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作品名:一人かくれんぼ 作者:てっちゃん

最終回   一人かくれんぼ
 ドアが浮かんでいた。何色も交わらない、真っ白な世界に。壁に埋められているわけでも敷居に置いてあるわけでもなくて。ただ目の前に浮かんでいた。木肌が色あせてくすんでしまった、そんなドアだった。
 不思議そうに眺めていると、ふいに後ろから声をかけられる。
「どうした? そのドアに興味があるのか?」
 振り向くと、世界に溶け込んでしまいそうな若い男がいた。強烈な印象の白いタキシードを、折り目正しく着こなして。優しく微笑みかけるその顔は、ニヒルな青年の嘲笑というよりも、どこか年季を重ねた老人の朗笑のようだった。全てを見透かしているというか、包み込む温かさがそこにあった。
「いや、なんとなく。どこに繋がっているのかって」
 手を後ろで組み、嘘偽りなく、思いついたままそう答えた。
 真っ白な世界のせいで浮かんでいるように見えるドアは後ろも前もないから、どこも閉じていない、どこにも繋がらないように見えた。つまりはドアとしての機能を果たしていないのではないかと、そう思った。
「なるほど、確かにそう見えるな。うん、見える見える」
 男はうんうんと頷いて、ドアをのぞき見る。胡散臭いというか、初めに抱いた印象をチャラにするような態度だった。
「でも、もしこの先に通じる世界に答えがあると言ったら、君は興味があるかい?」
「えっ?」
 再び投げかけられた質問に、思わず聞き返す。いやドアなのだからその先に別の世界があるのは当たり前だ。俺が聞き返したのはなんの前フリもなく登場した言葉だ。
 答え? 答えって?
「なんのことだ?」
 当然の疑問を投げかけると、男は新しい遊びでも思いついたように指を鳴らす。
「ゲームをしないか? ルールは簡単、かくれんぼさ。子供のときやったろ? 君が鬼で、ある人物を探し出す。探し出すのはこの男」
 そう言って、胸ポケットから一枚の写真を取り出す。そこに写っていたのはクリーム色の学生服に身を包んだ、一人の男だった。伸びた前髪から、特徴的なツリ目が覗く。上半身しか写ってはいなかったが、男性としては細身な体つきだった。パッとしないというか、なんとも冴えない男だ。
「こいつを見つけ……って、ん?」
 写真を見つめていると、不思議な感覚に包まれる。
 ――俺は、こいつのことを知っている?
 コールタールに湧く泡のように、そんな確証もない確信が浮かび上がった。
「タイムリミットは60分。それまでにこの男を見つけられれば、さっき言ったように君は答えを見つけるだろう。見つからなくても君が支払うものはなにもない。しいて言えば今まで通りってことだけ。ほら、君が負うリスクは何もない」
 手をヒラヒラさせて、無害であることをアピールする。
 リスクを背負うことはない。そんなうまい話に誰が首を突っ込むかと思ったが、ふと受けてもいいかななんて、そんな衝動が沸き起こった。
 男が言うには、負けても俺はただ今まで通りなだけだから。
 そして、このゲームを受けなくても、俺は今まで通りなだけだから。
「いいぜ、そのゲーム乗った」
 そう答えると、男は満足したように笑った。
「そうこなくっちゃな。さぁこちらへ」
 ドアの前に並んで立つ。胸の鼓動が少し早まる。
「一つ、アドバイスをあげよう」
 俺の肩を抱え、ドアノブに手をかけたまま男は話し出す。
「答えはいつだってすぐ近くにある。しかし見ようとしなければ、見ることはできない。肝心なのは、目を背けないことさ」
 ゆっくりとドアが開く。
 溢れる閃光に目を閉じた。


 次に目を開けると、俺は校舎の前にいた。そこは俺もよく知る、俺が通う高校だった。
 工の字に学生棟と教員棟が連絡通路で結ばれた校舎。連絡通路から正門に向けて階段が伸び、登ったところに下駄箱がある。校舎の先には運動場が広がっていて、200メートルのトラックと、その脇に野球場やサッカーコートがある。
 確かに思い返してみれば、あの写真に写っていた学生服はうちのものだった。あの既視感はこれか。
 でも紛れもなく俺が通う高校なのだが、どこかが、何かが違っていた。
「っと、こんなことしている場合じゃなかった。早く探さねぇとタイムリミットが」
 探索範囲が校内に絞られたとはいえ、全部を探し回るとなるとそんなに時間的余裕はない。ましてタイミングよくその人物を見つけられる保障もない。
 下校時間なのか、正門に向けまばらに生徒達が階段を下りてくる。それらをかき分け、校舎内へと入っていった。

