五日後、月島兎瞳はこの世を去った。 あの日の翌日目を覚ますと、彼女は元通り十七歳の少し崩れた少女に戻っていたらしい。 その四日後の朝、静かに眠るように彼女はこの世に別れを告げたそうだ。 僕は紫里からの連絡でそれを知ったが、ついこの間一緒に笑顔を交わした人間がこの世に存在しない事実を実感できなかった。
僕と兎瞳の関係は……いったいなんなのだろう。 彼女にとって僕は、本当に大切なひとだったのだろうか。 僕は通夜に行くべきなのだろうか。葬儀に参列するべき人物なのだろうか。 結局僕はその晩、制服を着込んで弔問に出かけた。 入りづらかったら家の前で引き返せばいい。そんな気持ちで出かけた。 しかし、月島家は思いの外しんと静まり返っていた。 月の光が照らしだす薄闇の中、喪中の行燈がぼんやりと浮かんで静寂を満たしている。 普通、学生が他界すればクラスメイトが沢山弔問に訪れるだろう。担任教師や校長や、塾の講師やバイト先の友達や……。 でも、兎瞳にはクラスメイトも担任教師もいない。いるのは小学からの親友である紫里だけだった。 両親の知り合い関係らしき数名は出入りするものの、こう言ってはなんだけど通夜独特のひと気というか喧騒というか、そう言うものが全く無かった。 その喧騒は普通、故人への家族の悲しみを一時《いっとき》でも救ってくれる物だと思う。それがないと、ただ悲しみだけが充満して息苦しくなるのだ。 「来てくれたんだ」 門扉の所で暫く躊躇している僕に、敷地の中から声をかけてくれたのは兎瞳の母親だった。 僕は静かに促されるまま、家の中へ入り弔問する。 綺麗な顔をしていた。 死に装束と言うのだろうか。 兎瞳は綺麗で、まるで眠りについたお姫様のように棺の中に横たわっていた。 それは僕にとっても、紫里にとっても僅かながら救われる事だったに違いない。 供物の中に、彼女が好きだった真っ赤なラズベリーの山があった。 艶やかに紅く、それはルビーのようにひと際輝いていた。 紫里は俯いたまま、涙も枯れたように部屋の隅に座っていた。 まるで人形に取って代わってしまったかのように、正座をしたまま俯いた前髪が顔を覆って動かない。 焼香の香りに眠る、疲れ果てた旅人のような彼女に、僕は声をかけられなかった。
翌々日に、火葬の為僕は再び月島家へ出向いた。 梅雨の最中とは思えない、暑い日差しが注いでいた。 斎場へ彼女を運ぶ車の装飾が、陽を浴びてギラギラと光っていた。
陽の光に向かって真っ直ぐに、彼女は昇る。 彼女はようやく思う存分蒼天を駆け抜けることができたに違いない。 「大丈夫?」 三日間の葬儀が全て終わった夕刻、月島家を出ると僕は紫里に声をかけた。 最後までいたのは僅かな親戚と僕達だけだった。 「兎瞳は淋しかったんだよ」 「ああ……」 「もっとみんなと遊びたかったと思う」 「ああ」 紫里はただ呟くように言った。 僕は同じ応えを繰り返すしか思いつかなくて、ゆっくりと紫里の足取りに歩みを合わせるのが精一杯だった。 彼女が何かを言う度に、兎瞳の幼い笑顔が脳裏に浮かんだ。 「でも……楽しかったね」 「ん?」 「ゲーセンとかプリクラとか……ウサギ追っかけたりとか」 「そうだな。楽しかった」 紫里は相変わらず俯いたまま「ありがとう、哲」 「なにが?」 「あたしのウソに付き合ってくれて」 「別に……俺も楽しかった」 少しの沈黙が、風を誘う。 僕は自然に頭に浮かんだ言葉を発した。 「あれはウソじゃないよ」 紫里は無言で顔をこちらに向けた。 「兎瞳にとっては、全てが事実なんだろ」 彼女にとって、どれだけつじつまが合わなくとも、どれだけ矛盾が生じようとも、兎瞳自身が信じることはすべて本当の事なのだ。 その中で彼女は生きていたのだから。 「そうだね」紫里はようやく小さな笑みを作ってみせた。 兎瞳を連れて家を抜け出した夜、きっと僕達は世界で一番特別な関係になったような気がする。 想いを寄せ合う三人が、それぞれに恋物語を演じていたのだ。 それがホンモノでなくても、その感覚、空気、息使いはホンモノだ。 けっして交わる事のない、恋物語。 それは風に吹かれるように流れ、ただ消えて行くだろう。 帰り道で兎瞳が突然呟いた「死ぬって、どんなだろうね」という言葉を思い出した。 僕にだけ囁いた彼女の心の叫び……自分なりの死に対する不安の声だったのだろうか。 彼女は、確かにそれを知っていたのだ。
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