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作品名:星屑の詩 作者:柳原奈生

第41回   第一章 第七話 【花火】10
 この夏に十七歳になった葵生だが、もう十七と言うかまだ十七と言うべきなのか、とにかく未だに人付き合いが不得手であることに辟易としてしまいそうであった。
 一応普通に振舞っているつもりではあるが、きっと勘のいい妥子あたりはとっくに気付いているだろうと思うと、なんとなく気恥ずかしくて、妥子にさえも顔をつき合わせて話しをすることなど出来そうにない。これほど他人のことで思い悩むなんて未だかつてないことだったし、そもそもややこしい事態になりそうになれば身を引いて、そういったごたごたしたことに巻き込まれないようにしていたのに、自ら進んで泥沼に嵌ったような状態に近いのだから、葵生は考えても考えても堂々巡りでまた元に戻ってきてしまう尽きぬ悩みの渦に、すっかり漬かりきってしまったのだった。
 そんな鬱々とした思いのまま、葵生は姉の結婚式があるということで、式場に行くための準備をしていた。仕事が多忙なので、式前日になってようやく単身赴任先から帰ってきた父親が葵生を見るなり、
 「おお、少し背が伸びたか。お前は母さんに似たら伸びないから心配していたんだが、良かったな。そのうち父さんも抜かれそうだな」
と、顔を綻ばせながら言った。葵生は自分の父親ではあるが、この年代にしては若々しく紳士的な風采で知的であるこの父のことを尊敬していたし、自分もそうなりたいと思っていた。もうかなり長い間父親とは会っていなかったはずだが、その気持ちは変わらないものなのだろうか、改めて大人になったらこうでありたいと思うのであった。
 久しぶりに父と並んで洗面台の前に立ち、身だしなみを整える。父はネクタイを締めて襟元を正し、息子はその隣で髪を梳かして髪型を作る。幼い頃から何度も見てきた父親のその仕草が、葵生はずっと好きだった。学校の制服がブレザーではないのでネクタイを締めたことがないけれど、社会人になったらきっとこういう風に、この父のように毎朝洗面台の前でネクタイを締めるのだろうと思いながら、葵生は久しぶりに訪れた心の平安を心地良く感じていたのだった。
 車に乗り込み、父と母と三人で式場に向かう。久しぶりの父の運転だと、子供に還ったように懐かしく思いながら、父の後姿を見詰めていた。父のような男になって、いつか彼女がその隣の助手席に座っていてくれたら、というところまで思い至って、はたと我に返った。やはりこのようにぼんやりとしていても椿希のことが思い浮かべられるとはなんということだろう、それほどまでに彼女が心の奥深くに染み付いてしまっているのかと、葵生は口元を手で覆った。指が唇に触れたことで、ありありとあの時のことが思い出されて顔を赤く染めた葵生は、首をぶんぶんと横に振って忘れようとしたが、心臓がどきどきとここぞとばかりに動き出したのでどうしようもない。
 この分だと、きっと姉の結婚式の最中も、新郎新婦の姿が彼女と自分の姿に重ね合わされて、悶々とした気持ちのまま過ごすことになるのだろうと、先行きが思い遣られるのだった。

 姉は葵生より七つ年長でかなり年が離れていたが、この姉に葵生は全く頭が上がらなかった。年齢がある程度離れると、弟や妹を可愛がることが多いものだと世間で言われていたけれど、葵生は姉に可愛がられたというよりは随分懲らしめられた記憶の方がたくさんあるので、姉が嫁ぐと聞いたときには内心嬉しかったり、あるいはこんな気の強い姉を貰ってくれる奇特な男もいるものだと思って、葵生は写真でしか見たことにない相手の男に興味津々であったり、素直な気持ちで門出を祝うというよりは、挨拶にやって来る日が待ち遠しくてならなかったものだった。
 その後家に来た時に会った相手の男性は、姉よりさらに三つ上の会社の先輩であった。短期大学を卒業後、就職して家を出て行った姉が半同棲を経て結婚に辿り着いたというのだが、葵生は「どうせ姉貴が結婚を迫ったのだろう」と踏んでいたため、やや冷ややかな目で見ていたのだが、終始姉のことを心から大切に思っていくれているらしい態度は葵生に好感を抱かせ、今では「頼むから義兄さんに嫌われて、もう出戻って来ないでくれよ」と姉に冗談を言うほど、すっかり義兄の味方だった。