 すぐに見つかるとは思っていなかったが、まさかこれほどとは。走っても走っても、目に付くのは見当違いの顔ばかり。まるで多量のパズルピースから、適合する一枚を探し出している気分だった。
 走り続けた足が、悲鳴を上げている。オーバーヒートした肺が、新鮮な空気を求めている。
 倒れこむように、重たい鉄の扉を押し開けた。
 斜光の洪水が、俺の体に押し寄せる。
 3階の学生棟と教員棟を繋ぐ連絡通路。外に出るこの場所で、手すりに寄りかかって休んだ。探し始めてからちょうど30分。1階から4階、4階から1階へ学生棟と教員棟を往復して。部活動に勤しむ生徒を横目に運動場をぐるりと一回りして。思いつく校内の全ての場所を回ってみたが、それでも探し人は見つからなかった。
「はぁ、はぁ……細身で制服姿だったから、運動部じゃないよな」
 首だけで、後ろに広がる運動場を仰ぎ見る。
 もし帰宅部だったらなんて不安が頭をよぎったが、それじゃそもそもゲームにならない。
 あの男を信じて、この学校内を探すしかなかった。
 しかしいかんせん有力情報が少なすぎる。
「ちくしょう、なんで俺があんな無気力そうなやつを探さないといけないんだ」
 誰に向けるでもなく、そんな文句が飛び出た。文句の一つくらい言っても罰は当たらないはずだ。何も失わないどころか、俺は労力を支払っているのだから。うまい話なんてやっぱりなかった。
 再び校舎に顔を戻す。
 初めに抱いた違和感はすぐにわかった。
 異変は二つ。一つは窓。学校中の窓という窓が取り外され、校舎は吹き抜けになっていた。最高の風通しを求めた逆転の発想とでも言えば、聞こえはいいか。それに付随するように、トイレとかにあるはずの鏡もなかった。それらが意味するところは、知る由もないが。
 もう一つは人。無遠慮に進んでくる生徒を、初めは戸惑いながら避けていた。でも聞き込みをするために声をかけたとき、その理由はなんとなくわかった。彼らには俺の姿が見えていなかった。姿が見えていないというか、存在に気づいていないというか。彼らにとって俺は、存在しない存在と同じだった。
「ちくしょう……」
 焦りを覆い隠すようにまた愚痴る。
 何でこんなことをしているのか。俺は何にイラついているのか。そもそも俺は、誰を探しているのか。
 ひざを叩いて、再び校舎へと入っていく。
 夕暮れに染まる校舎内には、もう生徒の姿はほとんどない。誰もいない教室と、机だけが取り残されていた。
 乱暴にドアを開けながら、一つひとつ教室を確認していく。でも結果は同じ。どの教室にだって、探し人はいない。
 腕時計に目をやる。タイムリミットまで残り10分。もう一度校内を回る時間はなかった。
「あーやめだやめっ」
 近くにあった席に腰かける。ラクガキだらけの机に足を乗っけて、力を抜いてだらりと仰け反った。
 相変わらず、俺は何をやってもうまくいかなかった。要領が悪いというか、空回りしてばっかりというか。高すぎる理論値を求めているわけでもないのに、せめてもの期待値も出せずに終わる。期待や責任。そういったものを一身に受けて努力するのに、いつだって聞かされるのは落胆の言葉ばかり。

  なんで お前はいつも
                     思ってのと違うね がっかり
         もっと できると思っていたのに

 だから、手を挙げることをやめた。自らハードルを設けることも、自ら責任を負うことも放棄した。どうせ越えられないなら、困難に立ち向かう必要はない。どうせ応えられないなら、期待を背負う必要もない。その場その場の適任者が、うまくやって丸く治めればそれでいいじゃないか。その方がずっと効率的だし、被害が少なくて済むし、何より楽だ。
 俺がやる必要なんてない。
 ……必要なんて、ないんだ。
 ふと黒板の上に取り付けられた時計が目に入る。タイムリミットまであと5分。
 ゲームが終わる。俺の負け。
 でも失うものは何もない。
 今までと何も変わらない。
 何も、変わらないだけ。
「――あぁ! なんなんだよ!!」
 苛立ちを抑えきれず、机を蹴飛ばして立ち上がる。頭は納得しているのに、体が落ち着かない。さっきからずっとそうだ。やりきれないというか、不完全燃焼というか。出したいものを出し切れていない感じで、喉元がずっと熱を帯びている。
「どうしたらいいんだよ! どうしろってんだよ!!」
 誰にでもなく、天井に叫んだ。そうしないと、湧き上がる熱いものに体が耐えられなかった。
 そうして天井を仰いだとき、あることを思い出した。まだ一箇所、行っていないところがあった。校舎の裏手。小さな林を越えた先にある、誰も近づかない場所。
 考えるより先に、足が出ていた。

