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作品名:星屑の詩 作者:柳原奈生

第78回   第二章 第十五話 【桜花】2
 大学進学が決まったとはいえ、春のうららかな天気に似合わぬ曇った顔を作ったまま、どんよりと心は沈み込んだままの笙馬は、あんな酷い別れ方をしたんだからと、会いたい気持ちが強いのにも関わらず妥子に会うことも出来ない。皆の前で破局を宣言してしまったことに加えて、妥子が合格して自分が落ちたので面目ないというのもあるし、もう妥子にどう顔を合わせていいやらと、鬱々とした日々を過ごしている。かと言って嫌いなわけではなく、むしろ今でも彼女のことを恋慕しているわけだからこそ、悩みが尽きないのである。
 笙馬はひどく自分を低く思い詰める傾向があって、人の何倍も努力してやっと並になれると思っているから、今でも妥子とのことは自分がもう少し大人で上手に立ち回れていればこうはならなかったに違いないと、一重に自分のせいにしていた。妥子のことは気掛かりだけれど、かと言って直接会うことが出来ずに気落ちしたままでいる。
 ならば椿希に連絡を取ろうかと思ったけれど、それもあと少しの勇気が足りなくて鬱々と考え込んでしまっている。
どうせ恋に落ちるならば椿希が相手だったならばと、想像してみると、こうまで辛く苦しい思いをしなくても済んだのではないかという気がする。妥子はいかんせん、年齢よりも大人びていて気を遣ってくれるし冷静なところをゆかしく思っていたのに、別れの原因がそこにあったとなると、椿希のような才があっても親しみやすいような子に惹かれていれば、さぞかし楽しく笑顔の絶えない交際が出来たに違いない、と溜め息も何度となく吐いてしまう。しかし、さりとて、人の心の行方は理性で抑えきれぬところもあるわけだから、椿希ではなく妥子だったのも、やはりそういう笙馬の深層の部分がうごめいたからに違いない。
椿希の音楽会の時に、葵生と並んで椿希に花束を渡そうとしている妥子を見て、あまりに葵生と似合いだったので妬んで、つれない態度を取ってしまったことを思い返すと、妥子には葵生が似合いだったようにも思える。塾内随一の優等生同士の組み合わせ、同い年とは思えないほど心映えのしっかりした二人だからこそ、葵生と自分とをおし比べて自分がひどく不格好に思えてならなかった。出会ったころはそれほど差のなかった二人の背丈も、あの卒業旅行で出会ったときには見上げるほど葵生は高くなっていて、大柄の桔梗と並んでも遜色ないほどだったのには、ますます惨めに思わせられたものだった。もし、塾に葵生がいなければ、妥子とうまくまだ続けられたかもしれないのに、とも今は恨みがましく思わずにはいられないので、ずっと内に閉じこもった心地のまま過ごしている。
 桂佑からメールが来た。
 「卒業旅行のときの様子がおかしかったので、気になって連絡してみたが、余計なお世話だったらごめん。第一志望ではなかったとはいえ、合格おめでとう。受験していない俺が言うのもなんだけど、あんなに必死な笙馬に感心してた。大学行ってからも、時々連絡くれよ」
 これが葵生や桔梗からだったならば、またさらに気落ちしてしまったかもしれないが、何も知らぬ桂佑が気にかけてくれたのが笙馬にはとても嬉しく慰められるようで、少しずつ心も持ち直して行ったようである。

 「先輩、報告します。受験結果はやはり不合格でした。医学部の現役合格はなかなかに難しいとは聞いていたけれど、もちろん合格するつもりで勉強してたんですが、残念です。私立も受けていなかったことだし、浪人することにしました。先輩の後輩になれるよう、あともう一年努力してみます」
 葵生から携帯電話を買ったという報告と共に受験結果を知らせるものも来たのを見て、藤悟は軽く溜め息を吐いた。何も知らぬ葵生は、先輩を慕うつもりで連絡を寄越したのだろうから、そのことについては責めることもないのだけれど、以前のように目を掛けていた後輩として接することなどとても難しいように思われ、むしろ憎さも芽生え始めてきていた。
 「どう思う、このメール」
 我ながら意地が悪いと思いながらも、携帯の画面を椿希に押し遣って見せると、誰からのかが分かると顔色を変えて、
