僕はテーブルに手を伸ばして紫里の携帯に触れた。 彼女はたった今、トイレに立って席を外したのだ。 テーブルに無防備に残された携帯電話。 僕は彼女の携帯に触れた瞬間躊躇して、指先に力をこめる。 チラリと視線を移すと、トイレの在る奥の角に、紫里の後姿が消えるところだった。 二つ離れた席から、高らかな笑い声が聞こえる。 穏やかに自由な空間が、冷たく硬直する気がした。 僕は周囲の目を気にして周りを覗った。 みんな自分たちの話しに夢中で、他人の事など見ていない。 ……大丈夫だ。だれも俺を見ていたりしない。 他人の携帯を覗こうとする、不道徳な自分に誰も気付いていない。 彼女の携帯電話を掴んで素早く自分の胸元に引き寄せて開く。 プリクラ同様によく撮る僕や二人の写メは、この中に入っているのか? 僕はなんだかよく判らない不安を抱きながらメモリーの中を探った。 幸いメーカーが同じ機種だから、操作は僕の携帯電話とさほど変わらなかった。 真っ先に画像フォルダを覗くが、友人らしき画像が数点と住宅街の片隅で撮ったらしい犬や猫の写真が数点。 どのカメラアングルも犬や猫と同じ目線の高さなのが紫里らしい。 この時点で特に焦りはなかった。 大切な画像は、メモリーカードに保存する事も多い。 僕は迅速にメモリーカードにアクセスしてピクチャーフォルダを開く。 何も無い……いや、紫里の友達らしき女の子の画像が数点ある。 紫里と一緒に撮った物もあった。 僕は紫里の隣で微笑む彼女を何処かで見た気がした。 同い年にも見え、どこか幼くも見える。ただ、特徴的違いから姉妹ではないと思う。 ふと思い出した……デジカメより荒い画面がぼやけて蘇える。 それは、紫里の手帳の隅に唯一貼られていたプリクラの娘だ。 しかし何故、僕の写真が無い? 昨日撮った画像は何処に行った? それとも、毎日小まめにパソコンに保存するのか? いや、それでも携帯メモリの中の画像をいちいち消去はしない。 付き合っている最中なら、なおさらだ。 普通は彼氏の画像は持ち歩くのが自然だろう。 僕は思案を巡らせるのは後にして携帯を閉じると、寸分たりとも狂うことが無いようにテーブルの上にそれを置いた。 途絶えていた喧騒が、再び耳に蘇える。 視線を上げると、ちょうど彼女の姿が店の奥から出て来た。 彼女は何時ものように笑顔を向けると、コーヒーを飲み干す僕に携帯カメラのレンズを無邪気に向けた。 紫里は二回シャッターを切って、ホクホクと微笑みながら携帯を閉じる。 「なあ……」僕は、言葉を呑み込む。 「なに?」 彼女の笑顔があまりにも無邪気だったから。 「そんなに写メとったら、直ぐにメモリーイッパイになるんじゃない?」 「大丈夫だよ、イッパイになったらパソコンに移しちゃうし、SDカードも予備があるから」 紫里はそう言いながら、氷の入った水を口に着けた。 「へぇ、俺なんて付属で貰ったSDカードのまんまだぜ」 僕は無理に彼女の話しの流れに乗り、笑って見せる。 心の中で不完全に燻った小さな疑惑の火種を、自分の手でそっともみ消した。 窓の外は初夏の匂いを漂わせる蒼穹《そら》が何処までも続いて、萌黄色に霞んでいた。
【5月16日22:45】
………………………… 彼女の携帯電話に僕の画像は無かった。 散々撮っている僕の画像、二人の写真は何処へ消えるのか。 本当にまめにパソコンへ保存しているのかもしれない。 彼女の性格だと、それも充分考えられなくも無いのだが。 それでも僕は、なんだか解らない不安に囚われる。
|
|