年齢を重ねてくると寒さが身に厳しい。信州生まれだから寒さには強いだろうろと云 われるがそんなことはない。田舎にいた頃はを痛くなるほど寒風のなかを千曲川の 土手などで遊んだこともあったが、今は中途半端な寒さほど身にこたえるのである。 ミノルの家庭では灯油ファンヒーターなどで冬の暖をとっているが、時折り昔の冬の ころを思い出すのだ。
終戦間際の満州で生まれた兄のタカシはで肥っていて元気だったが 「お前は風邪引きの名人だ」 とミノルは母のトシによく云われ、寒くなると先手先手と厚着をさせられた。
八畳ほどの居間の真ん中に炭火の掘り炬燵があり、ミノルは寒くなるとすっぽり 身体を炬燵の中に入れて首だけだして本を読む。そのうちに眠ってしまい柱時計の音 で眼を覚ます。いつの間にか一緒に炬燵に入り込んでいた猫の三毛が、熱さと 炭酸ガス中毒で這い出してきて、畳の上に身体を伸ばしてフウフウしている。そんな ところをトシが見て 「また二人して炬燵に入り込んでいる。たまには外へ行って遊びなさい」 などと笑ってしかった。 炬燵の櫓には生乾きの洗濯物が下がっていたり、上がけ布団の角には風呂敷で 包んだ内釜が入っており、昼食にはホカホカのご飯が食べられる。
正月になると近所の友達や従兄弟がやって来て、掘り炬燵を囲んでカルタや トランプで遊んだ。父のマゴは子供に好かれていて、いつもゲームに加わって楽しそう にしていた。昼時になるとマゴが餅を焼き、それをトシが油で揚げた。その熱々の揚げ餅 を醤油と砂糖を混ぜながらつけて食べる。それがご馳走でみんな美味しそうに、大きな 切り餅を五つくらいは食べた。だから正月のこの時ばかりは三毛が炬燵に入れる余地は なかったのだ。
マゴは村の精穀所で働いており冬になると事務所に石炭ストーブを組立た。熱効率が いいようにと、煙突を天井にぐるっと一回りさせてから外へ出して立ち上げた。ストーブ が熱くなるまでは時間がかかった。ミノルも覚えて、最初は新聞紙と細い木片で火を 付けて慎重に石炭を少し乗せる。燃え具合をみながら石炭を足してゆくのであった。 ストーブにかかった大型のヤカンから湯気が出ている。床に置かれた石炭バケツには 外の石炭小屋から運んできてたっぷりあった。ストーブは贅沢にガンガン炊かれて赤さ を増していた。マゴが 「石炭は重さで買う。石炭屋の中にはずるい奴がいて水を撒いて重くする。秤にかける ときは石炭の湿り具合に気をつけろ」 と幼いミノルに石炭の買い方を教えた。
小学校には石炭で炊くダルマストーブがあり、休み時間になるとミノル達は取り囲んだ。 四十人以上の教室だがストーブは前列前の入口付近に置かれていて、遠くの席は脚が寒く、 近い席は顔が火照った。石炭を放り込むとストーブはよく燃えて腹を真っ赤にさせた。 火かき棒や木片を焼けた鉄腹に押しつけると火花を散らした。外から持ってきた雪を押し つけると、ジュッと音を立て消えた。天田先生がときおりのぞき込んで 「こら、こら、お前達、そんな事はしてはいかんな」 と大らかな口調でしかった。
中学の時もダルマストーブが教壇の横に置かれていて、登校すると鞄から新聞紙にく るんだ弁当箱を出し下に置いた。いい場所に当たらないと昼食の弁当は半分温まって いなかった。親友のワタナベが 「大塚君のは土方弁当のように大きく旨そうだぞ」 とミノルに云ったので一緒にのぞきにいった。大塚君は照れて 「見るな」 と怒って弁当を両腕で抱え込んで隠した。 窓から陽光が差し込んで、外を見ると校庭の雪が眩しく光っていた。
20081124
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