乃亜は何とか家までたどり着いた。頭痛薬を頬張るように飲んでベッドに横たわった。 もうろうとする意識の中、あまりの頭痛の激しさに眠りに入ることは出来なかった。 水で濡らしたタオルを頭に当てると、そのひんやりとした心地よさで、いくらか痛みが和らいだ。 それでも小一時間もしないうちに薬が効いたのか、彼女はそのまま深い谷へ吸い込まれるように眠りに落ちた。
翌朝の目覚めは良かった。昨日の激しい頭痛が嘘のようだった。 インスタントコーヒーを入れて、テレビを点ける。何時ものワイドショーが画面に映し出された。 窓の外から聞こえる小鳥のさえずりが何となく心地よくて、呆けたまま彼女はテレビの画面を見つめていた。 しかし、ふと我に返った乃亜は、自分の心にぽっかりと空いた空洞が、あまりにも大きい事に気が着いた。 ナツミ……乃亜が何でも話せるのはナツミだけだった。 ナツミがこの世にいない事を思い出して、途端に心が萎んでゆくのを感じた。 くだらない事でも思わず笑い合え、何時も心の隅で何となくお互いの事を思いやって、会話が無くてもまったく気が置けない間柄。 そんな相手は、そうそう出逢えるものではない。
修学旅行中の深夜、こっそり入った風呂の帰り、乃亜は常夜灯が灯るほの暗いロビーに佇む自販機でジュースを買って部屋へ戻ろうとした。 「こら、お前こんな時間に何してる」 見回りの教師に見つかった。 「こそこそなんだ。ジュースを買いに来てたな。夜十時以降は部屋から出るのは禁止だろう」 その男性教師は生活指導も行っている学年主任だった。彼女の顔を確認すると 「おまえ、三組の結衣島だな」 乃亜は別に叱られるくらいどうでもよかった。この旅行中は父親から逃れられる。それに比べれば教師の説教ぐらいなんでもない。 乃亜は沈黙した。 「先生、違うんですぅ」 ナツミが廊下の角から顔を出した。 「あたしが頭痛くて、薬飲むのに乃亜が、由衣島さんが飲み物買って来てくれるって……」 「なんだ瀬戸、頭痛か?」 「あたし、頭痛持ちなんです」 「しょうがないな…… 薬はあるのか?」 「はい」 「じゃあ、静かに部屋に戻れよ」 教師はそう言って、廊下を歩いて行った。ナツミは教師に背を向けて、小さく舌を出した。 「ナツミ……」 「乃亜がいなかったから、どうしたのかなって」 ナツミはそう言って笑うと「お風呂?」 「えっ、うん……」 「石鹸の匂い。先生に気付かれなくて良かったね」 「うん。髪の毛乾かしてきてよかった」 二人は声を押し殺して笑いながら、忍び足で部屋へ戻った。
おおらかで前向きで、少し呑気なナツミ。彼女を死に追いやるほどの何があの男とあったのだろう。 昨日はそれを確かめたかった。彼氏に会って、いったい何があったのか訊くつもりだった。でも、あの状況を見て、乃亜には理解できた。 他にも女がいたのだ。 ナツミは、それだけ彼に対して本気だったのだ。 細かな経緯などもうどうでもイイ。異常な憎悪だけが彼女の心の中を支配した。 乃亜はあの時、あの男――ナツミの彼氏を純粋に殺してやりたいと思った。
『今朝、東京都練馬区関町……………で、専門学校生の市川信雄さん(20歳)が自宅アパートで胸などを刺されて殺されているのが発見されました。同じく田中圭子さん(19歳)の遺体も発見されており…………』 テレビから発せられた音声に、乃亜は一瞬耳を疑った。 思わずテレビの画面を食い入るように見つめる彼女の思考がグルグルと回った。 『近隣の話では、市川さんの部屋には複数の女性が出入りしており、何らかのトラブルに巻き込まれた可能性もあると見て…………』
あの男だ。ナツミの彼氏が殺された……殺されたのは昨日……あたしが見かけた後だろう。一緒に殺された女性はあの時一緒に部屋へ入って行った娘だろうか。 きっと、他にも女がいたりして恨まれていたんだ。 ――自業自得だ。でも……あの時、あの場所に犯人が潜んでいたかもしれない…… そう思うと、乃亜は、何故だか身体中の震えが止まらなかった。
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