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作品名:星屑の詩 作者:柳原奈生

第65回   第二章 第十二話 【萌芽】4
 茉莉は買ってもらったばかりのPHSを握り締めながら、次々と友人や行き着けの店の電話番号を順に登録していった。まだPHSといえどそれほど普及しておらず、ましてや高校生が持てるようなものではなかったのだが、茉莉に滅法甘い父親に可愛らしくねだると、すぐに店で買うことが出来たのだった。
 しかも料金は全て父親の懐から出るということもあって、茉莉は悠々と友人たちと他愛のない会話を何時間も続けていた。父親に比べては厳しい母親がそれを聞けば、説教だけでは済まされず、すぐさま取り上げられ、解約の手続きを取るだろうと想像されるので、茉莉も使用するにあたっては慎重で、ベランダに出たり、そっと家を抜け出しては公園で話をしたりと、注意を払っていたのである。こんな風に親が子を甘やかすというのは碌なものではないが、親は子のことを信用しているのだろうか、まさか人の道を外れるようなことはするまいと、すっかり安心しきっているのであった。
 茉莉は、光塾の塾生たちとの接触がそれなりにあったこともあり、物の分別もつかないほど非常識でも非礼なこともするような性格ではなかったが、周りの友人たちの影響を受けて、いつの間にかだらしのない格好や乱れた言葉遣いをするようになった。受験をしないと決め込んでからは、校則を違反するのも日常茶飯事で、たびたび生活指導部の教師らに捕まって指導を受けては、自分たちが悪いことをしているにも関わらず、「先公たち、最低」と若者独特の語尾を延ばす喋り方で文句を撒き散らしていた。ああ、なんという変わり様であることか。
 ポケットベルやPHSの学校への持込も禁止されていたのだが、構うことなく茉莉は持ってきていた。PHSはまだ持っていないという友人たちにも、ポケットベルなら持っているという者はいたので、皆お互い様だからと言って、教師たちに告げ口するような者は誰一人いない。
 染髪もパーマを当てることも禁止されていたので、染めるたびにただちに連行され、髪を黒く真っ直ぐに戻すよう指導された。いくら注意しても聞かない者には、保健室にて教師たちが買ってきて無理矢理染め直しをさせていたが、学生たちは、それが何故いけないことなのかが理解出来ないので、ますます反発するばかりであった。
 それもこれも、親が子を幼い頃から厳しく躾をしなかったことや、学校とはお洒落を披露する場ではなく、勉強や人間関係などを学ぶ場だということを教えていなかったことが原因ではないか、と教師たちは口には出さないが、胸の内ではそのように思っていたのだった。そんなことを言ってしまうと、ただちに保護者から抗議の電話や手紙が届き、身の置き所のない思いをしなければならないと思うと、保身のためにも、言い出すことが出来ない。正しいと思っていても胸にしまっておかねばならないとは、どれほど辛いものだろうか。
 教師がこうして気を揉んでいることも知らず、学生たちはあれこれと校則を変えるよう要求するけれど、その要求がまかり通るようなものではないと知っていて主張しているので、当然変わるはずもなかった。駄目元で言っているのだからというのは分かっているのだけれど。
 茉莉は注意されない程度に、ほんの少しだけ茶色に染めているだけだったので、暗い場所にいると黒髪に見え、教師らから指導されることはなかった。髪にパーマを当てていないのは、染髪によって毛先が傷んでちりぢりになってしまい、枝毛や切れ毛がそこら中に見つかったためであった。ただ、化粧をしていることについても教師には注意され、何度か保健室で化粧を落とすように言われたことはあったのだが、放課後になると教室に残って、完璧に化粧をしてから帰宅したのであった。そこまでする執念もまた、驚いてしまいそうであるが。
 今日はその化粧の乗りにも入念に鏡で見て確認し、前髪がきちんと降りているか、うねりが出ていないかなどを見て、櫛を髪に通す。何度も染髪を繰り返した髪は、櫛の通りがすっかり悪くなってしまい、昔は艶々としていたはずなのだが、扇を逆さに広げたように肩の下で広がって、ゆらゆらと揺れていた。
 指先で、傷んでからからに乾燥しきったような髪に触れると、ここまでさせてしまった自分自身を馬鹿にしてやりたいと思う。でも、派手な格好をすることで、自分の心が鼓舞されるような気がして、とても止められないとも思うので、悩みどころなのであった。
