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作品名:カゴメ籠目 作者:てっちゃん

最終回   カゴメ籠目
 カーゴメ カゴメ カーゴノ ナーカノ トーリハ――

 周りを囲む、お面を被った子供たち。手を繋ぎ、僕を中心にくるくると回っていた。その輪の中でしゃがみこみ、ただその流れる歌と映像だけを眺めていた。

 イーツ イーツ デーヤル――

 ここで僕は何をしているのか。大事な用件があったような。あ、いや、違う。大切な何かがあったような。思い出せない。

 ウシロノショーメン ダーアレ?

「――そうだ、行かなきゃ」
 立ち上がり、子供たちの輪の手を振り切る。止まった輪のお面たちから、一切の視線を浴びる。でも僕は振り返ることなく、早足に立ち去った。
 結局、後ろの正面が誰だったかなんて、わからなかった。


  カゴメ籠目


 『かごめかごめ』――参加者は輪になって手を繋ぎ、その中心に一人鬼役の人間が目を隠して座る。ゲームは地方によっても様々な『かごめかごめ』の歌を歌いながら、輪が鬼を中心にして回る。そして歌が終わったとき、鬼は自分の真後ろに誰がいるかを当てなければいけない。つまり、後ろの正面誰だ? だ。
 僕はあの歌が嫌いだった。どこか閉塞的な、抑圧された印象を持つ歌。開放されること、自由になることを奪われたような、そんな感じがしてならなかった。たくさんの人に囲まれ、閉じ込められ、見下され。目を覆われ、永遠とあの歌が続いていく。遊戯が持つその形態とインスピレーションが、ひどく嫌いだった。
 もう一つ。この遊びを回想したとき、僕は嫌な思い出しか見つからなかった。名前を挙げれば位置を移動され、手と手の間だから不正解とされ。いつまで経っても輪の中から抜け出せず、蹲ったまま。つまり、僕はいつだって鬼しかやったことがなかった。集団に囲まれ、膝をつかされ、目を瞑らされ。後ろから蹴られたり、ゲームの間に文房具を盗まれたり。そんなの、苛めとなんら変わりはなかった。逃げたって拒んだって、中心に据えられる。そして呪いのように、あの歌がこだまする。
 そうしていつしか、もう振り返ることをしなくなった。停滞を、虐待を受け入れてしまえば、もう悲しむことなんてなかった。そうやって自らの内にあるものを次々に捨てていって、軽くなる代わりに空っぽになって。抗えない自分を、自分の中にあるかもしれない可能性を全て否定して。
 そうしてしまえば、もう“僕”という器でしかなかったんだ。


「ただいま――」
 手探りでスイッチを探り当て、玄関の明かりをつける。人が一人入るのがやっとな、狭くて小さな玄関。冷たいタイル張りの床に、無機質な壁が両脇から迫り来る。玄関入って1秒で台所とユニットバスにありつける、チープなまでに機能的な構造の廊下だった。
 その廊下の先には、玄関から丸見えのこの物件唯一の部屋があった。僅か6畳ほどの部屋に、朝日の厳しい東向きの窓が取り付けられている。部屋の上にはカラーテープが張られ、しわしわの衣服が垂れ提げられていた。床にはそこから引きずり降ろされたものたちが山積みにされ、邪魔者のように隅に追いやられていた。
 ホント、いつからこんな風になってしまったのか。
 ベッドに腰を下ろし、背中をフトンに預ける。昔は割ときれい好きな、よく掃除をする性格の人間だった。しかしそれも上京して一人暮らしをするようになって、すっかり変わってしまった。誰が来るわけでもない部屋は、自分が生活するスペースさえ確保されていればそれでよかった。ご飯だってそうだ。自分しか食べる人間がいなくて、それを自分で作らなくてはいけないとなったら、もう作ることなんてなかった。
 きれいなことも、空腹を満たすことも、最良の結果を望まなければ、それでよかったのだ。煩わしいことをせずに済むし、何より楽だったから。
「はぁ……でも今日の空腹は、腹に沁みるな」
 滲み出た涙を袖で誤魔化して、唸るお腹を押さえた。空腹に、心的外傷というものは深く突き刺さる。
 営業報告の最終日。規定のノルマを達成できなかった僕は、見事に間接的な減給を喰らってしまった。
『じゃあ、足りなかった分は自分で買いな。お前だって、報告書に赤点で載りたくはないだろう? 自分のため自分のため』
 そう言われ、帰り際に2万強の貴重な額を支払われさせられた。男の僕が女性向けの化粧品なんて購入して、一体どうしろっていうのだ。
 玄関に投棄した化粧品の袋を見て、改めてげんなりする。あんなものを持ち帰させられるくらいなら、素直に減給をされた方がましだった。
 それに――、
「……自分のためって」
 決して口にすることなんてできないけれど、僕だってこんな仕事に就きたくはなかった。就職活動に失敗して、生きていく目標すらも見失って。なんとか友人の勧めで今の仕事に就いても、ただその日を生きていくことだけに必死で。
 本当に思う。別に、僕じゃなくても、いいんじゃないだろうかって。別の誰かが今のポジションについて、僕はどこかに消えてしまっても、何の問題もないんじゃないだろうかって。きっとその誰かのほうが、もっとうまく僕を演じてくれる。それくらい今の僕は、空っぽな存在でしかなかった。
「あぁ、ダメだ」
 寝返りをうって毛布に顔を埋める。なんだかそうしていないと、また僕は一人ぼっちで、途方もなく涙を流してしまいそうだったから。

