五月の風は暑かった。晴れ渡る空から注ぐ陽の光りは眩しくて、クラスの女生徒たちは日焼け止めを手にしたりする。 「乃亜、最近元気になったよね」 同じクラスのめぐみが言った。 「そう」 乃亜は何となく頷いて笑みを返す。 隣のクラスだったナツミの自殺は、全ての生徒が知っている事で、彼女と一番仲がよかったのは乃亜だと言う事もこのクラスの誰もが知っている。 ナツミが死んでから一ヶ月。まだ四十九日も終えていないのに、元気になったと言われる事が、乃亜は何だか嫌だった。 まるで、もうすっかりとナツミの事を自分が忘れてしまったように思われているみたいで、めぐみなりに気を使った言葉だと言う事は充分に判っているのだが、それでも素直に受け入れる事が出来ない。 「ねぇ、カラオケ行くけど、乃亜も一緒に行かない?」 当番の掃除が終わって、帰り支度をしている乃亜に、再びめぐみが声を掛けてきた。 このクラスでは、一番よく話しをするのがめぐみだった。 「うん。いいよ」 乃亜は、何となくOkした。今日はバイトが無いし、彼女の気遣いが何となく判っているから、断りづらかった。 以前なら直ぐに断ったかもしれない。でも、これを断ったら、自分が一人だと言う事を知っている。 前はそんなの全然平気だったはずなのに、コウと一緒にいる時間が増えた分、一人でいると時々寂しくなる。 他のクラスメイト三人と一緒に昇降口を出て、自転車を押しながら騒がしく校門まで歩いた。 女同士で四人も連なるのは、乃亜には不慣れで、何となく会話に入れなかったりする。そんな彼女に気づくと、めぐみは必ず話を振ってくれた。 「えぇ、マジでぇ。乃亜はどう思う?」 気後れしながら、笑顔で応える。 そんな感じで校門を出て、みんなが自転車に乗ろうとした時だった。通りに一人の年配の女性が立っている事に乃亜は気づいた。 真っ直ぐと乃亜を見つめている。 乃亜は何処のオバサンだろうと思って視線をそらそうとしたが、その瞬間に彼女の頭の中に幼い頃の思い出が駆け巡った。 他の三人は、その女性を気にも留めずに話しに夢中になっていた。 「お、お母さん……」 乃亜は、思わず立ち止まって呟いた。 「えっ?」 めぐみたちが、自転車に乗ろうとした体勢のまま、唖然とした顔で一呼吸遅れて立ち止まると、乃亜と年配の女性を交互に眺めた。 「元気だった?」 その女性は静かに言った。 その言葉は乃亜の頭を素通りして、何処か遠くへ飛んで行った。 「お父さん、亡くなったんだってね」 再び、乃亜の母親である女は静かに言った。 そんな事はどうでもいいんだよ。あんたがいなくなってから、あたしがどれだけあの男に酷い目に遭っていたか。どれだけ辛い日々を送ったか。 あの男が死んでからよりも、アイツが生きている時の方があたしはよっぽど辛かった。 あたしが、マンションから飛び降りようと思った事だって知らないくせに。 そんな事、何も知らないくせに…… 母親に会えた懐かしさや嬉しさよりも先に、乃亜の心の中にはそんな思いだけが迫り出して来た。 もう、乃亜の視界にはめぐみたちクラスメイトの姿は映っていなかった。 彼女は掴んでいた自転車を放り出すようにしていきなり駆け出すと、母親の横を一気に擦り抜けた。 「ちょっと、乃亜」 めぐみの声が背中から聞こえていたが、乃亜にはそれを認識して反応する余裕は無かった。
乃亜は国道沿いの歩道を走っていた。向こう側へ渡りたかったが、信号が合わなくて渡れなかった。でもあの女から遠ざかりたかった。 だからひたすら走った。とにかく走った。 気が付くと、入間市駅のすぐ傍まで来ていた。 めぐみたちと行こうとしていたカラオケBOXが目の前にあった。 振り返ると、今来たばかりの16号線の学校へ続く歩道は、カーブの先に消えていた。 乃亜は大きく肩で息をしながら、お城のようなカラオケBOXの建物を見上げた。 頭の中が混乱して何も考えたくなかった。何も考えたくないのに、母親と過ごした小学校までの日々が次々と現れて、頭の中をぐるぐると駆け巡った。 小さい頃ピーマンが食べられなかった乃亜に、しきりに食べさせようとする母親の姿を思い出した。 ここ数年は思い出した事も無い母親の笑顔が、彼女の中で優しく微笑んでいた。 「ずいぶん老けてた……」 乃亜は深く息を吸い込みながら、額の汗を拭って呟いた。
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