二つ歳上の会社の同僚がコヒーを飲みながら 「小学生のころは肋膜に水が貯まるような病弱で、親元から離れて千葉県の施設に半年い たときに、山羊の乳を飲んだ」 とミノルに話した。戦後初期のミノルの田舎でも、山羊を飼い乳を搾って、大切な栄養 補給源として飲んでいた。叔父から 「骨皮筋右衛門」 と呼ばれほど痩せていたミノルであったが、どうにか育ったのは山羊の乳のおかげたっ たかもしれない。
山羊の住む小屋は父のマゴが丸太や板などで器用に造った。三方の壁は板で囲み屋根は トタンで葺き、床にはワラをひいた。それから、高いところが好きな山羊が上がれる木台 を床の一部に造り、台の下に尿が自動的に集まるよう瓶をおいた。それは近所に自慢でき るマゴの工夫であったし、餌箱に首を入れて草を食べている山羊の姿が、居間の窓から見 ることができる小屋の位置だった。
山羊の乳搾りを最初はマゴがしていたがミノル達が大きくなると兄のタカシと交代です るように命じた。山羊が暴れると脚を搾ったミルク缶に入れて台無しにするので、好きな フスマ(小麦の皮)をバケツに入れて食べている間にすばやく搾った。搾り方は手の指を 親指から順に小指方向に折ってゆくのだが、初めは糸の様にしか出なかった乳が慣れてく ると、どんどん太くなってミルク缶に音を立てた。朝夕と日に二度搾ったが山羊の乳はす ぐに膨れて重たげに下がっていた。
山羊の乳は牛乳よりはるかに濃く、沸かすと草の青い臭がして飲みづらかった。しかし 余ったミルクを涼しい戸棚に入れておくと冷えて、喉が渇いたときには何杯も飲めた。コ コアが出始めた時分には其れをミルクに入れると青臭さが消えて目が丸くなるほどの美味 しさに変わった。
真冬に山羊の乳でアイスクリームを造ったことがあった。夜バケツに水を入れて外に出 しておくと朝には厚い氷ができている。鶏卵の黄身を山羊乳とよく混ぜ、酒の燗用の筒型 のアルミ容器に入れる。バケツの氷を砕きその上に塩をふり、アルミ容器を氷の間にいれ る。マゴは 「氷に塩を混ぜると温度がグンと下がるのだ、触ってみな」 とミノルとタカシに説明した。アルミ容器の中身は三十分程で固まり、味はまずまずの 自家製のアイスクリームができた。
山羊の餌とする草取りはタカシと交代で、学校から帰ると鎌を片手に竹篭を背負って出 かけた。牛や羊と違い山羊は贅沢で選り好みするので、食べそうな草を探して遠くの堤防 の方まで行った。山羊の好むアマナはお墓に生えていてよく採ってきたが、ある日彼岸花 も一緒に食べさせて下痢をせた。それがあったせいか分からないが、ミノルが草の種類に 気を使っているにも関わらず母親のトシは 「タカシの採ってきた草は山羊が喜んで食べるが、ミノルのは餌箱に残る。タカシはナズ ナや芹も上手に採ってくる」 などと云った。 後年、タカシが玄人はだしの料理の腕前り身体も随分と肥満したことから 「舌の感覚が違うのだ」 とグルメ指向でないミノルは納得した。 草取りはタカシに及ばなかったミノルだが山羊の世話はよくした。山羊小屋のすぐ近く の空き地につないで首筋から脚まで余すところなくブラシがけをする。背中から膨れた腹 部にかけてブラシを走らせると山羊は気持ち良さそうに目を向けた。山羊の体毛は短かっ たがブラシには抜けた毛が多く残った。夏場の小屋は夕刻になると大量の蚊が山羊の身体 を刺すので、昼間のブラシがけを山羊は喜んだ。
ミノルが山羊を綱から放して 「おいおい」 と手をたたくと闘牛のように頭を下げて突いてきて、サッとかわすと、また突いてくる ことを繰り返した。ロデオのように山羊の尖った背中に乗ってもみが、うまくはゆかなか った。山羊は草の反芻で口を動かしながら短い尻尾をピッあげ、黒い豆の様な糞をポロポ ロと地面にときどき落とした。
二代目の山羊は仔山羊から飼ったが最初は脚と口の回りの白さが目立った。春先に来た 仔山羊は冬を越し一年が立つと子供を生み立派に乳を出した。幼い姪がマゴのことを「メ イメイのおじさん」と呼んでいたが、二代目の山羊も名前はなかった。濃いミルクや強い 体臭、そして小屋から首を出して「メエー」と呼ぶやさしい目をした姿が思い出される。
2009/1/6
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