白くて冷たい何かが乃亜の背筋を素早く伝って、頭の中心で広がった。 「あの……いったいどう言う事ですか」 「自殺したんです……」 涙を堪える父親の押し潰された声が、乃亜の耳の中で木霊した。それは、電話を切った後も、何時までも乃亜の頭の中に響き渡っていた。 彼女は力無く、崩れるようにベッドに腰を落とした。 どうして……昨日はあんなに笑ってたじゃない…… 何で… 乃亜はハッとして顔を上げた。 アイツだ……しかし、今はナツミに会いに行かなければ…… 乃亜は急いで着替えると、玄関まで行って再び部屋へ戻った。 彼女に渡すプレゼント……これは渡さなければ。 乃亜は何故だかそんな思いでナツミに買ったプレゼントを抱えると玄関を飛び出した。
ナツミは所沢の駅裏に在る十六階建てのマンションの屋上から飛び降りた。 靴は履いたままだったが、彼女の携帯電話は屋上に置かれていたそうだ。 所沢まで戻ってきたなら、どうしてここまで帰ってこなかったの…… あたしの所に来れば、いくらだって話聞いてあげたよ…… 一緒に泣いてあげたのに…… あたし一人……一人になっちゃったよ…… 乃亜はナツミの亡骸にしがみ付いて何時までも泣いていた。 声を出して泣くのはいったい何時以来だろうか。自分の事でもこんなに泣いた事は無いかもしれない。 いくらでも溢れるように、次から次へと涙が流れて枯れる気配はなかった。 あまりにも嗚咽が酷くて息が苦しくなったが、その苦しさが気にならないほど、心が張り裂けそうな彼女の悲しみは大きなものだった。 いや、彼女の心は既に張り裂けてしまったのかもしれない。 父親の葬儀とは全く違う気持ちで、乃亜は彼女を見送った。葬式はこんなに悲しいものが本当なのだと実感した。 祭壇に飾られた遺影の笑顔を見るたびに、何度でも涙が込み上げてきた。 ナツミが死んで三日目、葬儀が終わって直ぐ、乃亜は洋服を着替えると自転車を飛ばして駅へ向かう。 ナツミから一度だけ聞いた事があるが住所までは知らなかった。 だから乃亜は、ナツミの両親に頼んで彼女の携帯電話を見せてもらった。アドレスに記された彼氏の住所を記憶する為に。 その時見た彼女の携帯メールの送信トレイには、「ありがとう」と言う、乃亜宛の返信メッセージが送信されないまま残っていた。 どうして、返信してくれなかったの…… 乃亜は、再び溢れる涙を、必死で拭った。
武蔵関の駅を降りると、右も左も住宅街が広がっていた。ブロック塀に張り付いた住宅地図を見て住所と番地の場所を確認する。 乃亜が歩き出すと、ちょうど同じ方向に向かうカップルが前方に歩いていた。 最初は偶然同じ方向だと思っていたが、何処までも乃亜と同じ方向へそのカップルは歩いてゆく。 男の方は少し長めの茶色い髪が、歩く風で後ろに柔らかく靡いている。丈の短いブルゾンにハードウォッシュのジーンズはよれよれだった。 女の方は、軽そうな金髪を揺らしながら、白いニットにモノトーンのタイトなミニスカを履いて、ショートブーツがコツコツと音を鳴らしている。 乃亜は後ろから二人を観察しているうちに、異常な胸騒ぎがした。 何度か、ナツミに彼氏の写メを見せてもらった事はあるが、後姿では判別できない。 不安を抱えたまま、乃亜は自分の進むべき方向へ歩いた。
少し寂れたアパートの二階、一番左の部屋に二人は入って行った。 乃亜はすぐ横の電柱に付いたプレートで番地を確認する。アパート名も合っている。 そして、そのカップルが入って行った部屋番号はナツミの彼氏のものだった。 あの男が、ナツミの彼氏……彼女の葬儀に顔も出さずに女と手を繋いで部屋に連れ込んでいたあの男が…… 乃亜は、激しい怒りが込み上げて来た。 ナツミはどんな思いで…… 送信トレイに残されていた「ありがとう」の文字。 乃亜に送りきれなかったその文字が彼女の中に何度もフラッシュバックした。 頭の芯が熱くなって、こめかみに針を刺したような痛みが走ると、途端に目の前に靄が掛かるような感じがした。 あまりの怒りに、彼女は意識が遠のいて行く気がして、静かに目を閉じる。
* * *
「なんだ、酔っ払いの姉ちゃんか」 「そんな所で寝てるとヤラレちゃうよ」 妙な話し声と、微かな笑い声で乃亜は目を覚ました。辺りは真っ暗で一瞬ここが何処なのか判らなかった。 「駅……うう…」 頭を動かすと、酷い頭痛がした。 ゆっくり立ち上がって駅名を確認すると、乃亜がいたのは武蔵関の駅のホームだった。 頭が混乱する。確か、駅を出て、ナツミの彼氏の家まで…… 「うう……イタぁ」 あまりの頭痛で、乃亜は再びベンチに腰を降ろして頭を抱え込んだ。
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