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作品名:星屑の詩 作者:柳原奈生

第75回   第二章 第十四話 【朝露】5
 集合場所には時間より三十分も前に着いたが、誰一人それらしき姿を見つけることは出来なかった。季節は春に近いけれど、まだ時折冷気を伴った風が吹き、体を冷えさせるので厚着をしている。そんな状態で何日分かの着替えと道具を持っているので、荷物はとても重くて動くのも億劫である。
 こんなに早く来てしまったので緊張する時間が長くなってしまった。久しぶりに塾生の面々と顔を合わせることが、なんだか気まり悪いように思え、やはり自重して断っておくべきだったか、と今更ながら後悔してしまう。何より椿希の顔を見たときにどういう反応をすればいいか、自然体でいられるかという自信もなく、ここにずっと長くいて皆を待つというのも体裁悪く思え、荷物は重いけれどその場を離れて近くをうろうろと歩くことにした。
 店に入って軽食を買い、雑誌を立ち読みするけれど頭に入って来ない。何度も顔を上げて時計を見て時間を確かめてばかりいるので、時間を潰すのもこんなに大変なものだったかと、葵生は嘆息した。どうにか粘って十五分前になったので、ようやく店を出て集合場所へ行くと、幹事の桔梗の姿が見えたので安堵して歩み寄った。
 「おう、葵生じゃないか。久しぶりだな。もうすっかり昔のような、いや、それ以上の色男になってしまって、俺はあの時余計なことを言ってしまったかな。言わなければ、俺の天下になったかもしれないのに」
などと冗談を言いながら、相変わらず体格のいい桔梗は血色も良く、愛嬌のある顔をこちらに向けて笑い出した。懐かしい桔梗だが、少し大人びたのか顔が面長になっていて、風采も落ち着いたように見える。
 「それはどういたしまして。そっちこそ、どこの二枚目がいるのかと思えば桔梗だった」
と笑いながら返した。
 桔梗がまず目についたので気付かなかったが、近くに桂佑とゆり子、笙馬がいたので彼らにも同じように「久しぶり」と声を掛ける。
 「よくも俺に挨拶なしで勝手に塾を辞めて行ったな」
 桂佑がわざと、どすを効かせて言うのは、かつて不良と言われただけあって迫力があるけれど、本気で言っているわけではないので、葵生も「そいつは失礼をば」と言って笑っていた。桂佑とは同じ教室で学べたのは一年ほどであったけれど最も気の合う友人だったとして、葵生も少なからず親しみを覚えていたので、一年半ほどぶりの再会であっても隔たりなく、すぐに打ち解けてかつてのように話をすることも出来たのだった。
 それからぱらぱらと数人ほどが集まって来た。顔は覚えているけれど、名前をよく覚えていない面々だったのだが、塾でも一際目立つ葵生や椿希のことを聞えよがしに批難していたような者は誰もそこにはいなかったので、やはり桔梗もそのあたりは人を選んで誘ったらしい。
 「肥後や美濃に知られるかと思って、ひやひやしたよ。あいつら、椿希とお前の関係に妬いて妬いて仕方なかったんだから。よく椿希が耐えたと思うよ。『あの二人はどこまで進んだ』『どうなった』って、事実無根の噂ばかり流すからな。いずれはあいつらも同窓会に呼ぶかもしれないけど、今は頭を冷やしてもらおうと思っている」
 葵生が眉を顰めているうちに、最後になって椿希と妥子がやって来た。
 「遅くなってごめんね。私が忘れ物を取りに行ったからこんなことに」
と、着くなり妥子が手を合わせて皆に謝る。葵生も、表情を一瞬にして変えた。思わず、顔を背けてしまう。
 「妥子ってしっかりしているようで、こういう忘れ物とか待ち合わせ時間だとかには、結構緩いんだよなあ」
と桔梗は苦笑いしていた。妥子は隣の椿希と顔を見合せて苦笑いし、「ごめんね」と手を合わせている。「大幅に遅れたわけではないのだから」、と返す椿希を見ていても微笑ましく、自然とそちらに目を向けてしまう。
 「さあ、みんな集まったことだし、そろそろ移動しようか」
 大きな荷物を抱えてぞろぞろと歩くのに、桂佑とあれこれと近況のことを話しているけれど、やはり気になるのは椿希のことで、妥子やゆり子と三人で時に歓声も上げているのを、胸に込み上げてくる喜びと感動とで、心は高揚していく。桂佑のこともまた懐かしく、学校の友人たちにはない野性的とでもいうような風貌の中に感じられる醒めた物言いが、葵生にとっては未知の世界を知る冒険者のようで、彼と再会出来たこともまた心が満ち足りるような心地がするのだった。