 少しでも自分の醜いところを目立たないようにしようと、予め準備しておいたゴムとバレッタで髪を上に纏めて上げてしまうと、少しは見れるようであった。何せこれから会う相手が、あの染井の君となると、少しでも見栄えの良い風采にしなければと、胸をときめかせながらも、あれやこれやと身だしなみを整えていた。コンパクトケースを取り出して、ファンデーションをもう一度上塗りする。そうすると脂で浮いてしまってかえって良くないのだけれど、わざわざ脂取り紙を使うのも面倒だからと、ずぼらな性格がそれをさせない。そんなことよりも、比較的目の細い方で奥二重の目の茉莉にとっては目の化粧を入念にする方が余程大事で、黒い化粧用の鉛筆で何度も目の淵をぐりぐりと塗って、少しでも目を大きく見せようと努力するのだった。時間がなければ電車の中でだってする。どんなに周りに冷ややかな目線を送られようとも、注意されようとも、一体化粧をすることのどこが周りに迷惑をかけているのか、化粧をしない方が無礼じゃないか、というのが茉莉やほかの友人たちの総意だった。
 目が黒々と縁取られて鏡を改めて見ると、元々の目の小ささが信じられないくらいに大きくなっていた。あの椿希が目のぱっちりとした、西洋風の顔立ちをしているのが羨ましくて、彼女の顔を何度も見て、彼女に近づきたいと思って化粧でなんとかごまかしているのだった。高校を卒業したら、整形手術でもしようかしら、などと思うけれど流石に口には出さずにいた。
 久しぶりにこの前偶然出会い、しばらく見ない間に随分と大人びた染井の君の姿に、やはりこの人をどうにかして振り向かせたい思いが募り、彼の人と並び立ってもみっともないことのないよう、支度にも入念な確認が入る。だが、言い出せばきりのないほど、次から次へと粗の見つかる様に、茉莉はうんざりしてしまいそうだった。せめてもう少し整った容貌であれば、と溜め息も自然と漏れ出るのであった。
 化粧でごまかしているけれど、目ももう少し大きくくりっとしたものであればと思う。また、よく可愛らしい小さな鼻だと言われているけれど、どうも低いので顔立ちにめりはりがなく、そのため頬紅をふんだんにつかって、彫りがあるように見せているが、それもわざとらしいもののように思えてならない。口元は愛嬌があるので、紅を塗るととてもよく映えて可愛らしいが、それすらも茉莉はもう少し大きな唇であれば、艶やかさが増すのにと不満を持っているのであった。挙げれば不満だらけになってしまいそうなので、もうこれまでにしてしまおう。
 時間が押し迫ってきたので、茉莉は不満ながらも道具を片付け、軽く駆けて手洗い場を出た。教室の前をちらりと見遣ると、受験する予定の学生たちに向けて、補習が行われていた。今日は塾のない日だからか、その中にゆり子の姿も見えたので、茉莉は機嫌を悪くしてしまって、ぷいと目を逸らしてさっさとその場を立ち去った。
 現実はこうなのだというものを見てしまい、茉莉は忘れようと、ぶんぶんと首を振った。内部進学すると決めた以上、あの中に加わって勉強する必要なんてないし、塾だって受験対策なら受けても仕方ない。塾に行くふりをしているけど、今の塾は受験生専用のもののようになってしまっていて、自分には関係のないことばかりだから、と茉莉は自分勝手にも思い込んでしまっていたのだった。
 心の中に出来たわだかまりのせいで、電車に乗っていても苛々してばかりで、空席がないのもまた茉莉を苛立たせた。
 時間より早く着いたので、茉莉は近くの本屋へ行き、雑誌を手にとってぱらぱらと捲り、『恋愛必勝術』『確実に意中の人を落とす方法』などと題されたところを読み、しっかりと頭の中に叩き込んだ。こういうことを鵜呑みにして失敗することだってあるというのに、茉莉はまだそれほど年を重ねて経験していなかったので、すっかり信じ込んではなるほどと納得している。
 男が嫌がる仕草、好きな行動、告白の時期など、果たしてどれほどの調査のもとに書かれたものだろうかと思うようなことが、つらつらと書いてあった。活字慣れしていない茉莉だが、こういうところは殊更熱心に読むのであった。
 何冊も雑誌を置いては読みを繰り返していたが、そのうちにふっと店内を見渡すと、自分と同じ年くらいの女子高生が赤本の置いてあるところへ向かうのが見えて、ちっと茉莉は舌打ちしてまた目を逸らした。乱暴に持っていた雑誌を置くと、わざと聞こえるように、
