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作品名:人生取りゲーム 作者:てっちゃん

最終回   後編
 異様な展開だった。本来イス取りゲームとは音楽が流れている間、参加者はイスを中心に円周運動を行うものだ。しかしここの参加者は、もう回ることすらしなかった。周回軌道上に佇み、鬼の形相でただ音楽が止まるのを待っていた。曲が流れている間はイスに座らない、そのイス取りゲームにおける最後のルールだけ遵守していた。
 そのとき、軽やかに流れていた音楽が止まる。次の瞬間、怒涛の勢いで人の波がイスへ向かって押し寄せた。
 その光景は、すでにイス取りゲームではなかった。肩を掴み、後方へと突き飛ばす男。倒れた人間を踏みつけ、我先にと前に出る女。座った人間を殴りつけ、イスを奪い取る男。レクリエーションで行われるようなイス取りゲームの姿は、そこにはなかった。
「きゃっ!」
 激しい争いの中、巻き添えを食って被害にあう人もいた。
「大丈夫ですか?」
「あ、ありがとうございます」
 駆け寄って手をかける。見るからに華奢な女の子は、地面に打ったのか腰の辺りを摩った。
「……あなたはいいのですか?」
 その言葉の指す意味が目の前に在るイスだということはすぐにわかった。
「えぇ、あそこまでして得たいものかと言われれば、甚だ疑問です」
「まったくだ。みんな狂ってるぜ」
 茶髪の男も側まで駆け寄ってきて、女の子を介抱する。
 そうこうしている内に事態は終息し、イスに座った勝者と地べたに膝をつく敗者の構図が出来上がっていた。
「オメデトウゴザイマス。アナタガタハ(ミンカン)サラリーマンデス」
 勝者は歓喜の声を高らかに上げ、敗者はその行き場のない悔しさを地面にぶつけた。先ほどの光景を見た俺からすれば、そのどちらにも属したくないのが本音だった。
 ゲームが終了したのに、扉は開かなかった。扉の前には、先ほどの男が膝をついて固まっていた。
「おら邪魔だ、どけよ! 扉が開かねぇだろ!!」
 扉が開かないことに怒りを感じた勝者の人間が、男を蹴飛ばしてどかした。男がどくと程なくして扉が開き、勝者たちは優越の笑みで闇の中に消えていった。部屋には戦場跡のように、負の念と寂寥感だけが取り残されていった。
「ちくしょおっ!!」
 一瞬の後、部屋に敗者の遠吠えがこだました。狂乱したように壁を蹴りつける者や、地面に額をつけて泣きじゃくる者。それらを第三者の如く傍観する、不参加の人間たち。
「な、なんだ。一体どうしたっていうんだ?」
 茶髪の男はまだ事態が見えていないらしく、それらの奇行を訝しんだ。
「さっきのゲームで勝者の数が敗者を上回った。手順が逆だが、本来イス取りゲームというのは参加者、勝者の値から数を減らして敗者を生み出す。つまりそもそもイスは人数分用意されないんだ」
「あっ」
 気がついたのか、茶髪の男は目を大きくした。
「イスの増減が逆だってことは、さっきので敗者が勝者より減ったから――」
 そう、仮に次のイスがさっきと同数だとしても、
「みんなが座れる状況が出来てしまう。となるとゲームは成立しなくなり、事実上の終了となる。……おそらく、次のゲームは始まらない」
 そう告げると同時に、地面に巨大な文字が浮かび上がる。

 ――「敗者」「負け犬」「現実」

 真っ白なキャンバスにくっきりと浮かび上がった黒い文字は、この部屋に取り残された者たちに送られた不名誉な称号だった。
「へへ、イス取りゲームとは名ばかりの、とんだ人生取りゲームだぜ」
 茶髪の男は顔を手で押さえ、空っぽな笑いを零した。女の子は肩を小刻みに震わせ、声を殺してすすり泣いた。
「……あんたはこれでいいのか?」
 茶髪の男が憔悴したような表情でそう尋ねる。結局、問い手と答え手というこの構図は変わらないのだな。
