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作品名:星屑の詩 作者:柳原奈生

第4回   4
 それから葵生は、妥子に「葵生には椿希が似合うと思う」と言われたことで、表面では何も感じなかったかのように振舞っていたけれど、何度その言葉を葵生は心の中で反芻しただろうか。しつこいぐらいに繰り返しても、全く飽きることがなく、時折表情が笑みを作ってしまっている。そう言われて嬉しくないわけがない。というのも一目見たときから、葵生は椿希の端麗な容姿や立ち居振る舞いに惹かれてしまっていたため、そんな彼女に似合うと言われれば、にやにやと笑みもつい漏れてしまうというものだった。それがどういう感情の元かは、まだ経験の浅い葵生にはまだ分からなかったが、少なくとも他の女子に抱くものとは違うということだけはよく理解していた。
 そう言う風に悶々と過ごしているうちに、椿希なら心を開いても大丈夫だろう、受け止めてくれるだろうと、葵生は漠然と思うようになっていたため、自然に心は開かれていった。ただ一点、この前の妥子の言葉に対して椿希が肯定も否定もせず、冗談めかして煙に巻いてしまったことだけが引っ掛かっていて、まだ今ひとつ葵生の心に自信を持たせることが出来ずにいた。
 まだ出会って数週間ほどしか経っていないのだし、葵生はその間無表情を貫いていたのだから、そんな葵生に椿希がほかの男子と比較して興味を持つかと言えば、持たないだろうということが容易に想像がつく。むしろ秋定桔梗の方が、椿希にとっては近しい人物のようで、休み時間のたびに雑談で笑い合う間柄なのだから、桔梗との関係が深まっているのは当然のことだった。人間、中身を知るにはやはり意思疎通が必要なのだから、現地点では椿希にとって葵生は目立たないその他大勢の存在であっただろうと、葵生は客観的に分析していた。

 あれから一週間ほど経ち、光塾の学生たちはキャンプに来ていた。五月の連休の間、一年生と二年生は親睦を深めるためという名目で、キャンプに出かけるという行事があった。先輩の春成藤悟曰く、「いい発散になる」とのことで、葵生は初めての体験となるキャンプに参加できることを楽しみにしていた。
 基本的に男子は薪割りや運搬などの力仕事、女子は調理といった担当になるのだと聞いていたが、たとえ面倒で苦労する力仕事であってもやってみたいという思いが強かった。というのも、最初はキャンプとは名ばかりで、実態は勉強合宿であり、施設に宿泊して晩と早朝には試験があるという体裁であるとばかり思っていた葵生は安心していたし、純粋な意味の『キャンプ』を満喫出来るとあって、とても楽しみにしていたのだった。
 集合してみてキャンプに参加した人数が、思ったよりも多いのに驚いた。それまで会ったことのない同学年の別の塾生もいたため、見ず知らずの学生がほとんどだった。光塾の卒業生が何人か手伝いに来ていたが、彼らの中には幼く見える者もいて、塾生と間違えてしまいそうだった。
 班分けは講師によって学年やクラスをこえて編成され、葵生は同じクラスの中では、相楽妥子と綾部笙馬が同じだった。
 「あら、残念。私じゃなくて、椿希の方が良かったでしょ」
 わざと意地悪っぽく妥子が言った。
 「そうでもないよ」
 ぶっきらぼうに言ったつもりだが、確かにそう思ってしまっていたのを見破られていたのが、なんだか悔しい。見透かしたかのように、ふうん、と鼻を鳴らしながら妥子は葵生の表情から心を読み取ろうとする。
 「そう。じゃあ、仲良くなろうね、葵生くん。私を踏み台にしてもいいから」
 あくまでも葵生が望んでいたのは椿希だろうと推し量って、妥子はにやにやと笑っていた。こういうことを言われると、昔は大抵不快に思ったものだけれど、何故なのか妥子に対しては全くもって頭が上がらない。それより、日向柊一や大隅茉莉らと別の班であったことの方が葵生にとっては幸いだった。キャンプに来てまで悩まされるのはたまったものではないから。

