気がついたらそこにいた。 周りを真っ白な壁で囲われた部屋。床も天井も真っ白に統一され、CGの撮影現場にいるような、そんな錯覚を覚えた。天井に取り付けられた蛍光灯の光が、白い壁に反射して少し眩しい。窓も家具もない四角い部屋に、扉だけが浮かんでいた。 四角く区切られた部屋には、自分以外にも様々な人間がいた。二十代前半ぐらいの男女、合わせて五十人。みんな自分と同じようにどうしてこの部屋にいるのかわからないといった様子で、辺りをキョロキョロと窺っている。密閉された部屋に押し込められた人間たちは、自然と壁を背にするようにドーナツ状に佇んだ。 「ここはどこだ? 何だって俺はここにいるんだ? おい、お前知らないのかよ」 ソワソワとした中で、そう声を上げる男がいた。少し長めの茶髪と耳にピアスをした、絵に描いたようなチャラチャラした男だった。宴会やオフ会の席で、真っ先に喋るないし仕切るタイプだ。いつもならそれでやってこられたのだろうが、今回は違った。誰一人、男の言葉に応答する者はいなかった。みんな己の現状把握に精一杯なのだ。男のことになど構っていられるはずがない。返答のこない男は、ただ口をパクパクさせるだけだった。 見知らぬ人間同士、さらには情報が定かではない状況で、密閉された部屋の中には不安と懐疑心が満ち溢れていた。まるで一歩外に出れば他人ばかりの大都会のように。たかが百平米ほどの部屋に、社会の縮図が展開されていた。 不意に、部屋の真ん中、人々の輪の中に一つのイスが現れる。音もなく現れたイス。どこから現れたのか、いつからそこに存在したのか。周りの人間も次々と気付き始め、小さな悲鳴を上げる者や涙を浮かべる者もいた。 一体何が起きるのか。 すると室内に音楽が流れ始める。あまりに突然だったため、みんな体を強張らせた。スピーカーすらない部屋で、どこから音楽が流れてくるのか。 しかしその曲はいつかどこかで聴いた、懐かしいメロディだった。独特な、弾んだリズム。この曲は確か――、 「――オクラホマミキサー」 運動会のフォークダンスのときなどに聴いた、あの曲だった。馴染みの曲だとわかると、みんな強張らせていた体を弛緩させた。緊迫した室内にはあまりに場違いな和んだ曲に、笑みを零す者や吹き出す者もいた。 この曲が流れ、今目の前に背もたれのついた一つのイスがあるということは――、 「イス取りゲーム、なのか?」 そう口にしたのはあの茶髪の男だった。しかし何故この状況でイス取りゲームなのか。誰しもその疑問にぶち当たった。脈絡がなさ過ぎる。そもそもこの人数に対してイス一つとは。わからない事だらけだ。音楽だけが、淡々と流れ続けた。 ふと俺は壁に寄りかかっていた体を離し、輪の中から一歩前に出た。そしておもむろに、イスを中心にして歩き始める。部屋中の冷たい視線を肌に感じた。まったくもって何をしているのか……いや、イス取りゲームを始めたのか。考えても答えが出ないから、とにかくやってみようと思ったのだ。 すると後ろに続く者が現れる。茶髪でピアスの、あの男だった。 「ウダウダ考えてたって何も始まらねぇ、ってか?」 男は背後につき、歩調を合わせる。 「そんなとこだ。いいのか? だいぶ外れた行動をとっているぞ」 努めてクールにそう助言する。 「かまやしねぇ。辛気臭いあっちのほうが性にあわねぇ。それに、競う相手がいないとゲームにならないだろ?」 安い笑みを浮かべて笑う。意外に馬の合う奴かもしれない。 そんな二人の姿を見てか、一人、また一人とイス取りの輪は広がった。当然その行動が理解できず、壁際で座り続ける奴もいた。自分を先頭に輪は連なり、やがて末尾と交わりウロボロスの輪となる。その中心に、ぽつんと一つのイスだけが存在した。 しばらく回ると、不意に流れていた音楽が止まった。イス取りゲームなのだから当たり前か。それと同時に動いていた輪も止まる。距離を置いたイスの正面に、一人の男が立ち止まる。眼鏡をかけた、いかにも気の弱そうな男だった。男は初め自分かとキョロキョロ視線を振ったが、周りに手招きされてイスへと歩を進めた。イスの所まで行くと、何度か安全を確認してから座った。 その瞬間、盛大なファンファーレが部屋中に響き渡った。 「オメデトウゴザイマス。アナタガソウリダイジンデス」 機械的なアナウンスが流れると同時に、唯一の扉が開いた。漆黒の闇の中から、大柄の男が二人現れる。筋骨隆々な黒人の男たち。黒いスーツに実を包み、イスに座る男のもとに歩み寄る。 「おムカえにマイりました、ダイジン。ソトにおクルマをヒカえさせてあります。さぁ、イきましょう」 流暢にそう話すと、気弱そうな男を連れて扉から姿を消した。その闇の先がどうなっているのかは、ここらかではよくわからなかった。 扉が閉まると、張り詰めていた空気が解かれる。