 林の中で、そこだけはドーム状にすっぽりと隙間があいていた。木々の葉が天井を塞ぎ、そこから朱色の光線がいくつも射し込む。中心にはどこかから沸く水が小さな泉を作り出し、誰にも触れられることなく、水面をゆらゆらと揺らしていた。
 こんなところに来るのは久しぶりだ。一度肝試しで足を運んだとき以来だ。
 同じ学校の敷地内にいるはずなのに、ここだけ外の世界と隔離されているんじゃないかって思うくらい、静かだった。聞こえるのは自分の息切れと、ときおり葉を揺らす風の音くらいだった。
 そんなところだから案の定というか、探し人はおろか人っ子一人見当たらない。当たり前か。こんなところに、好き好んで足を踏み入れるやつなんていない。
 タイムオーバー。
 ま、この結果もいつも通りか。
 結局、成果も収穫もなし。それは今までとまったく同じ終わり方だったが、不思議と悔しさや虚しさはなかった。やれることはやった。誰のためにでもなく、自分のために。それが、それだけが、これまでとは違っていたから。結果は伴わなかったけど、これもしかたがないかって。
 ただゲームや徒労を忘れたい一身で、泉に歩み寄った。
 そのときだった。
「えっ?」
 俺は一瞬目を疑った。いや、そのあまりにも唐突な出会いにうまく反応できなかった。
覗き込んだ水面、そこに映っていたのは――伸びた前髪から覗く特徴的なツリ目。男性としては細身の、パッとしない冴えない――俺だった。
 息を呑んだ。しゃべることも息をすることも忘れて、口をパクパクさせた。
 そこにいたのは俺であって、写真の男であって、探し人だった。
 どういうことだ?
 混乱していると、ふいに誰かに肩を叩かれる。
「やぁ、ようやく見つけたんだね」
 肩に手を差し伸べて、白いタキシードの男が隣に佇んでいた。いつからそこにいたのか。
「これ、これは……」
 俺はまだ頭の整理がつかず、しどろもどろになる。
「言ったろ? 答えは、すぐ近くにあるって」
 いたずらが成功した子供のように、男は満足げな笑みをこぼした。
「灯台下暗し、ってやつだな」
「こんなのインチキじゃないか。俺が、俺を探していたなんて」
 なぜあの写真を見たときに気がつかなかったのか。なぜ学校から反射させる類のものがないとわかったときに気がつかなかったのか。なぜあの理由のわからない苛立ちを覚えたときに、気がつかなかったのか。
「……簡単か」
 俺が、目を背けていたからだ。
 心のどこかで、自分じゃない、自分なわけないと思い込んで。勝手に答えは別のところにあるんだと決め付けて。余所に答えのはけ口を求めて。自分の中にある答えを遠ざけた。
 見つかるわけない。はなから答えじゃないと、見向きもしなかったんだから。
「そう。初めからそうじゃない、こうじゃないと決め付けるのはただ答えを狭めるだけだ。本来答えなんてものは、どこにでもあるはずなのだから。ともすれば、自らを否定することも善い行いとは言い難いな。成果をあげる、期待に応えることは確かに素晴らしいよ。でも、もっと素晴らしいことが世の中にはある――」
 肩に回した手を引き寄せ、並んで水面に向かい合う。
「君は、ここにいるじゃないか」
 隣に咲く、満面のどや顔。
「誰かの役に立とうなんてのは確かに大義名分だが、それだけが生きる根拠なんてのは悲しいじゃないか。ただ君がいてくれること、君が生き続けてくれることがどんなに素晴らしいことか。そのことから、目を背けないでくれ」

  どうか 過去を捨てないで
  どうか 未来を拒まないで

 説教じみたことを言ったかと思えば、今度は頭を下げてお願いする。見ず知らずの人間に、この人はなんでこんなに必死になれるんだ。
「あんた何? 神様か何か?」
 そう聞くと、男は人差し指を立てて、秘密と合図した。
「その方が夢あるだろ?」
 確かに、と俺たちは並んで笑った。
 林の中を風が翔る。清清しい気分だった。久々に誰かのためにではなく、純粋に自分のために頑張った。
 こういうのも悪くないかって、そう思えた。
「負けはしたけどな」
「いや、負けてなんてないぞ?」
 男は飄々と続ける。
「はなから勝ち負けなんてないさ。言ったろ? 答えが見つかるか、これまで通りなだけかって」
 言ってシッシッシと笑う。つられて笑う。まったく悔しいくらい、気持ちのいい笑い顔をするやつだ。
「ぁ、今の、いい顔してたぞ」
 言われて水面を覗く。そこに映っていたのは写真の男なんかじゃなくて、混じりけのない生まれたままの笑顔だった。
「その笑顔、忘れないでくれな」
 温かな閃光に包まれ、眩しさに目を閉じた。

 次に目を覚ましたとき、俺は自分の部屋の机に突っ伏していた。
 目の前にあるのは明日提出の進路調査票だけ。
 そこにはもう、タキシードの男もツリ目の男もいなかった。


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