人は相手のどんな所に魅力を感じるのだろうか……何がキッカケで相手を好きになってしまうのだろうか。 それより、僕と付き合った娘は、僕の何に惹かれたのだろう。 紫里は涼しげな眼をパチクリと瞬きさせて、愛くるしい一直線の視線を注いで喋る。 その見つめる視線は僕を捕らえて離さない。 魔法にかかった道化師のように、ついつい彼女の言葉に応えようとしてしまう。
「あ、相川君は白鳳《はくおう》工業高校だよね」 「ああ……そうだよ」 窓際の席に着くと、彼女は直ぐに口を開く。 「部活は美術部。ゴールデンウイークに、毎年他校と合同で展覧会してるよね」 「あ、ああ……よく知ってるね」 「誕生日は七月四日のアメリカ独立記念日なんだよね」 どんだけデータ収集してんだ……。 「そ、そうだよ」 僕は彼女に見つめられるまま、苦笑した。 彼女は相変わらず僕を真っ直ぐに見つめながら、手をヒラヒラさせて自身の顔を扇ぐ。 日差しが暑いのか、照れて熱いのか。 「なんか、暑いね」 白い歯を見せて少しはにかむ。 僕の自己防衛本能が発動する。 魅入られて理性を失うな。 蛇に魅入られた蛙の如く、身体は微かに硬直する……。 それを防ごうとするかのように、僕は時折視線を僅かにそらして彼女の頭に着いたピン止めなどを見る。 ガンブラックのような、淡く紺色に艶の在る黒色のピン止めが、日差しを細く撥ね帰す。 それでもこちらを見る彼女の視線がくすぐったくて、今度は周囲を見渡したりした。 落ち着かない。 手のひらの汗を、ジーンズで拭った。 「あ、あたしは水泳部。と言っても、今日退部届けを出してきた帰りだけど。誕生日は8月15日。終戦記念日だから、よろしくねっ」 彼女は少し速い口調で言うと、笑顔のまま手元のコーラを飲んだ。 いや、飲むのだと思ったら、ストローに口をつけるとブクブクっと息を吐く。 炭酸が泡だって、氷が音をたてる。 さすがにギョッとして身を引いた。 彼女はそんな僕の微妙な表情に気付くと 「炭酸弱めないと飲めなくて」 「そ、そう……」 僕はさり気なく笑って「水泳得意なの?」 「うん。平泳ぎと背泳ぎ」 この時期にも既に水泳部の部活が在るという事は、温水プール設備の噂は本当らしい……訊きたい事は山ほどあった。 しかしそれより、清楚でどこか凛として、何時も遠巻きに見ていた伝統ある女子高の生徒は、間近に接するとごく普通の笑顔で僕の目の前にいた。 しかもこの娘は行動が微妙……。 「なんで辞めたの?」 「うん……見切りをつける、いい機会だと思ってさ」 一瞬だけ彼女は駐輪場の方を悲しげに見たが、直ぐに僕に視線を戻すと目を細めて微笑む。 見切りという言葉を、僕は深く考えなかった。 「でもラッキーだった」 「ラッキー?」 「だって、春休み前に何度か声をかけようとして何時も失敗して、こんな日に偶然機会が来るんだもの」 「あ、あのさ……なんで、俺?」 僕はどうにも不に落ちなかったのだ。 こんな事男として生まれて初めてだし、だいだい会った覚えの無い娘がいきなり声をかけてくるか? ゼッタイ何かの悪戯だと思った。 もしかして、好聖館ではやっている悪い遊びかもしれない。 最近見かける学校裏掲示版にでも書かれたらしゃれにならん。 「えっと……白工(白鳳工業高校)の近くに友達の家があって、よく遊びに行くの。それで、相川くんを見たのよ」 「近くって?」 「裏門の傍。相川くん何時も裏門を使うでしょ?」 「あ、ああ」 確かに僕は裏門を利用している。 駅からだと、正門まで無駄に住宅地を回り込む立地なのだ。 だから、電車で来る連中のほとんどは裏門を利用する。 僕はいまひとつ不に落ちないまま頷いたが、彼女の視線に囚われるとそれを否定する事は出来なかった。 「で、でもさ。いきなり付き合うとかでいいわけ? お互いに全然知らないじゃん。外見以外」 紫里は一瞬だけ考える素振りを見せたが、それはほんとに瞬くほどの一瞬だった。 「じゃあさ、これからどっか行こう。お互いに知り合おうよ」 「はあ?」 「ねっ、いいでしょ。そしたらあと、決めるだけじゃん」 「いや、決めるだけって……そんな」
僕は結局、これから遊ぶ約束をしていた幸彦に電話をした。 『はあ? なんだよ、急用って?』 大きな疑問符が、電話の向こうから喚く。 「だから、急な用事だよ……そう、おふくろに買い物頼まれてさ」 『おふくろさん帰ってきたのか?』 「はぁ?」 『おふくろさん、先週出て行っちゃったんだろ?』 そう。僕の母親は先週いきなり家を出て行ってしまった。 オヤジに女がいたらしい。 仕事人間だと思っていた親父に裏切られた事がよほど悔しかったのか、おふくろは親父のクレジットカードを財布から全部抜き取って出て行った。 それでも親父は隠し持っていたアメックスのゴールドカードがあれば問題ないと言って笑っていた。 そんな家にいるのは、最近息がつまる。 ただ、親父が仕事人間なのは本当の話しで、おかげでずいぶん速い昇進を繰り返していたらしく、今では会社の役員の一人らしい。 だから、家にはほとんど帰ってこない。 そんな親父も、本当は息抜きのつもりで外の女に手を出したのかもしれない。 いくら生活が安定しても、家庭を顧《かえり》みなければ意味が無い事を、大人は忘れてしまうようだ。 それとも、安定と喧騒の狭間で混乱する現実から逃げたくなるのだろうか。 「あっ、あぁ……そうだよ。一時帰宅してさ、それでいろいろ」 『一時帰宅? そんなのあるのか?』 「とにかくさ、明日な。詳しい言い訳もするからさ」 僕は早々に電話を切った。 「よかった。じゃあ一緒に遊べるね。何処行く?」 横で様子を覗っていた紫里は、肩に着いた髪の毛を後ろへ払うと、僕を見つめて笑った。 瞳の中に白い太陽の陽が映りこんでいた。
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