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作品名:記憶の断片 作者:三毛猫三郎

第7回   盆地の稔り


最近の新聞に
“製造業の人員削減や食の安全指向で、就農希望者が急増している”
と載っている記事を目にしたミノルは
「理由はともかく、今になると、少年期の半ば自給自足であった生活も決して悪くはなか
ったのか」
と思った。

 ミノルが生まれ育った田舎は四方を山で囲まれた盆地で、その北寄りを流れる千曲川の
近くに家があった。終戦後、ミノルの父親マゴは妻と戦地で生まれた長男を伴い、運あっ
て満州から郷里に戻った。警察官だったマゴは村の精穀所に職を得て、農地解放で分配さ
れた三ヶ所のわずかな田畑を耕しながらミノル達を育てた。

 休日の晴れた朝にマゴは
「今日は飛行場の畑に行くんだぞ」
 とミノル達に云った。朝食を終えるとリヤカーに道具を積んで家族で畑に向かった。飛
行機場から換わった高校のグランを臨む以前河原だった畑は、石ころだらけで石を出す作
業がたいへんだった。大きな石は鶴橋で掘り出し、中小の石はスコップ等ですくって篩い、
出た石を畑の周囲に積み上げると小高くなった。素手で石を扱うと挟まれて傷ついたが軍
手をすると嘘のように楽になり作業がはかどった。以前銀行勤務で算盤を持っていた母親
のトシの手は、黙々と手際く雑草を引き抜いていた。 

 春先に畑へ薩摩芋やジャガイモの半分に切った種芋を植えると初夏には収穫ができた。
薩摩芋の赤茶色の混み合った蔓を引くと、本当に芋蔓式に大小の芋が土の中から顔を見せ
た。ジャガイモは周囲の土を掘ってから茎を引っ張りあげると、大きなジャガイモの間に
小さい粒芋がたくさん付いてきた。トシが
「新ジャガだから、ゆでても、煮ても美味しいよ」
 と云うと、兄のタカシはうれしそうに笑った。
ミノルが千曲川の土手の上空を見上げると亀の形をした親子雲が形ゆっくり流れ、鳶がゆ
ったりと広げた翼に風を受けて浮いていた。 

 盆地の北側にある太郎山には逆さ霧がよくかかった。山の反対側の風に押し上げられた
雲や霧がこちらの方へ滝のように白くなだれ下るのである。山腹には人指指の形をしたガ
レ場が遠くからも見えたが、大人達は
「あの場所にはマムシが多い。特に春先は子供を持って気が立っているから近づくな」
 と真顔で云った。

 梅雨が明けると田植えが始まった。蟹がいる小さな沢の田は粘土質で、長靴が土に捕ら
れて引き抜くのに、かなりの力がいった。しかし、マゴは
「ここの粘土の田で採れる米は粘りがあってうまいんだ」
 と云って、牛で代かきしたばかりの水田に束ねた苗を投げた。ミノルは苗束を拾い上げ
ほぐしながら三、四本づつ掴んで水の下の土に中指を立て差し込んだ。ときどきミノルは
疲れて痛む腰をたたきながら
「農作業は単純で退屈だな、俺は田舎から出るんだ」
 と思った。
 西の空が夕焼けになるころには、ゆるい傾斜地の段々の田植えは終わり、植えたばかり
の短い苗が風に揺れていた。

 夏の天候が順調で充分に陽光を浴びると稲穂は重く垂れ下がった。案山子などでは驚か
なくなった雀や繰り返し来る台風の被害にも免れると、村の人達の表情は明るくなった。
稲刈りの日もミノル達はリヤカーに道具を乗せて朝日の浴びる坂を登っていったが、猫の
三毛も遊びながら着いてきた。

 水田は渇いていて田植えの時よりも足周りの動きは楽だった。稲を刈る鎌は鋸状の刃を
しており、太く育った稲の株は
「ザク、ザク、ザク」
 と音を立てて気持ちよく切れたが、手を滑らせて指まで切った。ミノルが指の傷口に包
帯を巻いていると三毛がイナゴを追いかけており、トシもタカシもイナゴをつかまえて木
綿袋に入れていた。このイナゴを醤油と砂糖で煮ると香ばしく食べられた。

 昼時には畔道にワラを敷いて坐って海苔巻のおにぎりを食べた。いつもの昼食よりおか
ずの品数が多い他に隣田の人から
「ほんの少しだけれど食べてみて」
 と自慢の漬け物などを頂いたりしたので充実した食事となった。三時のお茶の時には普
段余り口にできない和菓子もトシは用意していた。親戚のお爺さんが様子を見に寄って
「今年は稲の出来がよくてよかった。作業も大分すすんでいるようだね」
 と、飴を含んだ口をモグモグさせながら云った。
 
 刈った稲は束ね、丸太で組んだ櫨にかけ二段に積んだ。干された稲は天気が続くと半月
ほどで乾燥し、“スポン、スポン”とやっと始動する重油発動機の脱穀機で籾にした。そし
て、籾の一部が精米されて薪釜で炊かれて食卓に乗った。新米はおかずがいらないくらい
甘く美味しく、猫の三毛にも食べさせると鼻を近づけたが其の熱さに躊躇って
「ニャゴ」
 と鳴いた。

 2009/1/20


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