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作品名:風に吹かれて 作者:てっちゃん

最終回   風に吹かれて
 鉛色の空が頭上を覆っていた。厚く重なった雲は陽光を遮り、地上は昼間なのに薄暗い雰囲気に包まれた。激しく吹きかける風が、少し伸びた前髪を弄ぶ。手に提げたスーパーのビニール袋は強風を受け、バタバタと甲高い音を上げていた。
『――全国的に強風が吹き荒れ、午後からは雨が降るでしょう――』
 そんな天気予報のお告げ通り、今日はいつ雨が降り出してもおかしくない天気だった。
 それなのに俺は、帰路から少し外れた道を歩いていた。買い物を終え、こんな天気だから早々に家に帰ろうとしたとき、突然着信が入った。
『今からふれあい公園に来れる? 面白いもの見せてあげるよ!』
 彼女からのいかにもな連絡を受け、俺は買い物袋を引っ提げて公園への道のりを歩く。曇り空の下、彼女の元にスーパーの袋を提げて向かう彼氏というのも、なかなかにシュールだった。
 閑静な住宅地を風と共に歩いていく。強風のせいか、休日なのに外に出ている人の姿はあまり見受けられなかった。時折買い物へ向かうであろう女性とすれ違うだけだった。
 歩きながら、もう一度空を見上げた。暴れる前髪を手で押さえる。
 鉛色の空は、雲の流れが速かった。いつもは気付かない雲の流れも、こんな日だと顕著にその動きが窺えた。まるで常時ハイスピード再生を見ているようだった。
 普段は見られないそんな雲の動きを見ていると、年甲斐もなく少し胸がドキドキした。俺が子供くらいのときは、こんな天気の日は親の言葉も無視して外に出たものだった。強風の中、追い風に立ってドッジボールしたり、向かい風に逆らって鬼ごっこしたり。天候の荒れた日こそ外へ。俺にもそんな子供時代はあった。
 それなのに、いつからだったろうか。面倒くさいだなんて、思うようになってしまったのは。前髪を押さえる手が、如実にその心情を表していた。
 心身の成熟と共に、人は効率の良い生き方を選択していく。昔どこかの偉い学者がそんなことを言っていたような気がする。
 いつからそれらは無駄になってしまったのだろうか。
 いつからそれらを無駄だと思うようになってしまったのだろうか。


 ふれあい公園に辿り着くと、風は一層その強さを増した。囲うようにして並ぶ木々が、ガサガサとその葉を揺らした。
 入り口から覗いてみても、公園内には子供たちや大人たちの姿は見つからなかった。
 ただ一人――彼女を除いて。
 こんな天気の中、彼女はジャングルジムのてっぺんに立ち、俺が来るのを待っていた。手にはお気に入りの水玉模様の傘を持ち、風に負けないように佇んでいた。
 何をしているのだか。
 危ないとかスカートがめくれちゃうとかそういうのではなく、ただただ何をしているのだというシンプルな疑問が浮かび上がった、ずばり目的は何だ?
 入り口に立っていても始まらないので、彼女の元に歩み寄る。彼女は待ちわびたぞといった風に、胸をはる。
「さて何を――」
「おそーい!」
 ほぼ二人同時に口を開いた。とは言いつつも、俺の言い分は言い終わる前に止められてしまったが。
 張り合ってもしょうがないので、会話の主導権を彼女に渡す。
「この体勢で待ってるの大変だったんだからね!」
 電話を切ってからずっと、今の状態で待ち続けていたのだろうか。だとすればそのやる気は認めざるを得ない。
「あー、で、一体何をなさるんで?」
 そう言うと、彼女はにやけた顔で手にした傘を開いた。水玉の生地がドーム状に広がる。細い骨組みが、風に吹かれて軋む。
「じゃーん! いい、見ててね?」
 旋風のような峻烈な風が吹く。
 その瞬間、彼女は傘を差したまま飛び立った。
「はっ?! おまえっ……――」
 反射的に、手にしていたビニール袋を放り投げて駆け出した。勢いよく無防備に飛び立った彼女。ジャングルジムとはいえ高さがある。傘が何の救いになる。間に合うか。滑り込むように、受け止めに入った。
 でも――俺は夢を見ているのだろうか。
 彼女は宙に浮かんでいた。およそ現実にはありえないくらい、彼女の体は浮いていた。まるでそこだけスローモーションにしたように、ゆっくりと高度を下げながら滑空する。その光景は、いつか映画で見たワンシーンのようだった。
 その体を抱きとめる。まるで舞い散る羽根を受け止めるように、彼女の体は優しく俺の腕の中に納まっていった。
 夢から覚めるのは一瞬だった。両腕にいつもの重みを感じて、彼女を地に降ろす。彼女は目を輝かせて俺を見る。
「ね、ね、飛んだでしょ!」
「あぁ、確かに跳んだな」
 言葉の機微に気付くこともなく、彼女は大はしゃぎして喜んだ。俺は俺で、夢の境がわからなくなっていた。
「……とりあえず、この傘は没収な」
 そう言って傘を取り上げる。彼女はえー、と口を尖らせた。
 取り上げた傘を見てふと考える。さっきの光景は何だったのだろうか。不思議な光景を目の当たりにして、思考がうまくまとまらない。いざそういう光景に直面すると、意外と人間はうまく対応できないものだった。
 でも、俺の中にはさっきの光景が鮮明に焼きついていた。御伽噺のように傘を広げ、フワフワと宙を漂う彼女。風を体に受け、羽根になったように舞い降りていた。
 三度空を見上げる。雲はまだ速い。風は強さを維持して吹き続ける。
 俺にも出来るだろうか。
 年甲斐もなく、胸の鼓動が激しかった。そわそわとした、いてもたってもいられない気持ち。
 ジャングルジムの一段目に足をかける。何をしているのだか、自分でもよくわからなかった。
 ただ幼い頃の記憶が、すっと頭の中に呼び起こされる。
 風が背中を後押しする。
 幼い夢は、まだまだ続いていた。


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