僕は、夏休みが終わった日に馬鹿なことをしてみた。 とても漫画が大好きな僕は、特に王道というものが好きだった。ピンチになって「嫌ぁああ!」と叫んだら秘めたる力が解放されたり、刃がヒロインに振り下ろされた瞬間に前に立ち塞がって「間に合った」と感慨深げに呟くヒーロー。えとせとらえとせとら。そんな、一直線。中央フリーウェイな王道。キングロードを愛していた。でもそう簡単に出来ることではないので、まずは初級編と自分に言い聞かせ、食パンを咥えてみた。 「ひほふひほふー。ひほふしふぁう(遅刻遅刻ー。遅刻しちゃう!)」 そんなわけで、パンを口に咥えて走っていた。すると曲がり角で転校生にぶつかり、何すんのよと因縁をつけられる。そのまま去っていく彼女の後姿を眺めていて、ふとした拍子に地面に目をやるとその子のハンカチ。手にとって学校に行けばなんとそこには先ほどの転校生! そこから始まるめくるめくラブロマンスが始まるって寸法だったのさ。 でも、ラブもロマンスもなかった。 「ぼへぇ!?」 飛んでいく食パン。宙を舞う僕。背中から、道路に落ちて、痛すぎる。浩太、心の俳句。まさかマジでぶつかるとは思ってもみなかった。上半身を起こして相手を見てみると、飛び込んできたのはイチゴの柄……のハンカチ。別にスカートの中ではない。何しろ。 「いてぇな」 男だった。見事なまでの学ラン。しかも僕の学校の。僕の高校は全校生徒が600人程度の小さい学校だから、夏休み後になってまで知らない顔ならば間違いなく転校生らしい。転校生はハンカチを手に取ると軽く埃を掃うように叩いて、僕を一瞥して去っていった。その顔は何か寂しそうに見えた。 「なんだろ? てか、マジで遅刻しちゃう」 落ちていた食パンはそのままにして、僕は学校へと走っていく。途中で転校生を追い抜こうとしたら、何故か鞄の中からパンを取り出して僕にくれた。唐突なプレゼントにありがとう、と呟いてからまた走り出す。遅れてはまずい。でもこのパンは美味い。 またしても食べながら「ひほふひほふー。ひほふしふぁう(遅刻遅刻ー。遅刻しちゃう!)」と言っていたら曲がり角でぶつかった。 「ぼへぇ!?」 飛んでいく食パン。宙を舞う僕。背中から、道路に落ちて、痛すぎる。浩太心の俳句。まさかマジでぶつかるとは思ってもみなかった。上半身を起こして相手を見てみると、飛び込んできたのはイチゴの柄……のハンカチ。別にスカートの中ではない。何しろ。 「いてぇな」 男だった。見事なまでの学ラン。しかも僕の学校の。僕の高校は全校生徒が600人程度の小さい学校だから、夏休み後になってまで知らない顔ならば間違いなく転校生らしい。転校生はハンカチを手に取ると軽く埃を掃うように叩いて、僕を一瞥して去っていった。その顔は何か寂しそうに見えた。 「なんだろ? てか、マジで遅刻しちゃう」 あれ? なんだか既視感。この出会いを大事にしたいと思えるような。僕ってそんな趣味あったっけ。 ひとまず本当に遅れちゃまずいので、次からは普通に走った。何故かその後は誰ともぶつからなかった。 無事に学校に着いて教室に入ると、いささかざわついていた。友達に理由を聞くと転校生が二人も来るらしい。 まさかとは思ったが、まさかぁと打ち消した。でもそれも意味無く。 朝ぶつかった二人が転校生だった。 しかも苗字が法衣村小太郎と法衣村鬼太郎。 それくらいおかしな苗字と名前で、しかも僕と同じ苗字。でも二人は兄弟じゃないそうだ。まさか、僕の生き別れた兄弟とか? そして僕の命を狙ってきたりするんだろうか。なんかアニメっぽい展開だ。五十人くらいの兄弟が一人になるまで殺しあうんだろうか? 「席は法衣村浩太の隣と後ろにしよう。同じ苗字だし親近感が出るだろ?」 アフロヘアーの高木先生はそう言って笑いながらホームルームを終える。二人は僕の傍にやってくるとにこやかに「俺達はあなたの義理の弟さ」とかのたまってきた。懐から出されたのは封筒。それをもらって中身を取り出してみると、僕の父親に対する、この法衣村達の母親からの愛の言葉がぎっしりと書かれていた。横に四十文字書ける便箋にぎっしりと。例えて言うならおにぎりを作ろうとして思い切り固くしようと握りこんだみたいだ。抜粋すると「寂しくて手首切ります」とか「もう二度と離さない。今日のお昼はイカ墨スパゲッティよね?」とか狂おしいほどの愛の言葉だった。二人も子供を作っておいて。僕を入れたら三人も作っておいてこんな言葉をもらう資格があるんだろうか? とりあえず嫌悪っておいて法衣村チームを組んで授業を受けた。それぞれ得意分野が異なるらしい。