 辺りは木々の緑で彩られ、あとは薄青の空に白い雲がうっすらとある。きらきらと木漏れ日が差し込むのが都会と同じ状態のはずなのに、何故か格別なもののように思えるから、場所柄のせいだろうか、しみじみとその景色に見入ってしまう。ざわざわと風に揺られて音を立てる葉や、清らかで濁りのない川のせせらぎも、スピーカーを通して聴くものと違って、それが直接耳に入ってくるとなると、心が大らかになっていくような気がする。
 そんな風に感慨深く耽っているうちに、キャンプ場ボランティアスタッフから、キャンプ場での注意事項や飯盒炊爨についての説明を受けて、夕飯の準備に取り掛かることとなった。別働隊が車で運んできた食材を下ろし、少し離れたところに保管してある薪を取りに行く。班長の二年生が適当に役割分担を決め、素早く行動するよう指示が出る。まだ初参加の一年生にはよく分からない点も多いので、その都度卒業生や二年生が教えたり説明したりし、またスケジュールが切羽詰っているということもあって、機敏な行動をするよう促していた。
 キャンプは班行動が原則だから、自然と初対面である他のクラスや二年生たちとも会話をすることになる。比較的人見知りをしやすい方の葵生も、こういう場になると無口を通すわけにはいかず、気が付けば、自ら話しかけていることが多かったので、
 「やけに今日はよく喋ってるね、葵生くん」
 食材を洗いながら妥子が言った。
 「そうか。俺って、そんなに喋らない人間と思われてるわけか」
 洗い終えた食材を、ざるに入れながら溜め息を吐いた。
 「そうね、うん、多分大方のクラスメートはそう思ってるんじゃないかな」
 「はあ、別に意識して喋らないわけじゃなくて、喋る必要がないから黙ってるだけなんだが」
 葵生が学校では無口ではないということは、日向柊一がたびたび塾生同士の会話の中でしていることだが、塾内ではなかなか浸透していない。その理由は、葵生に代わって柊一がさもスーパースターのように学校での武勇伝を語っているというのに、肝心の葵生はそういう話に参加しないため、葵生とは寡黙な人間なのだという評判が立ち、いつしか誰もがそういう目で見るようになっていた。
 いい加減、周囲の熱も冷めてくれればいいのに、と葵生はよく思う。だが柊一の弁が立つこともあり、なかなかその様子は見せない。葵生が思うに自分の真実の姿からは五割増くらいに美化されており、実像に近いところで葵生のことを理解しているのは果たしているのだろうか、甚だ疑問である。皆が幻想を抱くのは勝手だが、葵生が塾生の中で心を許している相手である椿希や妥子に対してだけは、どうかありのままの姿を見て欲しいと、切に願うのだった。
 呆れたように言い放った葵生の様子を見て、妥子はほんの少し同情した。
 「なんとなく分かるよ。自分のこと言われっぱなしでちょっとうんざりしてるんでしょう」
 水を切ったり、玉葱の皮を剥いたり、喋りながらだが手の動作はしっかりと動いているのに、葵生は少し感心した。
 「柊一くんもちょっと控えたらいいのに、って思うけどね。自慢なんだろうね、自分の学校にこんなにすごい奴がいるんだぞって言いたいのかもしれない」
 こんな風に二人きりで話をしたのは初めてだったが、こんなことを言ってくれたのは妥子が初めてだったので、感心して、
 「しっかりしてるな。よく観察してると思う」
と、言ったのだった。なるほど、そう言われればそうかもしれないとようやく納得したものの、柊一がまた今頃余計なことを話して回っているのかもしれないと思うと、どうにかして黙らせたいところであるが。
 「ありがとう。葵生くんにそう言われると嬉しいね」
 妥子が洗い場での作業を終えると、野菜の入ったざるを持って炊事場へと運ぼうとした。
 「おっと」
 溢れてざるから落ちそうになった野菜を慌てて抑えると、妥子は小さくありがとう、と言った。この機会だからと思った妥子は、少し背伸びをして葵生の耳の近くでひそひそと囁いた。
 「そうそう、椿希が言ってたよ。『葵生くんって、本当は無口なんじゃなくて、女の子が苦手なんじゃないかな』って。あの子もなかなか鋭いこと言うでしょう」
 どきっとして、葵生は瞬時にして顔を赤らめた。あの校門で自分を待ち伏せしている女子たちも、同じクラスメートの茉莉やゆり子も、このキャンプに参加している初めて会った女子学生たちも、必要でないのなら話しかけたくないし、話しかけられたくもないため、避けていた。
 避けている風なのを見せないよう、さりげなく会話の輪の中から外れるようにしていた葵生のことを、椿希は気付いていたのかと思うと、なんだか子供っぽいところに気付かれてしまって恥ずかしいやら、ちゃんと見ていてくれたことを嬉しく思う気持ちやらで、葵生はもぞもぞと心が落ち着きそうにない。 
 椿希を見た。こんなに人がたくさんいるのに、いとも簡単に彼女を見つけられてしまうのは、無意識のうちに彼女を目で追っていたからだろうか。ふと周囲を見渡しても、男子学生に引けをとらない長身、まだ少女らしさの残る未完成ながらも整った面長の顔立ちは、遠目から見ても彼女だと分かるほど、とても目立つ。
 いつの間にか妥子はいなくなっていた。葵生は自分の持ち場へ戻るが、その途中もなお椿希をちらちらと見ていた。椿希は同じ班である桔梗やその他のメンバーたちと、仲良く食材を切ったり会話したりと、楽しそうにしていた。何を話しているのか、くるくると変わる彼女の表情を、もっと見ていたいという願望を胸に秘めつつ、少しばかりの嫉妬を抱きながら、葵生は椿希が自分のことを少し理解してくれているらしいことが嬉しくて、少し柔らかな笑みを浮かべた。
 こんな風に、葵生は椿希のことばかり考えていたので、それからは少しも景色を楽しむ余裕もなく、ただ彼女が少しでもこちらを見て何か考えてくれればいいのに、と気掛かりでならなかった。同じ班でないからこそ、どうしても何を話しているのかが気になってならず、用事のあるふりをしてさりげなく彼女の近くに寄ってみたり、何か訊ねる用事を作って彼女に話し掛けたりしていたのだけれど、さて椿希は葵生のことをこのキャンプの間に考えていたのだろうか。

