薗部の白いジャガーで16号線沿いのホテルを出ると、入間市に向かって走る。車通りも昼間に比べればかなり少なくて、流れる街路灯の明かりがやけに煌々として見えた。 「何か食べていくかい」 薗部が言った。 「ううん。いい」 乃亜は首を横に振って、少し素っ気無く応える。何時もの事だ。 薗部は逢った時からフレンドリーに接してくるが、乃亜は必要以上に親しくなろうとは思わない。 所詮、女子高生を金で買う男なのだから。 それでも、この男たちがいなかったら、父親の行為によってセックスに恐怖し、他の男性との交わりを一切拒絶した身体になっていた事は乃亜自身が一番よく知っているのだ。 だから、薗部に対しても、歯科医の安田に対しても、そしてその他の男たちにしても、彼女が家の外で身体を交えた全ての男に嫌悪感はない。 一見矛盾しているようだが、それが乃亜の心理なのだ。 それは清純な、と言うより正常な家庭で育ってきた人には判らないかもしれない。 乃亜自身も、小学生の頃までは、極々普通の生活をしていた。 あまりにも平凡な日常に対して 「なぁんか、あっと驚くような事起きないかな」 そんな事をよく口に出したものだった。 あっと驚く事。それは中学に入って間もなく、ある日突然やってきた。 父と母の間に何があったのか。それとも母親個人の問題だったのか。乃亜にはその時までまったく異変に気づくことは無かった。 前日の夜も、三人で普通に晩御飯を食べた。 それなのに朝起きると母親の姿は家の何処にも無かった。身の回りの荷物だけ持って、突然家を出て行ったのだ。 彼女がお気に入りだったヴィトンのスーツケースとボストンバックが無くなっていた。 あまりの突然の出来事に、乃亜はそのうち母親は帰ってくると思っていた。しかし、一年を過ぎても何の音沙汰も無かった。 そして、次第に父親の乃亜を見る目が変わってきた。その視線の変化は彼女も気づく事が出来た。 何だか判らない恐怖が沸き起こり、自分の洗濯ものは自分の部屋に干すようになった。 それは、思春期に差し掛かった女としての警戒心が、自然にそうさせたのだろう。 しかし夏の蒸し暑い夜、父親の部屋に呼ばれた乃亜は、取り返しのつかない体験をしてしまうのだった。 一度してしまうと箍が外れたように、その男の行為は見る見るうちにエスカレートしていった。 レイプとして成立するその行為は、訴えれば逃れる事はできた。しかし、彼女はそれを誰にも言えなかった。 逃れる事は出来なかった。
「ねぇ、藤沢の和ヶ原ってわかる?」 窓の外を眺めていた乃亜が不意に言った。 「藤沢って、武蔵藤沢の?」 「ええ」 「何となく判るけど」 乃亜は正確な住所を口に出して、そこへ行きたいと言った。 「それなら、今は便利なものがあるから大丈夫」 薗部は小さなリモコンを操作して、センターパネルに埋め込まれたカーナビの電源を入れた。 綺麗な立体画像は、ちゃんと夜景の映像で映し出されていた。 乃亜の言った住所は、真鍋コウの住んでいる場所だった。 何時も自分がバイトをしている店の前の路地を住宅街へと入り込んで、カーナビの音声ガイダンスに従って何度か左折と右折をした。 カーナビは、周辺地域に到着という声を最後に、案内を終了させた。 「この辺のはずだけど、誰かの家かい?」 薗部はジャガーを路地に止めて、辺りを見回した。 乃亜も周辺を見渡す。 スッと、自転車が後ろから通り過ぎた。 乃亜は慌てて身体を小さくした。 彼だ…… 小さな街灯が一つ在るだけの薄暗い路地で、乃亜は何故だかそれが真鍋コウだと判った。 通り過ぎた彼の後ろ姿を、身体を縮めたまま見つめた。 心臓が破裂しそうなほどに鼓動を刻んでいた。 路地を左に入るのが見えて、乃亜はその時一瞬見えた彼の横顔が、やけに懐かしく感じた。 別に知り合いでも何でも無いのに…… 「後つけるかい」 彼女の様子を見ていた薗部は、ハンドルに手を掛けて言った。 「ううん。いいよ。駅に向かって」 乃亜がそう言うと、彼はゆっくりと車を走らせて、入間駅へと向かった。
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