとスピーカーの向こうからぼそぼそっとした声が聞こえてくる。
『……もしもし、どちらさまですか?』
 緊急事態には不釣合いな、かなり危機感のない声だった。
「聞こえますか! 監視センターっ!!」
 ようやく掴んだ藁に必死にしがみつく。
『あー、間違い電話ですね。それでは――』
 通信が途切れる。藁は一瞬で消し飛んでしまった。
 非常ボタンを蹴飛ばすと、再び向こう側と繋がる。
「よかった、繋がった。いい加減にしろよ! バカッ! 切るなよ!!」
 冷静さなんて糞くらいだ。
 ため息のようなものが聞こえたかと思うと、音声が入ってくる。
『えーっと、先ほどからの方ですよね? まことに残念なんですが、こちらは監視センターではございません。ご愁傷さまです』
 その言い草に文句の一つでも吐き返してやろうとしたところで、ピタッと体が止まる。
 その言い草に聞き覚えがあった。
 いや、もっといえば言い覚えがあった。
 誰かとこんなやり取りをした記憶があった。
 そう考えたとき、鱗が落ちるようにサッと昼の会話が思い出される。

 ――絶対エレベーター乗るなよ。いいか、絶対だぞ。乗るな、乗るなよ?!

「……あぁ、そうか。そういうことか――」
 呟いて、よろめく。額に手を当てて、天井を仰ぐ。
 きっと今向こう側は、料金が発生しないからと余裕をかましているはずに違いない。
 未来がわかれば、予知ができれば、運命は変えられるなんてのはただの勘違いだ。
 実際は何も変わらない。変えられない。
 未来に起こることがわかっても、現実にまだ起きていない先のことなんて誰も信じやしない。
 トラブルに遭った本人が本人に伝えたって、ダメなのだから。
 結局、運命を変えることなんてできないんだ。
 放心したままスピーカーに顔を近づけ、
「……絶対エレベーター乗るなよ。いいか、絶対だぞ。乗るな、乗るなよ?!」
 とっておきのアドバイスをした。
 ざまぁみろ俺……。
『――――まぁ、安心しろ。今度は俺が助けに行ってやるから』
「はっ?」
 新たなアドバイスを残し、通信は途切れた。


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