 それから式準備をしている姉の元を訪れたり、義兄の家族に挨拶に行ったりと慌しくしているうちに、時間もあっという間に過ぎてしまい、来客が次々と式場に到着する中、父も母も葵生のことなどすっかり忘れたかのように忙しなくしている。
 葵生はそれをいいことに、ふらっと式場から離れて辺りをうろついていると、葵生と年齢もそう変わらないように見える若い男女が、結婚式の打ち合わせに来ているのだろうか、ロビー近くの一角に設けられた硝子張りの部屋で、担当者から説明を受けながら色々と話し合いをしているのが見えた。
 自分自身まだ高校生なので結婚など脳裏にちらりとでも思い浮かんだことなどなかったけれど、その部屋にいる二人はまだ二十歳を少し超えたばかりであろうか、それほど若くしてでも結婚することも確かに有り得るのだと思うと、俄かに緊張してきたようで身を強張らせた。
 もし首尾良くいって、高校生のうちに、あるいは高校卒業してからでも椿希と交際することが出来るようになったら、椿希はどうか分からないにせよ、葵生としては彼女を手放すつもりなど毛頭ないから、そのまま大学を経て社会人になると、ゆくゆくはこういう結婚といったことも有り得るのだろうかと、葵生はぼんやりしながら、遠くから硝子張りの部屋の中を見詰めて思っていた。医師になるには大学は六年間通わねばならないから、上手く行ったとしてもあの二人の若さで結婚することは出来ないだろうけど、何もかもが順調に進んだとすれば、最短で二十四、五歳で彼女を完全に自分のものにすることが出来る。それは今の姉とちょうど同じ年頃であると思うと、椿希がその年齢になった時にどんなにか綺麗になっているだろうと想像しようとするが、やはり思い浮かぶのは十六歳の彼女の姿であって、到底想像出来そうにない。姉の容姿と重ね合わせようというのは椿希に失礼だと思われ、また、それは流石に少し気分が悪いので止めたけれど。
 あと七、八年と思うと、とてつもなく長い年月のように思え、椿希はおろか葵生自身がそれだけの年齢を重ねた姿を思い浮かべられない。父親のような大人になりたいとは思っているけれど、容姿はもちろんのこと、ちゃんと彼女に相応しいだけの男に成りきれているだろうかというところにまでも思い巡らせた。今まではただ、椿希と恋仲になれたらいいのに、というところまでは願っていたけれど、こうして結婚式場にいるせいだろうか、初めてその先々のことまで思い至るようになってしまい、葵生は心の内に秘めているだけなのに、なんだか恥ずかしくなってしまい、その場を立ち去った。まさか自分がこのような大それたことまで考えてしまうだなんて、葵生は今まで思いもしなかったのだから。

 結婚式を経て披露宴が始まる頃には、葵生はすっかりくだびれてしまっていて、出来るものならもう帰りたいとすら思っていたのだが、親しく付き合いの深い親戚から、今日初めて顔を合わせた親戚に至るまでが、次々と姉の祝いにと両親だけではなく弟の葵生のところにまで挨拶に来るので、先ほどのようにふらっとどこかへ行くわけにもいかず、ぎこちない愛想笑いを浮かべながら時間が過ぎていくのを待つばかりだった。
 母は葵生には口煩くあれこれと言っていたのに対し、姉にはほとんど干渉することがなく、姉がこうしたいと言えば特に反対することもなかったので、愛情が薄いのだろうかと幼い時分の葵生は思っていたが、こうして立派な式を挙げているところを見ると、やはり母は一人娘の姉のことを大切に思っていたのだろうと思われた。姉と弟とでめりはりをつけて教育をしたのかもしれないし、それぞれの個性に合わせて変えたのだとも言える。葵生は「姉の分まで縛り付けられた」と思っているけれど、母親の立場からすれば長女には大らかに、長男には将来一家の大黒柱となるためにも、しっかりとした教養を身につけさせたいという考えだったのかもしれないが、そのようなところまでは葵生は気付く由もなかった。
 高い天井の披露宴会場は、煌びやかなシャンデリアや上品で繊細なテーブルの飾りつけが目を惹き、細やかなところまでも手抜かりがない。給仕をする者たちも皆器量が良く、さりげなく皿を取り替えたり飲み物を注ぎ足しに来たりと、よく教育されているらしく流石は一流と呼び声の高い式場だけあると、人々は嘆息を吐きながら噂し合っていた。派手で豪華絢爛というわけではないが、何もかもが心の行き届いた上等なものばかりである。
