「隣のこいつが麻希さ」 コウは乃亜と仲良く肩を抱き合っている紅い髪の娘を指差した。 「本当に憶えてないのか?」 青ざめた表情で写真を見入る乃亜に、コウが言った。 まるで現実を逃避した世界の出来事のように、画像に移るその笑顔は明るくて無邪気なものだった。 「由衣島、どうした?」 店長が離れた場所から声を掛けてきた。その声で、乃亜はいきなり現実に引き戻されたような気がした。 「あ、すいません。今いきます」 乃亜は店長にそう言ってから 「ねぇ、今日の夜会えない? 詳しく聞かせて」 「あ、ああ。いいけど」 「あたし、ここ十時に上がりだから」 乃亜はそう言って、コウの返事も聞かないうちに、足早にレジへ戻った。
バイトが終わると、外でコウが待っていた。 「ファミレス行こう。麻希も来てる」 「呼んだの?」 「ああ。その方がいいだろ」 二人は国道沿いに在る、近くのファミリーレストランへ向かった。 店内に入ると、麻希はコーヒーを片手に微笑んだ。 窓際の席は、店内の明るさが外の暗闇を別世界のように映し出していた。まるで、窓枠の中に描かれた、薄汚れた暗い絵画のようだ。 乃亜は頼んだ料理に手を着けるのを忘れるほど、二人の話に聞き入った。 麻希が乃亜と知り合ったのは三月半ばのボスコというカフェバーで、それから度々一緒に呑むようになったという。 そして、乃亜と会話していた麻希は、亜矢乃の喋りは、もっとハイで乱暴だと言った。 「俺も、話してみて、あれ? やっぱ人違いか? って思ったよ」 コウが言った。 「でも、どう考えても亜矢乃だよ」 乃亜の顔を見つめ直すようにして、麻希が言った。 その瞳は綺麗な黒色で、以前会った時はカラコンをしていたのだと、乃亜は気付いた。 コウは最初にレンタル店のレジで乃亜と会った時、知った顔だったので少しはにかんだ笑みを浮かべたのだ。 「でも、そんなに親しくなったなら、携帯番号くらい知ってるんじゃないの?」 乃亜が二人に言った。 「亜矢乃は番号教えてくれないよ。あたしの番号は入ってるはずだよ。コウはまだ教えてないか」 乃亜は慌てて自分の携帯を取り出すと、アドレスデータを引き出した。 二ノ宮麻希……自分が知らないはずの麻希の番号が、しっかりとメモリーに入っていた。 乃亜は息を飲んでそれを見つめた。 学校の友達では無い。そんな名前の知り合いは同級生にはいないのだ。これはどう考えても、今目の前にいる、自分にとっては今日初めて言葉を交わした二ノ宮麻希以外の誰の番号でもない。 乃亜の血の気が引くほどの驚きを見て、コウも麻希も何となく気の毒そうな目で彼女を見つめていた。 乃亜はひと通り二人から話を聞き終えると、ようやくアイスコーヒーに口を着けた。 氷がだいぶ解けて、上の方が半透明な色をしていた。 まるで現実味が無い。 自分が自分の知らない間に、夜な夜な飲み屋に通っていると言うのだろうか。 自分の知らない化粧を施して、自分が飲んだ事も無いカクテルを手にして…… 「ねぇ、一度お医者に見てもらった方がいいんじゃない」 麻希が心配そうな顔で乃亜を見つめた。 最近知らない名前からメールが入る事がある。 乃亜は出会い系の迷惑メールの類だと思って何時も速攻削除しているが、もしかして自分の知らない間に出会っている人は、コウと麻希だけではないような気がして来た。 時折、いつの間に眠ってしまったのか記憶がない事がある。 朝目が覚めるとベッドの中で、何時お風呂に入って、何時パジャマに着替えたのかも判らない。 そんな日の朝は頭痛が酷くて、何時も考える事をお座なりにしてしまう。 自分の知らない所で動き回るもう一人の自分……何時かテレビで見た事がある。 そんな……あたしはいったい何者………?
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