誰からともなくざわめきだす。今のは何だったのか。気弱そうな男が拉致されたように見えなくもないが。 「おい、今のは何だ? あいつどこかに連れてかれたんか? それとも、本当に総理大臣にでもなっちまったのか?」 茶髪の男が動揺しながらそう聞いてくる。俺にだって何がなんだかわからない。 アナウンスを思い出す。『――アナタガソウリダイジンデス』確かにそんなことを言っていたが、そんなことある訳がない。イス取りゲームで勝ったから総理大臣? そんなの馬鹿げ過ぎている。 「とにかく、どうやらこのイス取りゲームは負けあがり方式らしいな。勝っていったやつから抜けていく。まぁこの部屋の外が、ここより安全かって保障はないが」 誰もが理解しかねている。そんなイス取りゲームがあるか。普通は勝ち上がりで数を減らしていくものだ。ルールと手順があべこべだ。 動揺の中、また新たにイスが現れる。今度は二つ。背中合わせに、輪の中心に存在した。そして再び音楽が流れ出す。空気を読まない、小気味いいリズム。 「ど、どうするよ?」 茶髪の男が聞く。さっきから聞いてばかりだ。 「とりあえず、ゲームを始めるしかないだろう」 自らの動揺を抑え、そう結論付ける。 音楽に合わせ、再び輪が回り出す。先程一人減ったから、今この部屋にいるのは四十九人。ゲームに参加していない人間が五人いるから、参加者は四十四人となる。先程と同様なら、ここでまた二人減ることになる。 そうこう考えている内に音楽が止まった。イスの正面に立ち止まったのは男女一人ずつ。先程のを見ていたからか、今度の二人はすんなりとイスに座る。 盛大なファンファーレに耳を押さえる。 「オメデトウゴザイマス。アナタガタニメイサマガ、シャチョウデス」 アナウンスの後、扉から紺のスーツに身を包んだ二人の女性が入ってくる。 「社長、三十分後に取引先との懇親会が控えております。急ぎ外出の準備を」 「雑誌取材の時間がおしています。行きましょう」 それぞれ社長のイスに座った人間に仕えると、急ぎ足で退室していった。またしても二人、「シャチョウ」という言葉と共に勝ち抜けていった。 「……あのイスに座ると、本当に社長とかになれるんじゃないか」 どこからかそんな声が上がった。その波紋はすぐさま波及し、輪に参加する人間の目の色を変えた。懐疑的だった視線は、獲物を狩る狩猟のように研ぎ澄まされていった。 次に現れたイスは七つ。残る参加者は四十二人。イスと参加者の増減があっただけに、二者間の距離はいくらか縮まった。 陽気な音楽が流れ出したが、そこにはもう先ほどまでの悠長な雰囲気は存在しなかった。牛歩のように徐行する輪。みんな口には出さないが、イスの前に滞在する時間が長くなった。 音楽が止まると、我先にと猛然とイスに飛び掛る。ある意味でこれが本来のイス取りゲームの体裁だ。ところどころ激しい小競り合いが展開される。 用意されたイスが全て埋まると、今回めでたく座れた人間は流れるアナウンスの声に胸を躍らせる。 「オメデトウゴザイマス。アナタガタハコウムインデス」 公務員の言葉に、小さくガッツポーズを取る人間もいた。自然と扉が開いたが、今回は誰も迎えに来る人間はいなかった。公務員だからだろうか。仕方なく、イスに座った人間たちは自ら扉から出て行った。その足取りは公務員になれるからか、それともこの部屋から出られるからか、どこか軽かった。 最後の人間が出て行ったとき、扉に近い輪から男が一人飛び出した。開いている隙に部屋から抜け出そうとしたのだ。しかし男の思惑は叶わず、無慈悲に扉は閉められた。 「出してくれ! 頼む、出してくれよぉ!!」 狂人のように叫び続ける男。涙や鼻水を垂らしながら、必死に扉を叩き続ける。その姿が、なんとも痛ましかった。 一方で他の参加者はというと、そんな男は一切眼中にないといった風に、お互いを睨み合っていた。残る参加者は三十五人。次のイス次第では、勝者と敗者の数が逆転する。そうなれば、敗者の屈辱は想像を絶するものになる。殺伐とした雰囲気が、場を支配した。 「おいおい、イス取りゲームってこんなに殺伐としたものだっけ?」 「少なくとも俺が知っているイス取りゲームはもっとアットホームだったはずだ」 おどけた様子で尋ねる茶髪の男に、努めてクールに返す。浮ついたこの部屋の中で、余裕を振りまいているのもここだけだろう。 そして目の前に、次なるステージが現れる。今度のイスは二十。ようやく人数に対して妥当なイスの数となった。しかしこれによって、数において勝者が敗者を上回る形となった。そんな気も知らずに楽しいフォークダンスは流れ初め、一触即発のイス取りゲームがスタートする。
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