 「ただの報告なんだから、思った通りに返信を」
とだけ言って、目を伏せてそれ以上見たくないと言わんばかりにしている。伏せ目にするだとか、声がか細いだとか、そういったことはなくていつも通りに見えるのだけれど、少なからず動揺しているらしいので、彼女の胸の内が見えたような気がして、憎らしく思える。
 藤悟は軽く溜め息を吐きながら、実は椿希と交際をしようかと思っていると返信しようか、それともただその内容に対する文章で纏めようか、いずれにしようかと思案した。携帯を持ったまま、様々に寄せては返す波のように感情が揺れ動くので、文字を打ってもすぐに消すを繰り返している。
 ここのところ珍しく藤悟の機嫌が良くないので、何事かあったのかと気にしていた椿希であったが、葵生が原因だったかと察して、もう口にするのも控えることにした。思えば、何気なく卒業旅行に行くと言ったときに、妥子のほか葵生も来るらしいと加えて藤悟に話したのが拙かったらしく、当初こそは快く見送ってくれたものの、帰ってからは表立って怒っているらしい様子は見せないが、しきりに旅行中のことを訊ねるので、何か気に障ることでも言っただろうかと、様々に思い返せど判然としなかった。兼ねてより、兄のように何かと心配してくれていただけに、ただ心配が膨らみ過ぎてしまっているだけと、いつものようにしていたのだが、どうも今回に限っては執着しているように見える。まして、葵生とのことで気を悪くしているというのなら、もしやあの秘め事に気付かれてしまったのではと、気が気でないけれど、顔や態度に出しては確信を得たとして、ますます責め立てられるに違いなく恥ずかしさもいや増すので、あのことはなかったことのようにして泰然としている。
 しかしながら、やはりひとたび口に出して葵生に惹かれていると言ってしまったからには、抑えがたい思いがたびたび椿希を苦しめ、こうして藤悟と二人でいるけれど、昔馴染みだからと言って何もかも許せるような関係には、もはや戻れないような気がしている。そうは言っても、葵生とはもう二度と出会えまいとして、あの苦しみの中、藤悟を頼って行こうと決めてしまっていたのだから、やはり藤悟にも申し訳なく二つ心が引き裂かれたようなのである。このような物思いに苦しめられるくらいならば、葵生のことを忘れさせてくれるほどの愛情が欲しいと、いつも包み込むように優しい藤悟のことを恨めしく思うけれど、とても訴えることは出来ないでいるのが、とても辛いのだった。
 あの出来事は二人だけの秘密であって、妥子にさえも言っていない。そして藤悟とのことも、まだはっきりとそうなったわけではないので話をしていない。どうやら妥子が藤悟に少し惹かれていたらしいことは、いつもは物事をはっきりと口にする妥子が藤悟の前では、いつになくしっとりと、目線も少し逸らし気味でいたことから薄々とは察していただけに、余計にはっきりとせぬうちに打ち明けることが出来ないのだった。このように、親友であっても心を隔てなければならないのが悲しく、これも自分が葵生一途に思いを決められなかったことがいけなかったのだと、思い悩んでいるようである。

 藤悟からの返信は、一日経ってから届いた。何かと忙しいであろう大学生活を送っているのだから、遅くなるのも無理はないし、葵生自身も受験勉強に没頭していたので忘れかけていた。
 「結果は、椿希から聞いていたよ。残念だったな。俺からは遠慮してしまってやりにくいから、時々連絡してくれよ、近況だとか色々知りたいことあるから。今は、椿希の下宿先で引っ越しの手伝いしているよ」
 せっかく集中していたのが、糸がふっつりと切れてしまって何度も文面を読み直した。椿希が下宿するつもりらしいということは本人から聞いて知っていたものの、引っ越しの手伝いをしているというのはどういうことか、しかも下宿先となると二人きりでいるのではないか、などと考えれば、藤悟と椿希がただの幼馴染みではないように思えて、要らぬ妄想も次々と浮かんでくる。確かに、この二人が幼馴染みであったと知ったときに少なからず心がざわめき、やや不安も覚えたのだが、まさかこうまでの仲とは思いもせず、鷹揚にしすぎてきたものだと思う。それにつけても、あのようなことがあったというのに、椿希が他の男と狭い部屋で二人きりでいるというのが信じがたく、連絡が出来るものならばすぐにでも問い合わせたいものである。だが、椿希があの暁のほの明るい部屋で艶やかに涙しながら、頑なに葵生の情けを拒もうとしていたのは、こういう事情があったからこそなのかと、納得も出来る。もしそうであるならば、藤悟の女でありながらも葵生に惹かれていると言ってくれた心こそが、この上なく嬉しいものなのだが、切なさは一層膨らむばかりであった。
