猿は踊る
羽柴秀吉の本陣では、死んだ筈の織田信長が、徳川家康と連れだって、陣中見舞いにやってきたからたまらない。 「やあやあ猿よ、おつむもさっぱりと禿げねずみじゃの。益々元気で重畳じゃ。天下分け目の猿が采配、とくと見聞させてもらうぞよ」 泣きながら信長にむしゃぶりつく秀吉であった。 「上様〜よく〜ぞ、ご無事で。猿は〜猿めは〜。あゃじんねむ〜んねんざ〜にのたっもお〜とだかんて〜のれお〜よいよい」 「分かった分かったもう泣くでない。変わらず、ういやつじゃが、人間の言葉になっておらんでの」 三武将は、これを見ながら苦笑い。 「羽柴殿、相変わらずでござるな」 と、森蘭丸が首をすくめる。 「あのように……」 と、顔を赤らめ徳川家康。 「あれが秀吉という男でござるよ」 と、黒田官兵衛が舌を出す。 秀吉のパフォーマンスは続く。 この男の状況適応能力は、まさに天下一と言うべきだろう。 「上様、右府様、天下様。そうじゃ。希代の英雄であらせられる信長様が死ぬ訳がにゃい! いや〜良かった良かった。めでたい〜めでたい。ご無事じゃ、ほれご無事じゃ。いや〜生きておいでじゃ。や〜れめでたやの〜うれしやの〜きゃっきゃっきゃっ」 信長の回りを四つん這いになって踊り回っているのだ。 これだけゴマをすられりゃ誰だって嬉しい。 信長も嬉しい。 だから、 「秀吉ほど可愛いものは無い」 と、こうなるのだ。 「わははは、猿よ、こりゃ猿よ。合戦の方は良いのか? 大将が浮かれとっちゃ負けるぎゃよ」 「へ? きゃっきゃっきゃのきゃっほっほう」 「こりゃこりゃ。しょうがない奴じゃ」 「うきっうきっ。うっきっきい」 「大将は、でんと構えておらにゃあ、だちかんで」 信長は、すっかり目じりが下がっている。 頃合だとばかり、秀吉は切り替える。 「はっそうでありました。上様、この布陣をご覧下さいませ。これなる陣立ては、あの姉川の合戦の折、上様の御本陣より右手に対陣しておりました処の、敵ながらあっぱれなる侍大将、谷垣右京之介利光の理を活かしたものであります。あの折は、まことに危のうございましたな」 この、的確な判断力による「つかみ」こそが、秀吉を秀吉たらしめているのである。 「ふむふむそうじゃった。あの折は冷や汗をかいたわい。あの時の逆を行くのじゃな。流石は猿じゃ。抜けめが無いわ……。成る程。これならば、万に一つも負ける事はあるまいて」 作戦地図を見ながらポンと扇子で膝を打つ。 納得しきりの信長だ。 「お褒めに預かり恐悦至極。不忠者光秀め! 上様に代わりこの猿が、成敗してくれる!」 と、説明的駄目押しを忘れない。
柘植(つげ)のおババ
おババとは、沙織(さおり)の言っていた、閨房術(けいぼうじゅつ)を教えてくれた老婆の事である。 しわくちゃな顔に、筋張った長い指を持つ。 そもそもくノ一は、使命に支障をきたさぬ為に、恋愛はご法度であった。 くノ一の、男性経験の経験値が低い場合は、どうしても情に流されたり、或いは、男振りの良い敵の忍者の術中にはまり、溺れ込んで味方を裏切ったりする懸念があるからだ。 だから、むしろ『その道』のほうこそ、卓越した女となっておかねばならんのだ。 そんな訳でくノ一は、年頃になると、異性に興味が出る以前に、この『おババ』の如きインストラクターに、性技を徹底的に仕込まれるのだ。 そして、その官能の限界値も、開花させると同時に綿密に調べられ、来るべき任務の適正を割り出す為の、資料、情報として把握されている。 そんな訳で、柘植のおババは執拗であった。 長い指を舐め舐め「きっしっし」と淫靡な笑いで忍び寄って来る。 それから、おもむろに──ヤバイヤバイ。「18禁」になりそうである。
