コウはバンドをやっていて、スタジオ練習のある日、その帰りにBoscoに寄るのだと言う。 乃亜は、あえて彼が来ない日を選んで、夜の所沢へ向かった。 駅前の商店街を歩くと、まだまだ行きかう人は多く、居酒屋からの出入りが目立っている。 酔っ払った大学生風の連中が、わけの分からない奇声を発していた。 雑居ビルの二階。細い階段を上がって、乃亜は木製の重いドアを開いた。ドアの横に在る小さなショーウインドウにはBoscoと小さなネオンが誇らしげに光っている。 店内は思いの外落ち着いた雰囲気で、洋楽のオールディーズが流れていた。カウンターは意外に長く10席以上は在り、4、5人の客が別々に酒を飲んでいる。 黒服を着たバーテンは二人いるが、一人は映画で見るようなリーゼントスタイルの黒髪が、ほの暗い店内の僅かな照明に光沢を見せていた。 店内は、間口からは想像できないような広さで4〜5個のテーブル席が並び、中央の太い柱の周りにもそれを囲むようにスタンディングテーブルがある。店内の半分は客で埋まっていた。 ウエイトレスが二人、優雅にフロアを行き来している。 乃亜はカウンターの席に腰掛けると、スクリュードライバーを注文した。 「あれ?化粧してないから誰かと思ったよ。亜矢乃じゃん」 知らない男が声を掛けてきた。 金髪のロン毛をかき上げながら微笑むその男は、この薄暗い店内でもサングラスをしていたが、おそらくサングラスを外したとしてもまったく見覚えは無いだろう。 彼と亜矢乃がどれほどの親しさなのかは知らないが、やはり、知り合いは他にもいたのだ。 「あたし、乃亜。亜矢乃とは双子なの」 乃亜はそう言って知らない男に笑みを送った。 男はサングラスの奥の目を見開いて驚くと「マジで……」 「マジで」 乃亜が正面を向くと、バーテンも怪訝な笑みを浮かべていた。 その時、入り口のドアが開いた。 「お、来たね」 リーゼントのバーテンが言った。 麻希が入って来たのだ。 麻希はバーテンに向かって軽く手を上げると、視線をカウンターに移して「あら、来てたのね」 彼女はそう言いながら乃亜の隣に座った。 「あんた……乃亜?」 彼女は近くで見る雰囲気に、すぐに亜矢乃ではないと気がついた。 「亜矢乃って、双子なんだって」 バーテンが麻希に言った。 麻希は少し驚いた顔で乃亜を見返すと、彼女の何かを訴えるような視線に 「あ、ええ……そんな感じ」 ちらりとバーテンに笑みを送ってそう答えた。 「何で、来たの?」 麻希は乃亜に顔を近づけて、出来るだけ小声で言った。 「何となく、来てみたくて」 「今日は、コウは来ないと思うよ」 「知ってるよ」 「そっか、あんたたち付き合ってるんだってね」 「えっ……」 乃亜は一瞬、返事に困ってしまった。 「大丈夫よ。あたしの彼氏ってわけじゃ無いんだから」 「そうなの」 乃亜は、スクリュードライバーを飲みながら「でも……」 「でも、何?」 麻希はそう言って、コロナビールを瓶のまま持ち上げると、グッと咥えるようにして口へ流し込んだ。 「でも、寝たか。って?」 乃亜は詰まった言葉を言い当てられて、さらに言葉を呑み込んだ。 「寝たよ」 麻希はさらにビールを口に着けながら「でも、もう一ヶ月以上も前ね」 「コウは、亜矢乃をここで見かけるようになってから、あたしとは寝なくなった」 麻希はそう言って、少しだけ悲しい目で微笑んだ。 「でも、よかったじゃん。コウは見かけよりいい奴だよ」 「うん……」 乃亜は、何となく頷いて、カクテルグラスを空にした。 コウは本当は亜矢乃が好きなんだ。亜矢乃とセックスしたかったんだ。あの時言ったコウの言葉は本当だった。 じゃあ、あたしは代用なのだろうか。 確かに亜矢乃はあたし自身だ…… しかし、人格は別だから、亜矢乃が自分自身という気持ちは、乃亜の中にはまったく無かった。 帰りのタクシーで、乃亜はゆっくりと流れる夜の帳を、静かに眺めていた。
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