「そうだな。現状を維持、という意味ではさすがによろしくないが。俺はあんなイスの取り合いよりも、あっちのほうが気になっていた」
 そう言って、唯一の扉を指さす。
「どういう意味だ?」
 扉の前まで歩み、戸にそっと手を置く。おそらくこの場にいる全ての人間がそうだと思い込んでいる、開かずの扉。
「ドアノブはちゃんと付いているし、鍵が付いているって訳でもない。勝者の奴らだって、誰一人このドアノブに手はかけていない。ただ勝手に扉が開いただけだ」
 俺の言わんとしていることがわかったのか、茶髪の男は少し声を強めた。
「だけどよ、さっき男がいくら叩いても扉は――」
 扉脇に蹲る男を見る。散々喚き、さらに蹴飛ばされ、男は放心状態だった。
「ドアを闇雲に叩いていただけだ。叩いていれば、誰かが開けてくれるとでも思っていたんだろう」
 ある憶測と共に、ドアノブに手をかけた。手に僅かな力を込め、時計回しに捻ると、それは確信へと変わる。自然と口が綻んでしまう。
「ど、どうだったんだ?」
 俺は部屋の中央に立つと、ポケットから黒の油性マジックを取り出す。そしてそのマジックで、地面に書かれた偶像をかき消した。
「な、何やってんだよ?」
 グチャグチャにかき消された「敗者」と「負け犬」の文字。「現実」だけは、そのまま残しておいた。そしてかき消した脇に堂々と、「自由」と「希望」の二言を走り書きする。
「お前ら! こんな言葉に惑わされるな!」
 かつて諸国を回った遊説家のように、部屋の真ん中で両手を広げて声を張り上げた。俯いていた人間たちも、それで顔を上げた。当然、こいつは何を言っているのだ? という不信そうな目が並ぶ。でも、今はそれでいい。目を向けることが、今は一番大切なことだから。
「今この部屋にあるのは敗北でも絶望でもない。解き放たれた自由と、信念という希望だ!」
 部屋中に響き渡るその声に、残された者たちは何を思うだろうか。
「だが俺たちはイスに座れなかった!」
 残された者の一人がそう反論する。
「あぁ、確かにな。だけどイスに座れたことは勝利か? 用意された席について、指示された職に就いて、それが果たして勝者に成り得るのか?」
 反論した者はポカンと口を開いたまま固まった。それぐらい今俺は、常識的に非常識な情熱をぶちまけている。
「イスとは一般的に比喩されるレールと一緒だ。誰かに用意され、誰かに決められた定数しか座ることができない。ゲームならまだしも、それが現実社会ならどうだ?」
 一呼吸を置く。正直な気持ちを、言葉に込める。
「人生がイス取りゲームなんて、そんなの寂しいだろ? そうだとしたら、イスはそもそも人数分用意されていないんだから」
 部屋の中には、先ほどまでの荒ぶった雰囲気はなかった。ただ己に還る気の流れだけが対流した。
「この部屋には何も残されていない。だが、それは何もないんじゃない、何でもあるんだ」
 今までの流れで最も理解し難い言葉を聞いたように、残された者たちは目を見開いた。
「誰かが用意した道がなければ、歩めないのか? 違うだろう、俺たちには二本の足があって、二本の手があって、ここには自由があるんだから」
 今思えば真っ白なこの部屋は、まさしく人生そのものだった。真っ白な色に囲まれた空間は誇れる経歴もない過去を表し、何も物が存在しない室内は手がかりのない現在を表す。そして扉の先は――。
「お前たちだって見ただろう、あの扉の先を」
 その先がどうなっているのかすらわからない、漆黒の闇。これからがどうなのかなんて誰にもわからない。でもこれから歩む先が真っ暗な闇だなんて、あまりにも悲劇過ぎる。
 再び扉の前に立つ。思えば、どうして誰も手をかけなかったのだろうか。
「……簡単なこと、単にドアノブを軽く捻ってやる、それだけでいいんだ」
 そう、自ら立ち上がり、自ら挙手すれば、俺たちは何にでもなれる。
