春休みに出会って付き合いだした紫里は僕を騙していた。 それどころか、彼女は頻繁に撮った写メを利用してパソコンで別の誰かと一緒のプリクラ写真を製造していた。 その光景ははっきり言って気味が悪かった。 自分の顔が、誰か知らない女の子と並べられて小さな画面の中にいる。 一言では言えない複雑な理由がありそうだけど、単純に彼女の悪癖ではないかという不安も沸き起こる。 とにかく僕は気味が悪かった。 心の中で黒く淀んだ不安が、今までの思い出を呑み込む。
「兎瞳《うさみ》は生まれつき紫外線の下にはいられない体質なの。紫外線による細胞破壊を自力で修復できないのよ」 「細胞崩壊?」 人間の表皮は日常の日差しで小さく崩壊する。 それらはその都度勝手に修復されて普通の人は何も感じないのだそうだ。
紫里は手元のカップを口に着けて、少しずつ話しだす。 視線はカップから離れない。 「彼女の家が哲の学校近くに在るのはホントよ。裏門の路地を挟んだ二階建ての家」 僕はよく裏門から出入りする。正門へ廻るよりも、僅かに昇降口までの距離が近いのだ。 そして、その裏門周辺の景色を思い出してみる。 路地の向い側には何軒か家が並んでいるが、兎瞳という娘がその何処に住んでいるかはもちろん想像がつかない。 「でも……じゃあ、彼女の変わりに紫里が俺とデートを?」 「うん……兎瞳に臨場感を味わって欲しかったし……」 「じゃあ、もしかして携帯電話に着けるストラップも?」 紫里は小さく頷く。 僕は数日前に彼女の携帯を見た時、ようやく僕とおそろで買ったストラップが無い事に気づいた。 美咲と学食で話した日だ。 「いくら友達の為だって、普通そんな事するか? ありえねぇ。意味わかんねぇ。普通じゃねぇよ」 紫里は応えなかった。 「俺にウソついてまで、そんな事してどうなる? 何の意味があるんだよ」 空想のプリクラで恋愛を疑似体験できるもんか。 「お前ら、おかしいんじゃないのか?」 僕の声は大きくなって、深く静まった部屋に響いた。 彼女は唇を歪めて、顎の先に梅干の種のようなシワを小さく作った。 「意味はあるのよ……」 紫里は一度言葉を呑み込むと、言いたげな言葉を幾つも選び抜いているかのように、口を歪めてる。 「死ぬって決まってる兎瞳には、充分意味があるんだよ」 彼女の唇が小刻みに震えていた。 「死ぬ……?」 「同じ病気で苦しんでいる人は、成人する前に100パーセント死ぬわ」 俯いた紫里の睫毛の隙間から、ぽたぽたと素早く雫が零れ、テーブルを濡らした。 僕は瞬きをするのを忘れるほど、彼女を見つめていた。 成人する前に死ぬ? それが決まっているという事は、いったいどういう事なのか実感がない。 僕達はもう直ぐ十八歳だ。既に十八歳になってるクラスメイトもいる。 成人まであと二年もあると思っていたけれど、それが寿命の最大上限と言われると、その二年はあまりにも短い。 紫里の白い顔が、急に果敢なげに見えた。 ブラウスから伸びる白い首筋が愁いに光っている。 大きな窓が僕の後ろにあって、そこから西陽が注いでいるせいだ。 「兎瞳は症状の悪化が極端に遅い方で、早い子供は小学生頃には精神の崩壊が始まって間も無く死んでしまう」 「精神の崩壊?」 「紫外線に触れないと、人間は精神安定に欠かせない物質を体内で作れなくなって、心が不安定になるの……最近兎瞳も……」 紫外線に触れない生活が精神を犯すなんて初めて聞いた。 ――じゃあ、地底で暮らせないじゃん。 そんなどうでもいい理屈が僕の頭の中を駆け巡る。 「哲の事を何時も見ていた兎瞳は、何時もあなたと話がしたいって言ってた」 「別に会うくらい、いいぜ」 「さっき言ったでしょ。精神が不安定になってるって……もう普通には話せないのよ」 「普通に話せないって?」 「話題が行ったり来たりして、きっと哲はついていけないよ。もう、手遅れなのよ」 紫里は自分が言った「手遅れ」という言葉に、自分で反応した。 肩が震え、再び涙が零れた。 僕は何だか判らないまま、やっぱり彼女を見つめていた。 頭の中が混乱して、うまく思考が整理できない。 だって、精神に問題を抱えた人と話した経験が無いから想像ができない。 それは僕達が日頃罵倒する『バカ』とか『阿呆』とか、そんな上辺の滑稽な装いとは全く違うものだ。 命の灯火が消えるカウントに脅え、病魔に犯されてただ生きる少女の崩壊した精神など、僕には想像がつかない。 僕はただ夕陽が差し込む紫里の部屋で、言葉も無く、妙に艶やかなテーブルを見つめていた。
【6月7日PM23: 21】
………………………… 驚愕を受けた。 今は動揺を抑えるので精一杯だ。 彼女は親友の為に僕と付き合っていた。 この複雑な理由について、ここで書くわけにはいかないのだが……。 とにかく僕の頭は混乱して……それでも彼女の親友を思う気持ちに僅かな感動さえ沸き起こる。 僕は騙されていたのに、それを罪に問う事ができない。 僕にもれっきとした良心が存在して、彼女とその友人である人を不憫に感じているのだ。 命に関わるウソなら、神様も許してくれるのだろうか。
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