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作品名:DUAL 作者:徳次郎

第3回   DUAL【3】

「教えてくれれば手伝いに来たのに」
 瀬戸奈津美が言った。
 引っ越しを知った彼女が初めての来客だった。いや、実際は戸口で追い返した新聞屋の勧誘が初来客か……
「荷物もそんなに無かったしさ」
 乃亜はそう言って笑った。
「いいなぁ。あたしも一人暮らししたいなぁ」
 ナツミは無邪気に笑ってそう言った。
 彼女は乃亜とは中学からの付き合いで、気心が知れている唯一の友人だった。その無邪気な明るさは、ある意味乃亜の心を癒してくれた。
 乃亜と父親の関係を知らないナツミは、それでも彼女が父親を毛嫌いしている事を知っていた。だから、お通夜の焼香の時もお悔やみを言わなかった。


 自分を私物化した父親。従わざる終えなかった精神状態の中で十六歳になった時、乃亜は唯一の反抗を開始した。
 誰が、あんたのモノになんてなるもんか…… この身体はあたしのモノ。
 高校に入学してからの乃亜は、川越に病院を持つ開業医と小手指に住む歯科医、その他にも複数の男性と身体の関係を持った。
 それには彼女なりの条件があって、風呂には一緒に入らない事。そして、セックスの時でも上半身の服は絶対に脱がない。
 この条件を破った者は、二度と乃亜に会う事はできなかった。
「キミの胸が見たい。お金は何時もの倍払うから見せてくれないか」
 何度目かのセックスの時に、歯科医は言った。
「ダメ。でも、右側だけなら見せてあげる」
「左はどうしてダメなんだい」
「あたしの左の胸には邪悪で大きな口が開いていて、それを見た男の生気を全て吸い取ってしまうのよ。だから、あなたの命に危険が及ぶといけないから」
 乃亜はそう言って悪戯っぽく微笑むと、右の胸だけを歯科医の目にさらした。
 薄っすらと静脈が浮き出るほどに白いそれは、小さくは無いが決して大きくは無い。
 何人かがそうやって、何度か会ううちに彼女の胸を見たがったが、みんな右の胸を見せただけで満足した。
 それ以上求めれば、彼女と会えなくなるのを知っていたから。
 胸に刺激を与えると大きくなると言うが、十三歳から父親にひたすら虐待を受けたにも関わらず、彼女の胸がさほど大きくないのは、きっと彼女が常に深い嫌悪を抱いているからだろう。
 どんなに嫌悪を抱いても、どれだけもがいてもあの男から逃れる事は出来なかった。
 他の男と交わる事でしか、あの男から注がれる邪悪で濃密な、そしてひたすらに暗たんとした快楽から逃避する事は出来なかった。



 乃亜は武蔵藤沢駅近くのビデオレンタル店でアルバイトをしている。
学校があるときは夕方からだが、春休み中は時々日中から入る。
 今日は半額レンタルのセール初日で、乃亜も開店から駆り出された。
 以前住んでいたマンションの前の通りをまっすぐ何処までも自転車を走らせる。
 途中から緩い下り坂になって、それが終わる所の交差点にその店は在った。
 通常の半額料金とあって、開店からお客がごった返し、レジには止め処ない行列ができる。
 バーコードスキャンして料金を頂き、DVDやビデオをレンタル袋に詰め込む。乃亜は、機械的にそれらをさばいていくだけだ。
 それなりの愛想にしておいた方が、アダルト商品を借りるお客は安心するらしい。
 昼を過ぎると人気作品がほとんど無くなる為、お客の波は引いてゆく。そして、夕方を過ぎると、会社帰りのサラリーマンなどが再び押し寄せる。
 一般昨は、半額だからといってそう何本も借りるお客は少ないが、AVは数本まとめて借りて行く人が多い。
 カウンターにドサッと置かれたDVD。そのパッケージはどれも女性がきつく縄で縛り上げられたものだった。
 ふとあの男に自分のされていた事が蘇えって、全身の鳥肌が立ち、足が震えた。
 乃亜にとって、AVのパッケージを見るのは他の女性たちとは違う意味で時に苦痛を覚えるのだ。
 慌てて全てを掻き消して我に返ると、機械的にバーコードをスキャンして、金額を言う。
 乃亜が見上げたその先に佇む青年は、どう考えても高校生だった。
 細い顎にスジの通った鼻とくっきりとした二重の目は、いかにも若々しく瞳の虹彩が輝かしい。
 乃亜はチラリとPOSの画面に視線を移す。
 1989年生まれ…… 自分と同じ十七歳だ。
 生年月日をチェックして十八歳未満には成人向け商品は貸してはいけない事になっている。法律に沿って厳しく運営する店が最近は多いのだ。
 乃亜はそのままレジを通してしまう。
 代金を貰ってお釣りを渡しDVDを入れたレンタル袋を手渡した時、彼は微かに微笑んだ。
 乃亜はその瞳に映る自分の姿が見えたような気がして、心の奥で何かが大きく弾むよ うな衝撃と共に鼓動が早まるのを感じた。
 震える鼓動が左胸の黒い蝶を羽ばたかせていた。
 名前……名前をちゃんと見なかった。
 彼が出て行った後、慌ててPOSに視線を戻すと、既に他の店員が次のお客の商品をスキャンしていた。
 真鍋という名字だけが、さっき一瞬見た画面の記憶に残っていた。





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