ともあれ、思春期のくノ一達にとって、おババは、淫らな妖怪であり、憎むべき陵辱者であると同時に、キモイので恋人は無理としても、一種の愛人であり、情人であり、しかしてその深層心理においては、ことさら親子関係を希薄に造られている忍者社会の事でもあり、祖母であり、親であり、とにかく、少女達にとっては複雑な思いの、どうにも割り切れぬ存在であった。
そんな柘植(つげ)のおババとて、若い頃は、それはもう美しい、最高のくノ一であった。 『その道』のほうも格別なもので、騙した武将、大名、数をも知れず。といったところだ。 妖しく香を焚き込めた、城中奥深い大名の寝所で、若い頃のおババは、秘伝の媚薬を要所要所に塗りこめてある、その柔肌を……ヤバイヤバイ。 つまりこの場合、要所とは、「こりゃこりゃロッカ。やめておけ!」と、天の声。
おババは、何故だか、小鹿と仲が良かった。 おババの学校を卒業して、一人前のくノ一となった女達が、己の肉体の、すべての秘密を知り尽くしているこのおババに対して、一様に嫌悪の視線を向ける中にあって、小鹿だけは違っていた。 小鹿は、落城して燃え盛る城中より、拾われてきた赤ん坊であった為、親の顔を全く知らぬ。 肉親の代用品という事なのか、或いは、そのケロリンとした性質故にか、いつでも優しい視線を送るのだった。
さて、百地百々太夫(ももち・ももだゆう)の率いる伊賀忍者達は、ここ山崎の地、羽柴秀吉の構える大本営の脇に布陣している。 少女達を司るおババも、飯炊きや洗濯に、偵察や前哨戦で傷を負った忍者の看護やらで、なかなか忙しげである。
「おいおババ、お前の好きな葬式まんじゅうを、持ってきてやったぞ」 と、小鹿。 「どうじゃ小鹿。江守様とはしっかり、まぐわっておるか? きっしっしっし」 と、おババ。 「おばばは相変わらず助平じゃのう」 と、小鹿。 「ところで小鹿、あたいは驚いたぞえ」 「なんじゃ?」 「ふぇろもん号の女達の事じゃ。あの中の、薬師(くすし)のきなこに聞いたんじゃが、なんと、きなこは、八百歳を越えとるそうじゃ。まさしく八百比丘尼(やおびくに)じゃ。大将のコトミなんぞは、優に千歳を越えとるそうじゃ。たまげたわ。おそらくは『お宝星』に若返りの秘密があるに違いなし。そう睨んだあたいは、信長と一緒に『お宝星』へ連れてってくれと、泣いて頼んだのじゃが、断られてしもた」 小鹿が笑って言う。 「そりゃおババのようなド助平を、連れて行く道理がなかろう?」 おババはしゃもじを振り上げる。 「なんじゃ小鹿。おぬしは、あたいの幸せを願ってはくれぬのか?」 小鹿はさっと、とんぼを切って(とんぼ返りをうって)言う。 「やくたいもない事を申すものではない。それ『お宝星』は、天下人や、偉い坊様が行く所じゃと、おババも聞いたであろう?」 おババはしゃもじを振り回す。 「嫌じゃ嫌じゃ。あたいは『お宝星』へ行きたいのじゃ! 行って若返って美貌を取り戻したいのじゃ。女ならば誰でも、そのように願うのが当たり前じゃ」 「だだをこねるでない。それとも、おババ。いよいよボケたか? アハハハハ」 笑いながら小鹿が消えた後も、おババの独り言は続いている。 「なんじゃ! 伊賀の大敵、仏敵(ぶってき)信長ずれが『お宝星』へ行けて、なぜ、あたいは駄目なのじゃ。納得いかん! 森の蘭丸如きは、馬のケツッペタに張り付く、小蝿の如き小者であろうが。納得いかん!」 枯枝のようなおババの肉体の奥底から、女の情念がほとばしっていた。
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