 慕わしく思っていた先輩が、こうして恋敵になってしまったのはとても残念なことだが、何も気付かぬことにして以前のように振舞おうと、
 「引っ越しの手伝い、お疲れ様です。男手が必要ですもんね。俺は勉強中です。桜も綺麗な春なのに俺の庭に桜は咲かず、孤独に机に齧りつく毎日です」
と送信したのは、傍に今も椿希がいるかもしれないと思ってのことであった。
 もう今度こそは合格して、この窮屈な身から解き放たれたいので、物思いの種になるようなことには触れたくはないものの、恋だけは捨て置けるわけがない。だが、肝心の椿希は藤悟とより近くにいて、しかも自分は彼女の連絡先を知らぬままなのだから、進展させることも出来ないのがもどかしい。あの旅行で何故訊ねるより先に事に及んでしまったのか、と悔やまれてならない。
 これも、一年前、誰彼構わずこの恋の穴を埋めるかのように乱れた日々を送っていた報いなのか、と因果応報という言葉は昔からあるけれども空恐ろしくなるのだった。

 葵生は、勉強をしている時以外は、ずっと、椿希、椿希と思いながら過ごしてきたためか、すっかり忘れがちになっていた他の物事も、友人からのメールで思い出されて時折ふと思い起こされることもあるようである。
 あの桂佑などは、塾生の中でも似た気性であったからか息も合い、言葉数は少ないながらもどことなく通じ合うものがあって居心地が良かったので、時々ではあるが連絡は取り合っていた。先陣切って皆を引っ張っていく桔梗とは異なるが、控え目ではないにせよ、じっと静観している聡明さがあるので、葵生もあの旅行先のことをもしや桂佑には感付かれているのではと、なまじ多くを語らないだけに疑っていた。
 桂佑は自ら他人のことを語ることはないので、葵生は知りたかったことを訊ねてみたところ、このような返信があった。
 「あの大学の法学部に合格したのは加賀茂孝といって、葵生とほとんど入れ違いで塾に来た、一高の出身だ。確かにあいつもずば抜けていて、入塾早々首席になったもんだから注目されてたのは確かだった。だけど、葵生ほどではなかった。みんな、染井の君のことを懐かしんでいたようだ」
こうも持ち上げられると照れくさいのだが、悪い気はしない。
あの大学に合格してくるほどの人物なのだから一体どういう者なのかと気になったのだが、なるほど一高だったかと納得した。一高といえば桔梗や笙馬が同じであったが、桔梗はどうやら当初の志望校を変更したようだが、笙馬がこの加賀と同じ大学を受験して落ちてしまったというのが残念でならない。
 画面を下に下げて行くと、桂佑にしては珍しく長い文章で、まだぎっしりと文字が埋まっている。
 「もう知っているかもしれないが、椿希が入院していた時期があった。詳しい病名などは伏せられてたが、妥子の様子からしてただ事ではないような気がした。もしそのことで差し出がましいことを言ったのなら悪いが、葵生はもう知っておくべきだという気がしたもので」
 あの旅行の時、ふと血の気が引いたことを思い出し、また心臓が跳ね上がるような心地がして全身に鳥肌が走った。もうすっかり良くなったように見えたけれど、彼女は自分の体の不調を表に出さない人だったということを忘れてしまっていて、もしかしたらあのときも無理をしていたのではと、唇を噛み、そのときに気が付かなかったことを激しく口惜しがっている。
 受験生なのだから、こんなことをしている場合ではないだろうけれど、いてもたってもいられず、妥子に聞くしかないと、携帯からメールを送った。去年、心配した妥子から連絡先を渡されていたことが今になって、とても有り難く運の良かったことと思える。笙馬のことがあって少し躊躇いもあったけれど、これは笙馬のことは関係がないとして、さっぱりとした気性の妥子ならばいちいち咎めることもないだろうとして、