僕は数学と英語。小太郎は国語と物理。鬼太郎は歴史と公民。僕らは助け合い、たった一日の授業で魂の兄弟と呼び合うようになった。強敵の存在は仲間の結束を高めるということだった。でも父親のだらし無さには我慢ならず、帰ったら文句を言うことにした。勿論こいつらも一緒だ。 その帰り道。小太郎と鬼太郎は僕に言った。 「実は全員で十三人いるんだ。法衣村の血を持つ人間が」 「なんだって」 「きっと闘って最後に残った男が真の子供になるに違いない」 「ちょっと待て。女の子はいないのか」 「あるスジからの情報に従えば」 正にバトルロワイヤルじゃないか。しかも全員合わせて十三人だなんて、キリが良い。正に男だらけの子供決定戦。勝負は何で決めよう。ブロック崩しか人生ゲームか。 勝負法を考えていたらいつの間にか家に着いてた。玄関を開けたらいきなり小太郎と鬼太郎は中に入っていって、親父に詰め寄ろうとした。しかし、それはできなかった。親父は既に他の法衣村に囲まれていたんだから。時既に遅かった。法衣村バトルは開始されようとしていたんだ。 「親父! 僕が真の法衣村だろ? ちゃんと世話してくれてるし」 バトル方法をまだ考え付いていなかったから必死に時間を先伸ばそうとした。 でも、親父は言った。 「いや、実はお前が一番遠いぞ? お前、養子だから血が繋がってないし」 親父の言葉は衝撃でしかなかった。横殴り、縦殴り、斜めに殴られ押し倒されいろいろ踏み潰されて。その結果がこれかい。 「んな馬鹿なん」 その言葉が合図かのように他の法衣村達は互いを倒そうとバトルを始めた。僕の傍を通り過ぎても僕と戦ってくれない。透明人間になったように。 僕を置いていかないで? だって、十三人いないとバトルできないんだろ? 血を持つ人が十三人って……僕をいれなかったらひぃふぅみぃよぉ……十三人、いるよ。 法衣村が、十三人。どうして? その理由はすぐ分かった。同じ顔の法衣村が二人いた。どうやら双子らしい。それで十三人、か。この中で僕は異端児なんだ。いらない子、なんだな。 ああ、そうだ。 僕は漫画が大好きでさ。ずっと主人公に憧れていたんだ。物語の中心となってどたばたコメディしたり、シリアスに魔王に挑んだりとか。 でも僕はそんなんじゃなかった。僕が持っているのは法衣村という変だけどまったく他にはなかったはずの苗字で。それは親父から受け継がれたものだけれど、実際は受け継ぐ人達が他に十三人いて。更に僕は親父の実の子じゃないから、本当は法衣村でさえなかった。 僕は僕であるための要素をすべて失ってしまったらしい。 「あは、あはは」 ひとまず、言い争いをしている親父と法衣村さん達の傍を通り抜けて食パンを探した。一切れだけ残ったパンを口に咥えて外に出る。言い争いの声が聞こえないところまで一気に走りながら口を動かす。 「ひほふひほふー。ひほふしふぁう(遅刻遅刻ー。遅刻しちゃう!)」 時刻は夕方。誰も遅刻することはない。学校は終わってる。でも。 「ひほふひほふー。ひほふしふぁう(遅刻遅刻ー。遅刻しちゃう!)」 叫ばずにはいられなかった。自分を支えてきたものがなくなるというのはここまで辛いことなのか。記憶喪失の人とかはそういう記憶さえないからさぞ不安だろうな。 「ひほふひほふー。ひほふしふぁう(遅刻遅刻ー。遅刻しちゃう!)」 そんな言葉を叫びながら走る僕を、おかしな人と思えただろう。 「ひほふひほふー。ひほふしふぁう(遅刻遅刻ー。遅刻しちゃう!)ひほふひほふー。ひほふしふぁう(遅刻遅刻ー。遅刻しちゃう!)ひほふひひゃう!」 叫んでいるのは、納得するための時間なんだろうな。パンも食べ終わってしまえば走り続けることは出来ない。だからそれまでたどり着けたところがゴールなんだ。 その時だった。曲がり角を曲がろうとして誰かにぶつかった。 「きゃっ!?」 柔らかい感触と弾力。それに驚いて思わず倒れてしまう。上半身を起こして相手を見てみると、飛び込んできたのはイチゴの柄の下着だった。スカートがめくれていた。 「いたたた……もう、何すんのよ! 曲がり角を全力で走ってくるなんて最低よ!」 そう言って僕への因縁をつけて立ち上がると、女の子は肩を怒らせて去っていった。その後姿を眺めていて、ふとした拍子に地面に目をやるとその子のハンカチがあった。どうやら今の接触で落としたらしかった。 思わず、僕は呟いていた。 「んな馬鹿なん」 カラスが遠くで鳴いていた。
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