コウと麻希に会ってから三日が過ぎた。 この日乃亜は、朝から頭痛が酷くて学校を休んだ。激しい頭痛で目が覚めたくらいだった。 学校へ連絡しようと思ったが、それさえも困難で、電話に手を伸ばしてはみたものの、結局はそれを手に取る事を止めてしまった。 何とか一端ベッドから這い出て、薬を空腹の胃の中に流し込んだ。通常二錠でよいものを三錠飲んだ。 空腹ではまずいだろうと思い、ココナッツサブレを数枚、無理やりに口の中へ押し込む。 冷たい濡れタオルを額に当てて、再びベッドへ横たわる。布団の中へ潜り込む気力さえ無い。 そのまま眠気と頭痛の狭間でまどろみながら時を過ごす。 昼を過ぎる頃にはほとんど治ってしまったが、わざわざ午後の授業だけ出ようとも思わないので、窓から入る午後の陽射しにうつろいながらベッドの上で横になっていた。 それに、よくよく考えたら、今日はゴールデンウイークの中日だから午前授業だ。 ふいに携帯の着メロが鳴った。メールの着信だった。 どうせまたおかしなメールに決まってる……乃亜はそう思いながら携帯電話を開いた。すると、送信者はコウだった。 彼女は添付された画像を見て、背筋が凍りついた。 うつろいでいた意識は何処かへ飛んで行き、残ったのははっきりと現実を見つめる自分。しかし、その現実さえも今は不完全なものに思える。 携帯の液晶画面には、カクテルグラスを持ってウインクをする自分の姿があった。 服装は普段とあまり変らないカジュアルなものだが、目元のメイクに気合が感じられる。 乃亜は思わず自分の持っているマスカラや口紅を確認する。 初めて自分の知らない自分を見た時にも感じた違和感。着けた事もない色の化粧品。 ドラマや映画じゃないのだから、亜矢乃が自分自身だとすれば、彼女の持ち物は自分の持ち物のはずなのだ。 「違う……こんな色の口紅は、あたしは持ってない」 高校生の彼女は普段ほとんど化粧はしないし、バイトの時でも淡い色の口紅をリップブラシで薄く唇に乗せるだけだった。 マスカラやアイラインも持ってはいるが、あまり使わないので減りが少ない。 そんな一見して数少ないメイク道具は、全て鏡台の上に並べてある。乳液やローションの方が、ビンがデカイ分目立つし、ヘアケア用品の方が多いくらいだ。 乃亜は普段あまり開けない鏡台の引出しを、片っ端から開けてみた。 三段目の小さな小物入れ用の引き出し。上の段に比べ、それを二列に分割して小分けにモノを入れられる場所だが、この鏡台を買ってから何も入れた事は無い。 少なくとも、乃亜自身はそう記憶している。 あった……この色だ…… その引き出しの中には、他にも幾つかの、やはりきつい色のグロスがある。しかし、何時買ったのか、まったく記憶に無い。 同じように隣の引き出しを開けると、様々なコンシーラやブラシが入っている。 本人には記憶が無いのに、それらは明らかに使っている。特にマスカラとアイライナーの減りは著しかった。 何だか訳が判らなくて、気味が悪い。 これを狐に抓まれたみたいだ。と言うのだろうか……乃亜はついそんな事を考えてしまっていた。 その時、乃亜の携帯電話が鳴った。 乃亜は少し躊躇したが、意を決して通話ボタンを押した。 「俺、コウだけど。その後どうだい」 「別に……あんまり変ってない」 電話の相手がコウだとわかって、密かに胸を撫で下ろす。 「そうか……メール見た?」 「ウン」 「昨日の夜会ったよ、亜矢乃に……乃亜は昨日の事覚えてる?」 乃亜は昨夜も知らないうちに眠っていた。バイトから帰って来て、お茶を飲んだところまでは憶えているが、どうもその先が判らない。 だいたいそんな日の翌朝は、今朝のように頭痛がひどくて、いちいち考えられないのだ。 乃亜の無言の返答に、コウは 「やっぱり憶えてないんだね」 「ウン…… 一度家に返ってるのは確かだけど……」 乃亜は、呼吸を調えるように大きく息を吸うと「何処で会ったの?」 「何時ものところさ」 「そう」 乃亜は、フッと笑って「何だか楽しそうだった……あの写真」 そうだ。この前コウに見せてもらった写真もそうだったが、麻希やコウと一緒の亜矢乃の笑顔は全く作っていない。 これが本当にあたしの笑顔なのだろうか…… 彼女は、写真の中で微笑む自分の姿を羨ましくさえ思うのだった。 閉ざされた暗闇から抜け出して明るく元気に振舞う自分。もしかしたら、それが亜矢乃の姿となって現れたのかもしれない。 乃亜はそんな気がした。
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