ミノルが育った田舎の家は、父のマゴが勤める村の精穀所に併設されていて、仕事が始まると機械の音と震動が居間まで伝わってきた。精穀所の高い天井を太い鉄のシャフトが縦断し、動力を伝えるプーリーの輪が連なっており、メインプーリーが電動機に接続された長いベルトから動力を得ると回転して、ガタガタと建物も揺れるのだった。精米機や製粉機や籾摺り機などと穀物を運ぶ縦型のバケットは、作業に応じてマゴが長い引っ掛け棒でベルトを架け替えて動かしていた。 精米をするために玄米の麻袋を持込んでくる人は季節に関係なくあって、ミノルも学校から帰ると手伝った。壁の電動機のスイッチはランドセルをひとまわり小さくした位の大きさで、そのレバーを上げて電気を入れると高電圧のためスパークし青白い火花が散った。袋から玄米を床の取り込み口に押しあけると、山盛りの玄米は蟻地獄のような形になって中央がへこんで吸い込まれていった。マゴは、糠をとる篩の上を何度も循環しながら斜めに流れる米を、時々手に受けて 「大分白くなってきた。つき過ぎると栄養分が飛んでしまう、もう少しだなあ」 などと呟きながら、白米になるタイミングを測った。
精穀所は村の経営で規模が大きく、精米のほかに籾摺りや製粉、押麦加工などもできたので遠方所在の人も利用した。ただ料金体系は村人よりも多少高めに設定されていた。精穀所の営業会議は村の役員が毎月事務所集まって開かれ、マゴがノートにつけた数字を説明した後は、お茶を飲みながらの雑談になったようだ。その会議が終るとマゴは 「特に変わった話はかなったが、村外からの仕事も多いので順調だ」 などと云いながら、ほとんど手付かずの生菓子を差し出すので、ミノルはいつも楽しみにしていた。
稲の収穫にあたる秋口になると、精穀所は特に忙しくなり臨時に応援の人を雇った。最初に来てくれた人は鹿児島出身のヨシキさんで、籾摺りを終えた玄米を貫目の秤で測って詰め、荒縄でしっかり縛って米俵にすると、倉庫に運んで積んだ。何年かして代わった、リョウさんは筋肉隆々の腕を見せて働いて、いつも笑顔を絶やさなかったので、親しさを覚えた。倉庫に積んだ米俵が政府に供出されて一段落すると、ミノルの母トシはリョウさん等を夕食に招いて 「結婚はいつになるのかい。いいお嫁さんがきっとくるよね」 などと聞いていた。
精穀所にはネズミが多く出たので猫の三毛を、マゴは幼馴染の綿屋の竹内さんからミノルが生まれた年に貰った。三毛はネズミを一度に二匹でも三匹でも捕まえる名手であり、 雀なども入ってくると、床から高くジャンプして手で叩き落とした。ある日、外の橋の上で頭をかすめる雀に飛びついて捕らえたものの、小川の中に落ちたので、そのずぶ濡れの姿に皆大笑いした。三毛は気が強く他の猫や犬にも平気で、 「フウー、ウー、フー」 と全身の毛を逆立てて,尻尾を太くして威嚇した。また、道を渡るのに腰をこごめて左右を見る慎重さもあったので長生きし二十歳まで生きた。
正月を迎えるため精穀所の大掃除が終る頃になると、 「小さいけれど飾ってくれなよ」 と云って、自分で作った絞め縄を持ってきてくれる人がいた。ミノルの村でも江戸時代からの差別の風潮が残っており、その人もそうだったが、マゴやトシが分け隔てなく対応したので、喜んでいた。マゴはミノルや兄のタカシに理由を説明し 「以前に、その人達を親切にしていた人の家の隣家が火事になった。そしたら、その人達が皆で駆けつけて、水で濡らした筵で家をすっぽり包みこんだ。それで延焼を受けるのを免れた、んだ。」 とつけ加えた。
もう既に、父のマゴも母のトシも猫の三毛も他界したが、精穀所にまつわるミノルの思い出は膨らむばかりである。
2009/1/23
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