幸彦は一緒に話していても、何処か僕の後ろの何かに視線を囚われている事が在る。 こっちの話しを聞いているのかいないのか……相づちも非常に曖昧だ。 外でお茶なんてしていると、特に視線は何処かへ泳ぎだす。 聞いてるか聞いていないのか、あからさまな疑問が湧くと、僕は話しを途中で飛ばす。 話しがいが無いにもほどがあるからだ。 自分の話しは一心不乱に話すくせに、人の話しは途中で飽きてくるらしい。 「なんだよ、タイプの女でもいたのか?」 「いや……なんか知った顔がいたからさ」 僕が訊くと幸彦は必ずそう答える。 彼にとって気に入った娘の顔は、全部どこかで会った顔に見えるらしい。 でも、何故か気が合う幸彦は、確かに気が置けないから一緒にいてラクだ。 そんなヤツと何時も一緒なものだから、きっと紫里の一心に見つめる視線が愛おしく感じてしまうのだ。 しかし、再び僕の心に紫里の行動に対しての懸念が沸き起こる。 鬱に満ちたほの暗い天気が、そうした気持ちを湧きたてるのか。
久しぶりの雨が朝から景色を潤していた。 教室の窓には雨粒が滴り、薄暗い校舎の中はどこも蛍光灯が照らしている。 カツカツとチョークを書きなぐる音だけが、気だるい教室に響く。 少しくすんだ淡色の光に、窓を閉め切った教室内はどこか鬱めいている。
「ねぇねぇ、見て見て。この前撮った写メ」 美咲が学食で、僕の肩を後から掴んだ。 美咲は同じ学校の工業化学科にいる。僕のいる電気科にも多少の女子は在籍するが、工業化学科は約半数が女子だ。 そのまま大学の理系に進む女子も多く、医薬品会社などへ就職する為に専門学校へ進む連中も多数いる。 ウチの工業高校は世間のイメージのそれとは違って、進学率も就職率も高い。 確かに普通高校に比べれば強面《こわおもて》の連中もいるし、やたらと練習量の多い気合で満ちた運動部員もいる。 それでも学力がそれなりにあるから、そう荒れ果てた校内風景でもないのだ。
美咲が半ば無理やりに見せてよこしたのは、公園の桜の前で撮った彼氏とのツーショット写真だった。 バックに見える桜はもうかなり散り始めていたが、美咲の笑顔を彩るには充分だ。 美咲とは中学の時からの友人だ。 彼女は僕と知り合った少し前に、時計職人だった父親を亡くしている。 時計職人なんて日本にまだ存在していたのかと少し驚いたが、国内でも自動巻き時計が見直されている昨今、機会時計を扱える職人は貴重なのだそうだ。 知り合った時から美咲の腕には男物の少し大きな時計が目立っていた。 文字盤は白で、表面を覆うクリスタルがやけに輝く上品なデザインだったが、彼女の細くて白い腕に、それは不自然で神秘的に見えた。 美咲は父に貰ったものだと言っていたが、文字盤に描かれたIWCのマークを僕はその時知らなかった。 おそらく中学生の誰もが、よく判らないメーカーの何でもない時計だと思っていただろう。 僕がIWCを知ったのは去年だ。 本屋で何気なく見たビンテージウォッチのムック本。その後のページにはIWCの現行モデルが載っていた。 どれも価格は60万円以上で、その中に美咲の腕に光っていたモノもあって、思わず膝が砕け落ちそうになったのを覚えている。 オリジナルは革ベルトなのに、どうして美咲のはステンレスのベルトなのかと訊くと、父親から貰った時は革ベルトが着いていたが、劣化してしまうと嫌だからステンのベルトに換えて使用しているのだと言う。 それを聞いた僕は、父親が彼女を思う気持ちと、美咲が父を思う気持ちは同等な気がしたのを覚えている。 父の行動に怒り家を出て行った僕の母親は、僕をどう思っているのだろう。 忙しい仕事の息抜きで女を作る父親は、僕ら家族をどう思っているのだろうか……。
「ねえ、ちゃんと見てる? ね、イケてるでしょ?」 彼女は自分一人の写真と、彼氏の写真も次々に表示させる。 錆びた鉄のような長髪を後ろで結んで片耳にピアスを着けた彼氏は、あまり賢そうには見えない。 中学から知っている美咲の成績や普段の良識在る性格を考えると、あまり釣り合っているとも思えないが……。 「やけにラブラブだな」 「うん、付き合い始めてやっと二ヶ月経ったよ」 美咲が自分の携帯画面を見て笑う。 左の手首には、相変わらず大きな時計がブラウスの袖から見え隠れしながら光っていた。
翌日の土曜日。 僕は紫里と映画を見に行き、その後同じ建物にあるファーストフード店で昼食をとった。 紫里は春限定のアイスミルクココアを見つけると、有無を言わさず注文する。 コーラをブクブクさせるのが好きなわけではないらしい。 暫く他愛の無い話を続けていると、僕は昨日の美咲を思い出した。 美咲が次々に見せた彼氏の画像。 紫里も学校の友達などには、僕の画像を見せてのろけたりしているのだろうか? 僕は急に紫里の携帯電話を覗いて見たくなった。 メールとかの盗み見ではなく、あくまで僕と紫里の写真が彼女の携帯電話の中でどう存在しているのか気になったのだ。 そして彼女と話しながら、僕の興味は膨らんでいた。 紫里がトイレに立ったのを機に、僕は紫里の携帯電話に手を伸ばした。
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