「な、なんだよコレ……」 紫里が自分の部屋のドアを開けた時、僕は思わず声に出した。 飛び込んできた白い壁、その空間に置かれた不可解な存在に息を呑んだ。
彼女の家は外から見てとれた通り、二階から住居になっていて、石畳の綺麗な階段を登って玄関を入ると、キッチンや浴室もすべて二階に位置していた。 リビングから浴室へ続く廊下の途中に下り階段があって、店のバックヤードへも家の中から通じている様子だった。 下り階段と少し位置のずれた場所には上に向う階段。 その階段を上ると直ぐに洗面所があって、廊下の角を曲がって紫里の部屋はあった。 彼女は覚悟を決めたようにゆっくりとドアノブを廻す。 南向きの大きな窓から日差しがたっぷりと降り注いでいた。 外観的デザインの影響だろう。南東の角は内側に入りくんだ作りで、そこにも小さな窓がある。 南東の出窓際には備え付けの棚があって、ドアの横からは大きなクローゼットの扉が続いている。おそらくウォーキングクローゼットだろう。 部屋に入った瞬間、女性独特のファンデーションとムースの混ざった甘ったるい匂いが嗅覚をくすぐる。 それは不快なものではなく、些細な緊張が解ける。 しかし僕にはそんな香りを堪能している暇は無かった。 視線が捉えたモノを理解する事に、脳内思考の殆どを注いだから。 「お前、ここで何してる?」 僕の声は微かに震えていた。 彼女に促されて、僕は小さなローテーブルの間に腰を下ろすと雑にあぐらをかく。 「ちょっと待っててね、何か飲み物もって来るから」 紫里はそう言って、ドアを開け放したまま部屋を出て行った。 彼女の部屋は女の子らしく片付けられていた。 ベッドカバーに朝の寝起きの乱れはなく、綺麗に整えられている。 フローリングの床は艶やかで、中央に敷かれた大きな犬のキャラクターが刺繍されたセンターラグにも誇りや髪の毛ひとつない。 しかし……。 雑に組んだあぐらは、落ち着き無く揺れた。 座った位置から首を伸ばして、再び不可解なモノを眺める。 学習机の上に置かれたノートパソコンと、その横にある木製のアンテーク調ラックに置かれたマルチプリンタ。 その周辺には見覚えのない奇妙なプリクラ写真に似たものが幾つも散乱していて、僕の目をクギ付けにする。 僕の画像の横には知らない娘が仲良く映っている。 それは僕が参加して撮ったものではない。おそらくPCソフトを使って加工し自作したものだ。 そのレパートリーは様々で、今まで撮った数々の僕の写真が使われ、見知らぬ少女の隣で笑っている。 いや、僕の横で微笑む彼女は見た事がある。 何処で見たのか、ほんの少しぼんやりと僕は考えた。 天井には埋め込み式の照明器具、部屋の角にはスポット照明までついていた。 僕はプリクラの少女を思い出す。 紫里の手帳に唯一貼られていたプリクラの娘だ。そして、紫里の携帯の画像フォルダに唯一在った写メの画像でもあった。 友達……なのだろう。しかし何故? 僕はその先が考えられず、想像できず、微かに脅えていた。 想像を絶する事に、人は恐怖するのだ。 それがどんなに可愛らしく自分を見つめる女子高生だろうと、想像できない行動を目の当たりにすれば、やはり気味が悪い。 少しして部屋に戻って来た紫里は、アンティーク調のカップに入ったカプチーノを二つ、テーブルに置いた。 香ばしい香りが部屋を満たす。 「冷たいほうがよかった?」 「いや……どっちでも」 まるで初対面のような、気まずい空気が部屋を包み込む。 「引くよね……」 彼女は静かに言った。 ここへ辿り着くまでに何度か見た、やっぱり悲しげな笑みを浮かべる。 「いや……」 僕は紫里の潔《いさぎよ》さに、言葉が出ない。 好聖館だから、変わり者でも仕方ないのか? しかし、やっぱり納得できない。 「あれ、何?」 僕はプリンタの用紙排出トレーに乗ったままのプリクラもどき写真を指差す。 「プリクラ造ってるの……」 「それは判るけどさ……」 紫里自身と僕とのものだったら、何となく判る。 まだ理解できる。 彼女が僕との空想の世界を堪能しているのかもしれないから。 そのぐらいの変わり者なら、苦笑混じりで共感もできるだろう。 しかし、どうして僕の知らない娘と僕を合成させたプリクラ写真を作る必要があるのか? 「でも、何で? あれ誰?」 僕は困惑を隠せずに苦笑する。 苦笑する以外の表情は思い浮かばなかった。 どんな表情をしていいのか判らなかった。 強く軽蔑しているわけでもなく、彼女の行為に絶望したわけでもない。ただ、何となく気味が悪かった。 しかし、彼女は別に僕をストーキングしていたわけではない。 この数ヶ月間ちゃんと付き合ってきたのだ。 それなのに、彼女の自作しているプリクラには紫里の姿は無い。 「友達……」 紫里は何時に無く短い言葉で応える。 「友達って?」 「ご、ごめんね……」 紫里は俯いたまま言った。 「意味わかんねぇよ」 僕は彼女の「ごめんね」を自分なりに理解しようとした。 結論……私はあなたの事を好きではありません。 僕にはそう聞こえた。声が苛立つ。 「なんで、こんな事?」 「あの娘は、月島兎瞳《つきしまうさみ》。あたしの親友」 「だから?」 「彼女はあなたが好きです」 僕は紫里の言った言葉を自分の頭の中で整理した。 「俺を好きなのは、その月島って娘なの?」 紫里はコクリと小さく頷いた。 「じゃあ、どうして彼女が俺の前に来ないんだ? なんでお前がこそこそ俺の写真なんか収集してるんだ?」 僕の声が少し荒々しくなって、紫里の全てを突き放した。 「どうしてお前が俺と付き合ってるんだ?」 「彼女は……兎瞳《うさみ》は会えないのよ」 会えないという言葉の意味を、僕は短い時間で咄嗟に考えた。 「死んだ……とか?」 紫里は僕の言葉に小さくかぶりを振る。 黒髪がスローモーションのように、左右に揺れる。 「じゃあ、どうして? 紫里が橋渡しをするのは判らないでもないけど、どうしてデートまで演じるんだ? どうして俺と付き合うフリとかするんだ?」 紫里はゆっくりと言葉を選ぶように、テーブルのカップを見つめて口を開いた。 「兎瞳は外に出られないの。いえ、正確に言うと日差しの下に出られない」 まるでドラキュラだ……そんな人間がいるものか。 「日差しの下に出られない?」 僕は困惑して彼女を見つめるが、紫里は表情を変えない。 明るい笑みではなく、終始淀んだ、そのくせ涼しげに小さく微笑んでいる。 棚の上に乗ったオルゴール時計が音を奏でた。 作者は知らないが、楽曲名は知っている。あまりにもこの場に似合いすぎる曲だと思った。 午後4時を告げる曲は、「別れの曲」だった。
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