 バスは乗り合いであったが、桔梗が集合時間を早めに設定していたため、空席だらけで塾生たちは固まって座ることが出来た。葵生は桂佑と隣同士で通路側に座り、通路を挟んだ隣には笙馬、そして窓際に桔梗がいる。後方に陣取り、かつ通路側ということもあって人の様子がなんとなしに見えるのは葵生が敢えてそのように仕向けたためである。案の定椿希たちは葵生たちの一列前の座席に座ったのだが、妥子は笙馬がいるのをちらりと横目で見ると椿希に耳打ちして窓際へ座ったので、椿希は通路側になった。荷物などを上の棚に入れるのに妥子から受け取って持ち上げているので、葵生は席を立って手伝おうとすると、椿希は振り返った。そしてさりげなく椿希の手にそっと指を触れさせると、椿希は葵生が立っただけで体を強張らせていたのだが、肌が僅かに触れ合ったとなるとその動揺は計り知れない。
 「御無沙汰です」
 挨拶もどこも不自然ではないけれど、椿希は驚いて言葉も出ない。立ってみると、出会った頃は左程差のなかった背丈も徐々に開いて二年生に進級する頃には歴然とし、今となっては視線を上げねば顔を見ることが出来なくなってしまったほど変わっていたことも、椿希にしてみれば強い衝動を受けて心が妖しくざわめく。
 三年生の春に一度再会し、あまりの艶麗さに魅入られたかのように惹き付けられたあの夕暮のことを思い出すと、あまり顔を見ていてはまたあのようなことが起きるのでは、と背けたくもなるけれど、ただただ整った美貌ばかり目立っていたのがすっかり精悍さを増して男らしくなったのは、いつまでも見ていたいような大人びた風貌であった。
 「ありがとう」と微笑みながら頬が染まるのを気にして座ったけれど、車内の薄暗さでそれが葵生に伝わっていないことを願いながらも、まだ心の揺れは収まりそうにない。妥子はというと、ぼんやりと外を眺めているばかりで椿希の様子には気付かない。通路挟んで隣にゆり子が座ったので、椿希は彼女に話すことで紛らわせようと、いつも以上の大袈裟な態で話をしていた。
 桂佑も無口な方なので話すことがなければずっとでも黙っているような人なので、葵生はその間はただ先程の椿希のことを思い出したり、椅子の陰にいる彼女の気配を感じ、口元を手で覆いながら笑みを浮かべていた。
 肩より少し長い髪はまだ控えめではあるけれど染髪して、濃い茶色になっているのが真新しい。以前にも増して端麗で明るく親しみを持てるような瓜実顔が、少し薄い化粧を施して大層艶っぽくなったのが、やはりこの人こそ自分のものにしたい人だと改めて思って、叶うものならばこの折にでも積もり積もった恋慕の情を伝えねばなるまいと定めている。何人もの女性と縁もあったものの、それらなど今となっては振り捨てても惜しくはない浅いものであったと、今ではもう顔も思い出すこともない。ただ一人、あの水葵を育てていた情の細やかなあの女のことだけは、哀れにも申し訳ない、今頃どうしているだろうかと特別に思うのも、愛や恋だのといった別の次元で慕っていたからかもしれない。
 民宿に着くと荷物を下ろし、中へ運び込んでレンタルのスキー板やスノーボード、人によってはウェアも借りて、面倒な準備もしなければならなかったようである。桔梗は幹事ということもあって主人と打ち合わせもあるから後で行くと言って、さっさと奥へ引っ込んでしまった。雪山だから後から行くことになれば追いついて偶然出会うのも難しくならないかと思うのだが、本人はもういない。
 季節も外れかけているため人は思ったほど多くはないけれど、それでもやはりはぐれてしまうとまた出会うのに時間もかかりそうに思えるので、必ず宿に戻る時間を決めて時間になったら戻るように打ち合わせ、とりあえずは初心者と中級、上級者とで分かれることになり、それぞれ板を持ってゲレンデに着くとばらばらに分かれて行った。桔梗は幹事という立場上、必ず夕食時には戻って来るだろう。
 葵生は友人たちの様子を見てどこへ行こうか決めようとしていたのだが、妥子と桂佑は上級者へ、ゆり子と笙馬は初心者、そして椿希は中級者コースへ行くということであった。当然葵生はそうなると中級者のところへ行こうとする。妥子と笙馬についてはどことなくおかしな雰囲気もあったので、何かあったのだろうか、と不審に思うけれど、どうも憎しみ合っていたり喧嘩したわけでもなさそうなので、さては受験結果で何かあったのかという気もするけれど、何より自分のことで精一杯なのだから、とにかく今は早く二人で滑りたいという一心であった。
 コース毎に分かれることとなって、椿希はというと妥子に助けを求めるような眼差しを向けるけれど、いつになくぼんやりとした妥子は椿希の不安など気付くはずもなく、どことなく面やつれしたような無理をした笑顔でさっさとリフトに乗って行ってしまう。
 葵生は椿希に「行こう」と促して、二人乗りのリフトに乗った。
 雪山は幼い頃に何度も見ていたのに、この白銀の世界を今こうして見ると、あの星空を見上げるときのような吸い込まれそうな神秘的なものは感じないけれど寛大な心持がして、哲学的なことを考えたり物思いに耽ったりするのに最適であったと、まず思い出される。だが、雪山といえば、吹雪いたり一歩間違えば重傷を負ったり命を落としかねないといった危険性を孕んでいるのだから一層現実的で、リフトで上がっていく間、白い大地に点々と人がいるのが見え、人は自然の中にいるとこんなに小さいのだと思い知らされた。