 花嫁衣裳も何度もお色直しで変えているけれど、色合いも形も生地も、全てが上等なものだと分かるようなものばかりで、それを誰かが口にしているのを耳にしながら、葵生は決して特別仲の良かった姉弟ではなかったけれど、そんな風に姉が褒めそやされているのを少し嬉しく思うのだった。
 時の流れをゆったりと感じさせるような音楽が流れ、つつがなく執り行われた披露宴も終わり、会場を出たところで新郎新婦とその両親は揃って来客たちに挨拶をしていた。金屏風を背に、久しぶりにすかっとするような笑顔を見せる姉を遠目で見ながら、葵生も少し微笑んでいた。
 誰かに話しかけられないようにと思って、少し離れたところで人目につかないように佇んでいると、少し人がまばらになった頃に、姉が呼んでいるのが聞こえた。葵生が何事かと思って姉の元に行くと、すぐに姉の友人達に囲まれた。
 「ほら、これが私の弟の葵生。どう、顔だけは自慢なの」
 顔だけは、とはどういうことだよと突っかかりたいところだが、姉独特の冗談であることだし、すぐさま姉の友人達が葵生の顔をじっと覗き込むように見詰めるので、葵生は顔を赤くしながら少し後ずさりした。
 「本当、想像していた以上にすごく男前でびっくりしたよ。年下なんて考えられないと思っていたけど、弟くんとなら、私は構わないかなあ」
と、派手な化粧と原色のワンピースに身を包んだ女性が言った。葵生は勘弁して欲しいと思っていたが、それを言うと後が恐ろしいので愛想笑いを浮かべながら、姉を肘で小突いた。
 「義兄さんのことは放っておいていいのかよ」
 呆れたように、わざと大きな溜め息を吐きながら姉に言うと、
 「いいのよ。こういうときぐらいじゃないと、あんたを自慢出来ないからね。ほら、写真撮っているんだからちゃんと正面見てよ」
と、姉は全く意に介さない様子で楽しそうにしている。いくら姉が主役の日だからと言って、こう玩具のようにされては堪らないと、葵生は隙あらば逃げ出したいところであったが、周りをぐるりと囲まれてしまっていて、とても出来そうにない。
 いつの間にか何枚も姉と、あるいは姉と姉の友人達と写真を撮られてしまっていて、文句を言ってやりたいところだが、めでたい日に怒声を浴びせるのはいかにも大人気ないと思い、控えていた。
 「そういえば、その制服はもしかして『染井』じゃないの。もしかして弟さんって『染井』の学生さんなの」
 あまり特徴が現れにくい夏服とはいえ、紺色のズボンに、カッターシャツに紺糸で刺繍が施された制服は、知る人にはそれが染井のものだと分かるもので、目ざとい一人がじっと見詰めながら言った。
 「そうよ。まあ、姉の私から見ても顔と頭はいいのよね。性格は生意気で無愛想で、落第点ばかりなんだけどね」
と、まんざらでもない様子で得意気に言うのが、なんとも気に食わないところではあるが、葵生はそこで文句を言えば倍返しにされそうな、過去の幼い頃の記憶がちらと蘇り、口を噤んだ。
 「ねえねえ、彼女いるの。染井は男子校だけど、女子校が近くにあるわけだから、彼女いても全然おかしくないもんね」
 少しお酒が入って回ってきたのだろうか、ほんのり顔を赤くしながらねっとりと喋った女が、顔をぐい、と近づけて来たので思わず葵生はまたもや後ずさりした。答えるつもりなどさらさらなかったけれど、そこは姉が口を挟んだ。
 「さあねえ、私も実家に住んでないからよく分からないけど、久しぶりに会ったときに、なんか妙に色気づいたような気がしたのよね。まあ、がきんちょの年齢じゃないから、そうなっても不思議じゃないんだけど、男子校育ちだけに出会いなんてそうないはずだけに、なんか怪しい、とは思っているけどね。どうせ聞いたって答えない奴だから、私もそっと見守っておこうと思うの。姉として」
 助け舟だったのか、何だったのかさっぱり分からないまま、葵生は大きな溜め息を吐いた。しばらく同居していなかった姉が敏感に『色気づいた』と悟っていたことは意外で、少し驚いたけれど、余計な詮索をするつもりがなさそうなのは安心した。姉は母とは違ってさっぱりとした性格だから、口に出して言ったことは大抵その通りにするし、細かなところには拘らないのである。
 「顔、赤くなってるよ。可愛いなあ。やっぱり彼女いるんだね。そうだよね、いても全然不思議じゃないもんね。男の子からも狙われそうなくらい綺麗な顔をしているんだもん、女の子が放っておくわけないもんね」