 「ああ、うぜえ」
と、汚い言葉を吐いて本屋を離れた。
 あまり待ち合わせ場所から離れてはいけないと思ったけれど、ずっと立ちっぱなしでいたので足がだるくなり、茉莉は鞄を地面に置いて、べったりと座り込んだ。ただでさえ短くしているスカートは座ることで、太ももがすっかり剥き出しになり、通り過ぎる男たちの視線を釘付けにしていたのだが、茉莉は構うこともない。このように地面に直に座って、あぐらを組むからか、白いルーズソックスは地面の当たる外側だけが薄く灰色になってしまっている。
 茉莉は化粧道具と大きな鏡ぐらいしか入っていない鞄を開けると、PHSを取り出して電話帳から、いかにも暇そうな相手の名前を探した。しかし、不毛なことだと思い直すと、深い溜め息を吐いた。
 通りがかる人たちは、茉莉のそんな行儀の悪い姿を、眉を顰めていくのだが、誰一人それを注意する者などいなかった。それをいいことに、ますます調子に乗ってこういった行為が酷くなっていくのだが、仮に注意したとして、いつものように「他人に迷惑をかけていないから」という理由で片付けてしまうだろうし、場合によっては反撃に出るかもしれないので、放っておこうというところなのだ。
 「葵生くん、遅いなあ」
 きらびやかな腕時計を見て溜め息を吐いた。いかにも偽物のごてごてとした装飾の施された時計は、地下街の若者向けの店で買ったものだった。小遣いでも買える程度のもので、確か千円代だったはずだろうか、すぐに電池が切れたり壊れたりして使い物にならなくなりそうだが、とにかく見た目が豪華で煌びやかであれば構わないので、茉莉はそれを気に入って付けている。
 以前までなら、もう少し物を見る目があって、恥じらいというものもあったはずなのに、その感覚が麻痺してしまったようであった。やはり友人たちの影響が大きいのだろうか。

 ゆり子は受験のための対策本を買おうと、大型書店へ向かう途中、偶然その近くを通りがかっていて、少し離れたところから、茉莉がそんな風にとぐろを巻いているのを見て大層驚き、声を掛けて注意しようかと思ったが、そこで言い争いになるのも、同じ制服を着ているから周囲から同類に見られるのも厭わしいと思い、見なかったことにしてその場を立ち去ってしまったのだった。
 長いこと付き合ってきた友人同士だから、こういうときに支えてやりたい気持ちもあるが、桂佑とのことでもやっと気持ちを落ち着けられたというのに、茉莉のことで気を病みたくなかったのだった。受験勉強を妨げるものは、たとえ友人であっても容赦せずに切り捨てなければならない、とゆり子は断腸の思いでいた。
 ゆり子は桂佑との遣り取りの後、色々と深く考えて、志望校をさらに少し難しいところへと変更したので、少しでも怠けてしまえば、合格は難しいということをよく理解していた。以前までならば、ほぼ現状を維持すれば合格するであろうところだったのだが、目標をさらに上に持ったのでいよいよ切羽詰まっており、仕方のないことであった。
 だが、いくらそうだとしても、ゆり子はこうして茉莉を見捨てるようなことをしてしまうのに、情けない気持ちでいた。あっさりと切り捨てるような自分の冷淡さを、いつか茉莉から恨まれるかもしれないと、気持ちまで沈んでしまいそうである。
 それはいけないと、ゆり子は思い直して、気分を明るくさせるようなことを様々に思い浮かべるが、やはり茉莉のあのような堕落した姿を見たのは、受験勉強にかまけて自分が心を尽くして接しなかったからではないかと思うと、全面的に自分が悪いわけではないにせよ申し訳ない気持ちであった。
 ゆり子はそのように反省しきっているけれど、ゆり子がそのような態度を取るのも、無理のないことだと人は言うであろうか。
 茉莉の呆れ果てるような姿を見て、ゆり子はひどく衝撃を受けてしまったようだが、少し前までの、どこにも潤いのない枯れ果てた荒野のように、自分を卑下しきって愚か者になってしまっていた染井の君の姿を見れば、さて、ゆり子はどのような顔をしただろうか。きっと、見間違いだったと無理矢理言い聞かせ思い込むのが関の山であろう。幸いにも、ゆり子はすぐにその場を立ち去ってしまっていたので、そんな染井の君の姿を見ずに済んだのだった。
 茉莉は染井の君とどう過ごしたのか、ということについては、また追って話す、とのこと。


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