 ゴロンッ――

 軽い木の箱が倒れるような音がして、埋めていた顔を上げる。倒れたのは小さなテレビの脇に立てかけられていた、思い出の品だった。
「――そういえば……こんなのもあったな」
 冷たいフローリングに倒れこんだ、茶色いアコースティックギター。しばらく手付かずだったため、その体にはうっすらと埃も積もっていた。手を伸ばすと、空っぽな箱は記憶にあるよりも、ずっと重かった。
「……はは、ひどい音」
 軽く手で弾いてやると、ろくにチューニングもされていなかったギターは調子っぱずれな和音を奏でた。そのひどくずれた音調に、思わず笑ってしまった。まるで、今の自分の姿を投影しているようだったから。

 中学生の頃。変わりたいと願った僕は、アコースティックギターを習い始めた。変わりたいと思って何かを始める、そんなことはあの年頃にはよくあることだった。もともと手先は器用な方だったから、すぐにコードや指使いは身につけることができた。基礎を覚えると、簡単なスコアに手を出した。見知った曲が弾けるようになると、周りの連中からも少しずつ注目された。レパートリーが増えると、恥ずかしいながら弾き語りもやった。
 高校生になってからもギターを続け、友達のバンドに助っ人で参戦したり、路上ライブなんかもやったりした。オリジナルの楽曲も作曲し、文化祭とかの場で披露した。誰かの前で、誰かの視線を浴びる。そんなの小学生のときの僕では到底考えられなかった。
 そうして気がついたら、四六時中ギターを抱きしめていた。

 木目に沿って、茶色いボディを指で撫でる。艶を失ったボディは、フローリングと同じくらい、冷たかった。そしてその端っこには、欠けたような小さな凹みがあった。

 高校二年の終わり頃。路上でライブをしていた僕に、あるスカウトの人が訪れた。なんでも大手レコード会社のスカウトマンで、ぜひ君を東京でデビューさせたいと言われた。その頃、俄かに胸の内でシンガーソングライターの夢を抱いていた。そんな僕にとって、その話は最初で最後のチャンスのように思えた。
 そうして僕は、父親の反対を振り切り上京した。スカウトの人に用意するように言われた、なけなしの20万円を握り締めて。

 低く唸るお腹を強引に抑える。呪いのようなギターの重みが、容赦なく空っぽの腹にのしかかる。押しつぶされそうな重圧、目を背けたくなるような現実。空っぽのギターを、洗濯物の山へと放り捨てた。

 上京すると、せめてもと母親が用意してくれていたアパートへと赴き、そこを拠点に活動した。話を持ちかけてくれたスカウトの人とも合流し、僕はミュージシャンへの道を歩み出すはずだった……はずだった。
 おかしいと思い始めたのは上京してまもなく、彼が二日仕事をすっぽかしたときだった。それまで遅れることはあれど、来なかったためしなんて一度もなかったのに、彼は合流場所へ姿を現さなかった。携帯に連絡しても、「この番号は現在使われていません」のアナウンス音が流れるだけだった。
 一抹の不安を覚えレコード会社に直接電話を入れた。
 そこで初めて、僕はだまされたことに気がついたのだ。
『そんな名前の社員は、私どもの会社にはいらっしゃいませんが』
 目の前が真っ暗になった。彼は僕が用意した20万円を持って、姿を消したのだ。上りかけていた階段が、音を立てて崩れ去っていくのがわかった。奇しくも渋谷のハチ公前で、僕は一人ぼっちになった。手に力が入らなくて、持っていたギターケースを落とした。震える足でしゃがみこみ、何も考えられない頭を押さえ込んだ。

