私は、28歳の年にバイクを乗り始めた。その二年前に二輪免許を取得してはいたものの、 その時にはまだ、自分の相棒になってくれるバイクには出くわさなんだ。 2年した頃、仕事先で無造作に散らかっていた雑誌の一つを開いた時から、今に至る迄の 21年間を共に走るバイクと出会う好機に恵まれた。実話である。 それからの幾年月、この相棒と共に、その後出会った仲間と共に、関東一円、上州、北陸、近畿・・と走って来れた。関西方面はこれから、そう思っていた矢先に父親が不慮の 病で逝った。
ここ数年というもの、様々な理由でツーリングに出かけなくなった。 人間、年齢と共に自分の周りで起こる雑事や祝弔辞を放り出す訳にも行かない立場に嫌でも置かれてしまう。当然では有るが何とも重苦しい。
まあ、そんなこんなで、毎年2回必ず出掛けていたツーリングをやらなくなってそろそろ 6年になる。 正直言って、もはや以前の様に出掛けられるのだろうかと不安にもなる。 いや、歳も結構食ってしまったなあ・・・と言うのもかなり。それでも、バイクツーリングは、自分の幾分かの体験からだけでも本当に良い。色々な意味で良い。それはおって言おう。
周囲の見解は未だにバイクは煙たい存在、の様に感じる風潮が根強く有る。 確かにそれは存在している。 毎日の通勤時、休日の所用時、緊急時、いずれにしても走ってくるバイクに良い感情表現を向けてくる者は少ない。たとえ、違法駐車であっても、車に向けられる眼とは違う。 では、何故そうなる? バイクに乗っていれば即ち暴走行為の可能性大なのか? 車に乗っていようがバイクに乗っていようが、要するに乗り手、それらを操るライダーやドライバー自身に懸かっているのではないか? 確かに、日本国憲法の定める運転免許取得年齢ではバイク、二輪車の方が早く取得出来る。社会常識に関して、十分な経験と見解も養われていない時分から二輪免許は取得可能だ。が、果たして年齢なのだろうか? 取得する本人次第なのではないか? 三つ子の魂百まで、と言うことわざも有る。 たとえ運転免許取得者が成人して久しい者であっても、免許取得適正であるかないか、それは、その本人の持って生まれた運転への性格適正がものを言うと考える。それはテストによる結果にはほとんど反映しないその人が持って生まれた性格であり、監視と懲罰を掻い潜れば事無しの様な考え方が蔓延、横行している。少し一般常識を備え、多様な体験を有していれば、分かりようもあろうと思う。 良い、悪い、では無い。不当な、不正な、非常識な振る舞いをしてはならない理由が存在している。 殊更にバイクとライダーに向けられる蔑ろで不十分な思慮にうんざりもする。 が、まあ、此方が不当な行為に出無い限り、法は平等、対等で在って然るべきものと考える。
で、ツーリングの話に戻るが、何故バイクツーリングが良いのか?
簡単な話だ。 旅と言うほどの距離でなくとも出先の人情、環境、一寸先の天候までもが共に在る。それに纏わる体験談もそこ此処で見受けられた。人情、環境 は兎も角も、天候は屋根付きでは味わえないものが有る。それが嫌ならバイクには乗らない事だ。勿論、一寸先の天候までもを味わうことも無い。二輪自動車に跨る者のみが得られるものは乗って走り続ける者なら誰もが知っていると思いたい。そう願う。又、それに跨っている者が状況判断と確固たる常識の内で快走し続ける事を願う。 そろそろ、此方も走る時期が訪れた様だ。 また、その内に近況を寄せようかと思う。
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