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作品名:わすれもの 作者:

最終回   1
 三時間目の始まりを告げるチャイムの音を聞きながら、私は自分の席にじっと座っておりました。
 事の発端はほんの5分前、机の中に算数の教科書がないことに気づいたのです。私は愕然としました。ロッカーの中もランドセルの中も探しましたが見当たりません。どうやら家に忘れてきてしまったようなのです。おそらく、夕べ遅くまでテレビを見ていて、準備を怠ったことが原因でしょう。
 授業開始の時間が刻一刻と迫る中、私の心臓の鼓動は高まっていきました。しかし焦りはもうありません。これはチャンスだ、と思ったのです。いつも忘れ物の報告に失敗してしまう私に、神が与えたもうた試練であるに違いないのです。私は使命感に燃え、同時に失敗の恐怖の為ひどく緊張しておりました。
 チャイムが鳴り終わり、彼女が教室に入ってきました。彼女が教壇に着く頃を見計らい、私は颯爽と席を立ち、拳を握りしめ、ずんずんと教壇に向かいました。正面に立ち、キッと彼女の丸く茶色い瞳を見据えます。
 がんばれ、私。自分で自分にエールを送りながら、お腹に力を込めて言い放ちました。

 「お母さん!」
 「…はい?」

 ああ、またやってしまった。どうして私はこうなのでしょう。入学以来、私は彼女のことを先生と呼んだことがないのです。
 明日は国語の教科書を忘れてみようと思います。
 がんばれ、私。


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