あれこれ考えたけれど、結局のところ葵生にとって旅行そのものが久し振りで、今回はなんといっても口喧しい人間がいないということで、心も開けっぴろげに大らかになっているので、これほどすっきりとしているのは何年ぶりかのことだった。
 二人はしばらくの間会話もせず、景色を眺めていた。何を考えていたのかは推し量ろうにも分かるはずもない。
 リフトを降りると、まず葵生が先に下界の見えるところまで滑っていく。椿希もゴーグルを嵌めてからそれに続く。宵闇迫るような紺の色に身を包んだ葵生に続いて、ほのぼの明けていく暁の光のような朱色に包まれた椿希が添うて行くのが、言葉を交わさずとも何かしらの縁によって心を通わせているように見える。葵生は椿希を振り返って優美な笑みを向けると、僅かに残る少年の面影に混じって逞しさや勇ましさなどがそこはかとなく感じられ、雪の中でもとても頼もしい有様で見とれてしまいそうな風采である。
 先に椿希が滑って、その後少ししてから葵生が降りて行く。椿希はあまり速度を上げないけれど丁寧な滑りで、葵生は彼女に合わせた速度に落とし、最下に着くあたりで後方から追いつくようにした。
 「すごく楽しい。だけど私はあまり技術がなくて上手ではないから、葵生くんはどうか自分の思うようにしてくれていいのよ。私に構わないで。遠慮していたら楽しくないでしょう」
 上から下まで滑走して爽快で、表情も和らいでにっこりとしながら椿希が言った。いつもと違って雪の白さが一層そう見えさせるのか、肌理細やかな白い肌に頬のあたりがほの赤くなっているのが愛らしくて、そこに手を当てて触れてみたい滑らかさである。
 「そんなことよりも一緒に笑い合いながらの方が俺は楽しいから、独りでいるのは詰らないんだ」
 そう言って椿希の背を軽く押してリフトへ向かわせる。何も知らぬ人から見れば、仲睦まじい恋人同士にしか見えない。葵生のすることなすこと一つ一つに敏感になっていた椿希も、気が紛れたのかいつもどおりの親しみのある笑みを見せたままでいる。それから二人は何度か同じところで滑り、時にゲレンデを変えたり林間コースを滑ったりしながら、あっという間に会えなかった時間を取り戻したかのように、声を上げて笑い合いながら過ごしていたのだった。
 山の中腹あたりにある食堂で二人は昼食を摂ることにした。昼時を少し回っていたので人もまばらになっていたけれど、床は雪が溶けて濡れているので足元を注意しながら先に行かせた椿希が転ばぬよう、手を彼女の体には触れないけれどすぐに支えられるようにしている。
 中は暖房によって暖かく、外とは打って変わってかじかんだ手などが温められていく。白い吐息と木の上の雪、そして澄み渡る空の青と、色彩は決して豊かではないのに窓から眺め遣る外の世界が、ただ硝子で隔てられているだけなのに遠いように思える。厳しい自然の中にいるのに無邪気でいた外と、安堵したかのように少し心が落ち着く内とで違いを感じ、先程までのようにただはしゃいでいたのに、体が温められて火照るにつれ、次第にくっきりと目の前の人を意識するようになった。
 このときになってようやく高校卒業後の進路の話になったので、まず葵生は椿希の結果を聞く前に自分のことを言い始めた。その時に、まさか三年生のときの異性関係を話すことが出来るわけもなく、言葉を選びながらも受験生の時の憂鬱だった頃や、桔梗によって目が醒めて心を入れ替えたことなどを、言葉を尽くして話していると、あの葵生がそれほどまでに苦しんだなんて、と俄かは信じがたいけれど、少しは妥子から気落ちしているということを聞いていたし、以外と繊細で何かと周りのことを気にしがちの葵生のことを知っているので、伏せ目がちになりながら話を聞いている。
 「悪いのは自分だと分かっていても、やはり何かのせいにしなければやっていけないのは、俺だけではないと思いたいね。塾がすごく居心地が良かったから離れたことで、みんなに出会わなければ別れた後で寂しく辛い思いもしなくて済んだのにと、そんな情けないことばかり考えていたから、みんなに合わせる顔がなかったよ。それなのにこうして旅行に誘ってもらえて、嬉しいけれど皆が芯から歓迎してくれているのかと、未だ不安で」
 窓から射し込む光で片頬が照らされ、目鼻立ちがはっきりと見えるのだが、少し憂いを含ませながら低く言うのが言いようもなくしっとりとしている。椿希が大袈裟とも思えるほどおののくのも、当然と思われるような様子である。だが、椿希は話の内容も内容だったこともあって、殊更親身に話を聞いて頷いている。
 それからは今後のことなどを様々に語り合ったようであるが、せっかく雪山に来ていることもあるので長くなり過ぎないようほどほどのところで切り上げて、また晩御飯までの間、滑走を再開したようである。


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