「ただ、誰もやらなかったことに挑戦する。そのほんの少しの勇気さえあれば、扉は開くんだ」
 マジックのキャップを外すと、ためらいなく筆を走らせる。真っ白な扉に映える、「未来」の二文字。
「未来へは自分の手で、足で行かないと意味がないんだよ!」
 扉を強く叩く。鉄板を打つ鈍い音が室内に響く。聴衆の輪は息を呑んでそれを見ていた。
「さて……俺は行くが、一緒に来る奴はいるか?」
 静まり返った聴衆は、みんな頭を垂れていた。俺の言葉を真摯に受け入れたのか、はたまた聞く価値なしと突っ放したか、それはわからない。でもどっちだっていい。それはこの部屋に唯一許された権利、自由だから。
 そのとき、勢いよく立ち上がる一人の姿があった。少し長めの茶髪と耳にピアスをした、あの男だった。
「俺は端っから官職だのには興味がねぇ。俺には世界一のロックバンドになって、後世にまでその名を残すって野望があるんだ」
 輪から抜け出し、俺の前まで歩み寄る。
「笑うか?」
 安い笑みを浮かべてにやける。
「いいや。聞いてみたいね、あんたの歌声」
 笑う代わりに微笑み返す。こいつとはやっぱり気が合いそうだ。
「あ、あの……私もいいですか?」
 もう一人、輪から抜け出す者がいた。突き飛ばされた、あの華奢な女の子だった。
「自分が何になりたいか、何になれるかはよくわかりません。私には写真しか挙げるものがないから。でも、様々なものを見て、そして伝えていきたいんです」
 華奢な外見とは裏腹に、その瞳には強い光が宿されていた。
「あぁ、行こうか。進んでいけば、何かしらの答えだって見えてくる」
 輪を見返すと、他に続く者はもういなそうだった。
「何をきれいごとばかり並べている。お前らのは所詮ただの夢だ。現実をもっとよく見ろ、誰もがそんなものになれるとでも本気で思っているのか?」
 嫉妬にも似た野次は、あの初めからゲームにも参加しなかった集団のものだった。あぐらをかいて、一度だって立ち上がろうともしなかった連中が、こちらを睨む。
「そうだな、誰もがなりたいものになれるだなんて思ってはいない。未来がどうなるかなんて、誰にもわからないさ。でも見ているだけじゃ、いつまで経ったって夢は夢のままだ」
 さわやかに笑い返す。彼らには皮肉に映るだろうか。しかしそれは彼らの弱さであって、俺の知るところではない。
「見るのはタダ、見ないのもタダ。立ち上がるのも立ち上がらないのも勝手、なんせ自由だからな。ただ、そこに座っていたって何も始まらないぜ?」
 それだけを言って振り返る。かけられるだけの言葉はかけた、後は本人次第。遅れて追いかけてきたっていいのだ。志を持つのに、遅すぎるなんてことはないのだから。
 ドアノブに手をかける。取っ手を捻りほんの少し力を加えるだけで開くのに、どうして誰もやらなかったのか。きっとその誰もやらないが先入観となり、やることをルール違反にさせたのだ。だからこんな簡単なことすら、できずにいたのだ。
「この外はどうなってるんだろうな?」
 期待と興奮を隠せず、茶髪の男が聞いてくる。
「少なくとも、お先真っ暗じゃ、あんまりだろ?」
 ドアノブを捻り、「未来」の扉を押し開ける。その瞬間、眩い光の洪水が俺たちを包んだ。あまりの眩しさに、目を開けていられなかった。一瞬の閃光が過ぎると、扉の先は乳白色の光に満ち溢れた。柔らかな光は、まるで俺たちの未来を祝しているようだった。
「さて、行くか」
 初めの一歩を踏み出す。自ら選び、決めた、その一歩を。
「そういえば、あんたの夢ってのは何なんだ?」
 茶髪の男が今日最高の質問をする。振り返り、一寸の揺らぎのない眼差しで答える。
「俺の夢は――――」


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