「乃亜」 翌日の放課後、乃亜が駐輪場から自転車を出していると、めぐみが声をかけて来た。何となくそのまま、彼女と一緒に自転車を並べて校門を出る。 「お母さんと一緒に住まないの?」 めぐみは、気を使って教室では話さない話題を出してきた。 少し前の乃亜だったら、ナツミ意外にはこんな話はしなかっただろう。「どうでもいいでしょ」そんな言葉を返していたかもしれない。 「うん。もう一緒には暮らせないよ」 乃亜の口からは、素直にそんな言葉が出た。 「中学の時だよね、出て行ったの」 乃亜は、ずっとクラスが違っていた彼女がそんな事を知っている事に、少し驚いた顔を見せた。 「ごめん。そんな話、中学の時に聞いた気がして」 目を伏せるめぐみに、乃亜は笑顔を見せて 「メグ、変わらないね。昔と」 乃亜はめぐみを見ずに、空を仰いで言った。 彼女の言葉に今度はめぐみが驚いた顔を見せた。 乃亜は、少し尖った顎を突き出して上を向いたまま 「昔も、よくあたしがチョット不機嫌な顔をすると、メグったら直ぐにごめんねって言ったよね」 めぐみは、乃亜が自分と親友だった頃、何時も一緒に遊んだ小学生の頃の事を覚えているんだと判って嬉しかった。 最近は小学生の頃の記憶を無くしている高校生も少なくないと言う。楽しい事が少ないからなのか、心に残る出来事が少ない為なのか。それとも、心に残すと言う行為を知らないのかもしれない。 「ナツミの四十九日、乃亜は呼ばれてるんでしょ」 「うん……」 「あたしも行きたいなぁ」 めぐみは、ナツミと一緒のクラスじゃなかったので、焼香にも行っていない。 ちょうど、信号待ちの横断歩道の手前で二人は止まった。 「乃亜の親友に、お線香くらい上げないと……」 「じゃあ、来なよ」 「大丈夫かな」 「大丈夫だよ」 二人は横断歩道を渡ると、心地よい風に吹かれながら横並びのまま自転車を走らせた。
乃亜がアパートへ帰ると、コウが外で待っていた。 「あれ? 学校は?」 「なんか、職員会議で短縮授業だったから」 コウは、コーラのミニペットを片手に立ち上がった。 「メールでもくれれば良かったのに」 「驚かせようと思ってさ。たまにはいいだろ」 「うん。驚いた」 乃亜は、そう言って笑った。 最近、コウと一緒にいると、麻希の言葉が頭を過る。 亜矢乃に惹かれていたコウの事を、彼女から聞いた乃亜は、自分が亜矢乃の代用としてコウに抱かれている気がしてならなかった。 亜矢乃と自分は同一人物だろう。しかし、やっぱり乃亜にとって亜矢乃は同じ身体を持った他人なのだ。 もう一人の自分に、自分自身が嫉妬しているのだろうか。何とも奇妙な気持ちだった。 それでも、もう家族のいない乃亜にとって、自分を抱きしめてくれるコウの存在は不可欠だった。 左胸に刻まれたタトゥーを知っているコウだけが、彼女に温もりを分けてくれるような気がしたから。 しかし、確かめなければ…… 手遅れにならないうちに。 彼の温もりが自分から離れてしまう恐怖に脅えないうちに。今ならまだ間に合う。 自分の周りで起こる数々の不幸な出来事。今ならその一つとして埋もれさせて、一緒に忘れてしまう事も出来るだろう。 どれが何の悲しみか判らなくなって、心の奥に永遠に仕舞い込む事が出来るに違いない。 乃亜は自分の横で眠ってしまったコウの顔を眺めながら、リモコンを使ってテレビの電源を入れた。 あまり面白くも無い深夜のバラエティー番組が、空々しく笑いを誘っていたが、乃亜はただ漠然と画面の明かりを眺めているだけだった。
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