 ――すると どこからともなく あの歌が聞こえてきたんだ

 ――『カーゴメ カゴメ――』

 恐くなり、必死で耳を押さえた。でもあの歌は、僕の脳裏に直接響いてきた。数え切れない人の往来が僕を避け、まるで取り囲む輪のように流れ続けた。能面のように冷め切った人の顔が僕を囲み、顔を上げることさえできなかった。
 そうして僕は全てを失った――信じることも、願うことも。お金も希望も、夢も……。
 何がいけなかったのか。どこで狂ってしまったのか。
 いじめられていたとき? 変わりたいと願ったとき? ギターを習い始めたとき? ミュージシャンを夢見たとき?
 わからない。
 亡失したままアパートへと戻った。そこに残っていたのは、何もない部屋と、空っぽなだけの器だった。


 一際大きな腹の唸りにさすがに限界を感じ、ベッドから立ち上がった。枕元に置いてある目覚まし時計に目をやり、程よい時間であることを確認する。あんな出費の後だから、あまり贅沢なものは食べられない。二段階値引きされた近くのスーパーの惣菜が、今の僕にとって最高のご馳走だった。
 部屋の鍵を拾い、ドアへと繋がる廊下に出ようとした。
 そのときだった――。

 シャラン――

 それは、僕のすぐ後ろから響いた。誰もいない、何も存在しない。山積みの洗濯物と東向きの窓があるだけ。それなのに、そのきれいな和音は、確かに僕の耳に届いた。

「――きれいな音ですね」

 続けて聞こえてきた、誰かの言葉。部屋には僕しかいなくて、言葉を話す存在も僕しかいない。そのはずだった。
 奇奇怪怪な出来事に対する恐怖心と、どうしてか湧き上がった懐旧心に心が揺らぐ。
 後ろの正面――そっと、振り返った。
 ……目を疑った。誰もいないはずの部屋に、一人の男の子が立っていた。年の頃十五歳。童顔の顔に、前髪の少し伸びた黒のミディアムヘアー。校章の付いた紺のブレザーに、灰色のスラックスを履いていた。
 どこかで見た、見覚えのある光景。
 当たり前だ。
 だってそれは、あの頃の、僕だから。
 あの頃の僕が、今、目の前にいた。茶色いアコースティックギターを携えて。
 理解とか把握とか、そういったものが一切吹き飛んでいた。ただただ目の前の光景に、開いた口が塞がらなかった。
 そんな僕を余所に、あの頃の僕は大切そうに抱え込んだギターを見つめていた。いや、事実大切だったのだ、あの頃の僕にとっては。
「あの、これ」
 そう言うと、茶色いギターをそっと手渡してきた。
「こんなにきれいなモノなのに、捨ててしまっていいんですか?」
 怒るわけでも諭すわけでもない柔らかな声で、あの頃の僕は微笑んだ。その微笑が恵みの雨のように降りかかり、沈んだ心に深く沁みこんでいく。
 震える手でギターを受け取った。冷たく、艶を失ったアコースティックギター。あの頃からずっと一緒だった、思い出の品。僕の人生を変えてくれて、夢を与えてくれた存在。
 どうして手放してしまったのだろうか。辛いことがあった、目を背けたくなるようなことがあった。全てを否定して、全てを拒絶する出来事があった。でもこいつに非なんて一つもなかった。本当はずっと昔から、いつも一番近いところで僕と一緒にいてくれたのに。

「――僕のこと、嫌いにならないで下さい」

「えっ?」
 顔を上げると、もう男の子はどこにもいなかった。最後に願うようなその言葉を残し、どこかへ消えてしまった。
 何もない部屋に、僕とギターだけが存在した。
 空腹は、もうどこかへいってしまっていた。
 落ち着かせるように、ベッドに座った。そして記憶を辿るように、覚束ない手つきで弦を弾いた。
 手にしたギターは、さっきよりずっと、軽かった。


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