 誰もが羨む容姿を持つからといって、必ずしも好きな相手に好意を寄せられるとは限らないのに、と葵生は内心で呟いた。それに、彼女には容姿で惹かれられるより、性格や相性が合うからといった、言葉では説明のつかないような感覚だとか感性でもって、葵生という人間を見て欲しいと思っているので、いかにも軽い調子で酔いに任せてくだけた話をする姉の友人を、葵生は軽蔑したような眼差しで見ていた。
 「茜、常陸のお義母さんがさっきから探してたのに、何を葵生にちょっかいかけているのよ。あなたは花嫁なんだから、もっと周りに気配りをしなさい」
 いつの間にそこにいたのか、母がずいと前に出て姉に小言を言うと、姉は、
 「はいはい。そりゃどうもすみませんでしたねえ。何が楽しくて披露宴の日まで小言言われなきゃならないんだか。何も人前で言わなくても」
と、ぶつぶつと言いながらも義母になる人のところへ、ドレスを捲し上げてぱたぱたと走って行った。華やかな衣装に身を包んでいて、黙っていればそれなりの美人なのに、こうしたふとした時に本性が出るというのか、はしたないところを見せてしまうのは相手方の両親が見れば一体どう思うことだろうか、と弟の葵生が心配するのは余計なお世話かもしれない。だが、こういう屈託のなさこそ姉の良いところでもあるので、何事にも雁字搦めにしがちな母よりはずっと、姉に親しみを感じていたのだった。そんな姉と共に姉の友人も向こうへ行ってしまったので、葵生はようやく縛りから解放されたのでほっと溜め息を吐いて胸を撫で下ろした。
 「葵生、今の話は本当なの」
 唐突に母が言ったので、一瞬自分のことだとは思わずにぼうっと姉のいる方向を見ていたが、母に肘で小突かれて我に返った。
 「今の話よ。あなた、彼女出来たの」
 俄かにさっと顔から血の気が引いていくのが分かったが、ここで動転した様子を見せれば認めたことになるので、葵生は視線を逸らさずに遠くを見詰めたまま言った。
 「姉さんは昔から俺のことをからかうのが趣味みたいなものだから、そういう風にでも言ってみたかっただけだろう」
 きっぱりと否定すれば母親も納得するだろうけれど、彼女のことを心から愛しく思う気持ちは本物なので、いないと正直に言ってしまうのも気が引けて、葵生は肯定も否定もしなかった。しかしそのことが一層母親に疑念を抱かせることとなって、
 「でも、仲のいい女の子はいるのね。何故そういう風になってしまったの。受験勉強の妨げになると、ずっと口を酸っぱくして言っていたでしょう。恋愛にうつつを抜かしている場合じゃないのよ。前にも言ったでしょう、母さんの知り合いのそれは優秀な子に彼女が出来たために、浪人してしまったっていう話を。あなたもそんな風になるかもしれないのよ。浪人も一年で済めばいいけど、二年、三年とかかってきたらどうするの。気を腐らせてしまうかもしれない、母さんはそれが怖いのよ」
などと、うんざりするようなことを思い浮かべては、さもぞっとすることのように大袈裟に言うので、葵生はすっかり呆れ果てて情けなく思い、
 「そんな仲じゃないから心配することはないよ」
と、つい口に出して言ってしまったので、母はますます取り付く島もない様子で、ものすごい剣幕で葵生に尋問しようとしていた。
 「女は魔性なのよ、葵生。あなたが考えているほど甘くはないんだから、高校生の間は絶対に恋愛は禁止。それは昔からずっと厳しく言ってきたでしょう。相手も高校生なの。たとえそうだとしても、その年頃ならちょうど色気づくから誘惑して、あなたを奈落の底へ突き落すかもしれないのよ」
 周りに人がいるせいか、声を荒げて叱り飛ばすようなことはなかったけれど、声を潜めながら言うのもまた、母の執念が感じられて葵生はうんざりしてしまった。受験勉強に差し障りが出ると言っているけれど、それは人にもよるだろうし、彼女は葵生の足を引っ張るような真似はしないだろう。むしろ彼女がいるお陰で葵生にいい影響をもたらしているというのに。彼女は葵生にとって、初恋の人であり、友人であり、そして良き競争相手なのだから、葵生にとって何一つ悪いところはないというのに。
 それらを、葵生はとうとう真っ向から言えなかったのだった。


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