 「あの旅行以来突然だが、少し聞きたいことがあって。パソコンでこれを確認したなら、すぐにでも教えて欲しいことがある。椿希が入院していたということについてだが、一体どうしてそんなことになったのかを詳しく教えてくれないか。そんなこと、前に会ったときには少しも話してくれなかったから信じられない思いで惑乱しそうなほどなのだが、ともかく頼む。もう、俺は以前のような態ではないから安心して何もかも話してくれないだろうか。電話やメールでは物足りないようなら、直接でもいいから、どうにか頼む」
と、勢いに任せて送った。それにしても本当に便利なもので、思いついたときにすぐに送ることが出来るのがとてもいいのだが、味気ないような気もして手の中の携帯電話を送った後でぼんやりと見つめていた。
 妥子からはその日の晩に返信が届いた。妥子も携帯電話を買ったらしい。
 「椿希からは聞かなかった、いや、聞けなかったんだね。本当は本人から聞いた方がいいと思うんだけど、その前に私が話してしまった方が確かにいいかもしれないね。じゃあ、今度会って話をしましょう。まだ次の受験まで時間はある、ということで少しは余裕あるよね。今の状況も聞いてあるから話すわ」
 葵生はそれに満足したように、日時を取り決めた後はまたすぐに机に向って勉強を始めた。今度こそ絶対に、という思いが強いので現役の頃に比べて、一層闘志も増したようである。以前ならば気持ちを引き摺ったまま思いに耽り、ぼんやりと外の景色を眺めては移ろいゆく物事に趣を感じては、我がことになぞらえていたのは、やはりあの胡蝶のような椿希への恋慕ゆえであった。そして今、気持ちがこうまでさっぱりと切り替えられるのもまた、同じ彼女への慕情ゆえであった。

 それからある土曜の午後に待ち合わせたのだが、待ち合わせの場所が大学の構内だったので葵生は何故妥子がこの場所を指定したのかと、不審に思っていた。
 「今日は学食が開いているから」
と言ってキャンパスの中を歩いて行く。
 一度受験のために来たとはいえ、そのときは周りの風景など見る余裕もなく、ただ広大だなという程度にしか思えなかったのだが、こうして見ると建物と建物の間がとても広く、並木道が出来ているというのがとても開放感があって吹き抜ける風が気持ちがいい。学部ごとに棟が違ううえ、隅から隅まで歩こうと思えば長い散歩になるのを覚悟しなければならないほどである。葉桜になろうとしている桜の木々を見遣ると、一本一本の間隔が開いているために染井の学園ほどの荘厳さはないにせよ、盛りになるとさぞかし見ごたえがあるであろうと楽しみな風情である。
 「文学部棟を見せてあげたかったんだけど、今日は医学部棟寄りの学食に行こうと思ってる」
 妥子は言った。もうこの大学に入学して二週間、まだ慣れていないだろうけれどすっかり馴染んでいるように見えて、同じ年のはずなのに急に大人びて見えた。私服も決して見慣れていないわけではないけれど、高校生のときよりも身だしなみに気を遣うようになって、仄かに化粧をしているのがまた、真新しい。椿希に気圧されてしまっているけれど、妥子も整った顔立ちをしているのだ。ただ少し、妥子の方が利発そうなのが勝るぐらいだろうか。
 今まではそれほど感じなかったけれど、たとえ下心などなくとも妥子と二人きりで会っているということが悪いことをしているように思えて、まさか椿希がこの近くにいないだろうかと不安になった。看板の地図を見ながら、これだけの広い敷地なのだから、違う学部の学生がふらふらと遠く離れたところへ来ることも稀なので、目撃されることもあるまいと気を取り直す。
 食堂といっても最近建て替えたばかりだからか、洒落たカフェのようになっているのに葵生は驚いた。女子学生が喜びそうなデザートがたくさんあり、そして椿希が入り浸りそうなコーヒーの芳しい香りが外まで漂って来るので、大学なのにこんなに贅沢をして良いのだろうかと心配にもなる。


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