 キャンプファイヤーは二日目で、一日目の晩は肝試しというスケジュールだった。夕飯の後片付けは一年生が担当するよう言われ、二年生はそそくさと肝試しの『仕込み』に取り掛かりに行ってしまった。ひととおりの仕事を終えると、講師や手伝いの卒業生たちもあちらこちらへと分散してしまい、すっかり人がまばらになってしまっていた。
 すっかり暇になって手持ち無沙汰になってしまったから、時間になるまで、炊事場では談話会がぽつぽつと開かれていた。いつの間にか陽もすっかり沈んでしまい、先ほどまで強い橙色の光が差し込んで眩しいほどだったのに、今となっては視覚は炊事場の薄暗い明かりに頼るしかないほど、薄暗くなっていた。山の中ということもあって都会のさまざまな雑音の一切が聞こえず、ただ虫の音や風が吹いてさやさやと木の葉が擦れて聞こえるなどといった、自然の音が、少し侘しくも頼りない心地にさせられるが、そういった心情になったことは初めてだったため、葵生は不思議にも面白いと思うのだった。
 「妥子、葵生、これ」
 綾部笙馬がテントに一度戻ったついでに、二人分の懐中電灯取って来て渡した。
 「ありがとう。準備いいな」
 手渡された懐中電灯の電源を点けたり消したりしながら、葵生は感謝した。
 「持ってない方がおかしいでしょう。確かに栞には書いてなかったけど」
 妥子と葵生は揃って苦笑した。ほとんど全員が何も言われなくても持ってきていたのだから、不覚としか言いようがない。二人揃って忘れていたとはなんという偶然かと笑い合いながらも、肝試しは山道を歩くのだから、薄暗い電灯では頼りにならず、懐中電灯がなければ最中のことが思いやられる。二人共とてもしっかりしてそうなのに、こういうつまらないことで抜けているとはなんとも意外だと笙馬は思っていた。
 「妥子、肝試しは大丈夫なの。苦手じゃないかい」
 気を遣って笙馬が訊ねると、妥子はにっこりと笑って返した。
 「うん、大丈夫。ここで『キャー』って言えたら、可愛いんだろうけどね」
 笙馬は苦笑した。確かに、妥子はそういうことは言わないだろうから。
 「だけど、椿希はああ見えて怖がりなんだよ。『プリンス』って言われてるわりに、ホラー映画も駄目で、絶対に観に行こうとしないの」
 笙馬に言っているつもりだろうが、葵生にも視線を向けて含むように笑った。
 「意外だなあ。凛とした印象が強いから」
 笙馬が驚いたように言うが、葵生にとっては、それは全然意外なことではなかった。椿希は皆が思っている以上に女性らしいところがあり、几帳面すぎず細かなところによく気が付き、それをさりげなく直すべきところは直しておくのだ。『礼も過ぎれば無礼となる』との言葉があるが、適度な礼を尽くすことの出来る椿希のことを、若くして今時珍しい嗜みを持つ人なのだと、しみじみと思う。
 そして、彼女のノートにはは整然とした文字がいつも並んでいる。釣り合いの取れた美しい楷書体は、筆圧といい文字の大きさといい、硬筆の理想に適うものであり、達筆だと心底思った。女子が皆、字が上手というわけではないのは、茉莉のノートを覗き見したときによく分かった。その丸文字やだらしなく崩したような、とても小学校で習った平仮名や漢字から程遠い文字は、難解で頭痛がしそうだったものだ。そういうのを思い返すにつけ、まだ出会ってからほんの一月余りだけれど、こんなに揃っている人はそういないのではないかと、葵生は椿希のことを見ているのだった。
 「おっと、そろそろ僕たちの班の移動時間みたいだな」
 笙馬が声を掛けたのに近くの誰かが気付いて立ち上がったので、皆時間が来たことを知って、お喋りの続きをしたり、懐中電灯をかちかちと点けたり消したり遊びながら、ぞろぞろと動き出した。
 懐中電灯を持っているとはいえ、暗い夜道はやはり心許ないもので、油断するとうっかり石に躓いたり足を滑らせてしまったりと、危ない。
 「なんてことない散歩道だ」
 葵生が強がって言った言葉に、妥子はくすくすと笑いながら、
 「今の言葉を椿希に聞かせてあげたいわ」
と、こんなときでもからかうものだから、葵生は暗がりの中にいることをいいことに顔を真っ赤にさせながら、彼女が近くにいることを想像してはますます顔を赤くさせるのだった。


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