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作品名:僕らの方程式 作者:

最終回   初雪に関する考察
「初雪って…おかしいと思わない?」
 1月も半ば、窓ガラスを凝視したまま彼女が言った。やはり眉間に皺が寄っている。一方僕は彼女がそんなことを言い出した訳も知っている。今、その視線の先ではアルミサッシの枠の中に雪が舞っているのだ。
「君がそんなコト気にするタイプだとは知らなかったよ」
 ますます彼女の眉間の皺が深くなる。
「気になんかしてないわよ。だからおかしいって言ってるでしょ」
 おかしいと思うことは気になる内に入らないんだろうか。心の中でツッコミをいれながら僕は読みかけの小説に視線を戻す。反論する訳にはいかない。僕の大切な昼下がりの読書時間を邪魔されてなるものか。しかし彼女はそんな僕の態度に構わず質問を続ける。
「だってその年で一番初めに降る雪のことでしょ?」
「そうなんだ」
 すかさず彼女の左手が百人一首の達人の如く僕の視界から本をすっとばし、同時に僕はその右手に耳から引っ張りあげられた。
「…ぼうりょくはんたーい」
「もうちょっと真面目に考えてよ」
 彼女はとがった声でいいはなつとパッと手を離し、元の姿勢に直る。僕も痛む耳を摩り、飛ばされた本を拾って椅子に座り直した。今朝購入したばかりのハードカバー本は角がひしゃげて、20ページほどまとめて折り目がついてしまっていた。果たしてその論題に、こんな目に遭ってまで真剣になるほどの価値があるんだろうか。疑問が首をもたげる。
 しかも彼女は何事もなかったかのように話を続ける。
「でもそれは人間が1年って概念を作ったからであって、自然界から見れば初でもなんでもないわけじゃない」
「そういう文句は僕じゃなくて最初に初雪って言葉を開発した人に言ってほしいな」
「言いたくても言えないから此処でぶちまけてるんじゃない」
 ごもっとも。僕はページの折目を直し、読んでいた箇所を広げた。が、3行読んだところで閉じた。今のですっかり気が削がれて全く頭に入ってこない。仕方ない、気が済むまで付き合ってやるか。諦めて彼女に新しい問題を提示する。
「それじゃあ君の考えだと、初夢もおかしいってことになるのかな」
「そうね」
 彼女は短く答え、少しの間思案した。
「夢は必ず毎日見るモノだもの。今のように時間の概念ができる前の人間だって見ていたはずだし、その彼等は初夢を初夢と意識していなかったでしょうしね。同じ人間なのに現代人が気にするのは不平等だわ」
何が不平等なのだろう。それより個人的な趣味の時間を奪われた僕にもその気持ちを一滴でいいから分けてほしい…と思った時、彼女はついとこちらを向いた。
「そもそも夢は生体的な反応の一つなわけだから、人体のしくみから考えれば生まれて 最初に見た夢のみを初夢と呼ぶべきよ」
そんなの覚えてる訳ないだろう。そう思いながら彼女の愛らしくつきでた唇に目が行く。彼女のそれはふっくらしているとは言えないが、とても綺麗な形をしている。
「ファーストキスは?」
 不意に口をついて出た質問に、彼女はちょっと口を尖らせる。彼女の唇はこの癖のおかげで柔軟性を忘れてしまったに違いないと思った。
「私は初雪や初夢が毎年あるのがおかしいと言ってるの。それは人生に一度きりじゃない」
「なるほど」
 彼女はふうっと溜め息をつく。まだまだ語り足りないご様子だ。
「じゃあ初詣は?毎年やるじゃん」
「それは人間が勝手に決めて勝手にやってるだけじゃない。神様なんて所詮人間の妄想の産物よ」
 ここまで言われるといっそ清々しいな。
「じゃあ君は初詣に行かないの?」
「愚問ね」
「他の行事も興味がないんだ?小さい頃七夕とかやらなかった?」
「覚えてないわ」
 思想の自由が法律で定められている国とはいえここまで極端な人も珍しい。ということは…
「クリスマスも然り」
 先を越された。
 彼女は席を立ち、珈琲をいれはじめた。それに砂糖をどばどばと放り込む。無論、どちらも彼女のではなく僕がセールで購入したモノである。彼女は激甘珈琲を手に席に戻り、先程までとは逆の足を組んだ。ショートパンツの裾から白い太股が露になる。僕は頬杖をつき、そこから目を反らすこともしないまま話を続けた。
「クリスマスはアイツと過ごしたんじゃないの?」
 キッと睨まれた。
「まさか。アイツもバイトだったし」
 アイツとは僕の唯一の大学友達にして彼女の彼氏を努めるつわもの君のことだ。健康的で爽やかなスポーツ青年である彼がこの彼女と二人きりの時何を話すのか、大学2年が終わろうとしている今に至るまで謎のままである。
 今更言うのも何だけど、誤解しないで頂きたいが僕と彼女は恋人同士なんかでは断じてない。あくまで『友達の彼女』と『彼氏の友達』という繋がりなのだ。なのにも関わらず、奇異なことに彼女は、僕が根城にしているこの空き部室に度々現れ、僕の至福の時間をぶち壊すべく様々な理論を展開する。勿論アイツの了承は得ている。
 しかしアイツ、クリスマスは彼女と過ごすからバイトは入れないとか言ってなかったか?彼女のこの様子だとはぐらかされたかすっぽかされたかしたのか。憐れな。
「大体何が楽しくてよその国の神様まで祝ってあげなきゃなんないのよ。誰よ、どこぞのオッサンの誕生日を恋人達の思い出づくりに利用しようと考えたバカは」
オッサンってキリストのことを言ってるのだろうか。ずいぶん酷い言われようだ。しかしちょっと待て。それはどちらかと言えば独り身の僕みたいな奴がひがんで言うべき台詞ではなかろうか。
 彼女は珈琲を口に含み、無表情にカップの内側を見つめていた。果たしてあの砂糖の量は彼女にとって適量だったのか、その表情からはさっぱり読み取れなかった。

「それよりさっきから個人的に気になることがあるんだけど」
 僕が言うと、彼女は睨みつけてきた。しかめっつらしても顔のバランスが整っている。妙な迫力がある。そんな事を考えながら、僕は今までの時間を水泡に帰すべく爆弾を投下する。
「初雪って年初めだっけ?」
「どういうこと」
「その冬初めての雪を初雪って言うのかと思ってた」
 彼女がキョトンとする。
 窓の外では雪が地面に薄い絨毯を敷きはじめていた。


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