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作品名:星屑の詩 作者:柳原奈生

第36回   第一章 第七話 【花火】5
 葵生はそわそわと落ち着かない様子を見せる笙馬に気付き、きっと妥子のことで気を揉んでいるのだろうと思って見ていたが、どうやら近々河川敷で打ち上げられる花火大会のことを切り出そうとしているらしく、街中の店に置いてあったビラを小さく折りたたんで、何かの機会に渡そうとしているようだった。
 それを見て、葵生も心が動かされないわけがなく、椿希との間に出来た溝らしきものを埋める良い機会ではないかと思い、誘ってみようかと思っていた。あの色恋事に関してはひどく優柔不断なところがあった葵生がここまで大胆な考えに至ったのも、もうあの夢を見てから耐え難い恋の辛さを身に染みて味わい、胸の内に秘めている思いが流れ出すのを防ぐ堰も、もはや頼りないもののように感じられたせいだった。椿希と出会うまでは全くの無縁だった、甘く狂おしい感情を知ってしまってからは、独占欲も並々ならぬほど大きく膨れ上がり、葵生は寝ても覚めても椿希のことばかり思い続けているのだった。
 笙馬は休み時間に、他愛のない会話のついでにそっとさりげない風に妥子にビラを手渡していた。折りたたんだ紙の間に小さなメモが挟んであるのを見つけて読むと、案の定花火大会へ行こうという誘いの言葉が書かれてあり、妥子の顔色がさっと朱に染まった。その遣り取りを見ていた葵生は、妥子でもそのような顔をするのか、と目ざとく見ていると、それならば椿希がどういう反応を見せるだろうかと楽しみな気もしていた。
 椿希は近頃は妥子のほか、桔梗ともよく話をしているので、葵生はさりげなく何事もない風を装っているけれど、心は椿希のいる方に向けられていて、何を話しているのかと気にしながら耳を澄ませて聞いているのだった。桔梗の方は椿希に対して、様々に好意のあるような素振りを見せては、時折、
 「時々本当に心から思うけれど、付き合うなら椿希のような子がいいなと思うんだ」
と、口に出してはっきりと言うので、誰が見ても桔梗の思いは明らかで、周りもそのつもりで見守っている。椿希は桔梗がそのようにきっぱりと言うので、かえって気が楽なのか、
 「本当の私を知ったら、きっと幻滅するでしょうね。そうならないように、私も精進しなくては」
と切り返すので、どうやら椿希の方は桔梗に対してそれほど深い思いがないように見受けられ、葵生も少し安心しているのだった。だからと言って、今のままで過ごすのも、今までどおり傍にいるだけで十分だとも思い切れない。
 葵生は椿希にすれ違いざまにそっと紙切れを彼女の手に握らせて、自身は廊下に用のある振りをして出て行った。椿希は掌の中の紙切れをきゅっと掴んで、自分の席で人に見つからないようにぱらりと紙を開いた。そこには葵生の少し癖があるけれど丁寧な筆跡で、
 「もうじき開催される、河川敷での花火大会に行きませんか。最近はあまり話す機会もなくて、少し寂しい思いをしています」
と前置きがされてあり、あとは椿希が断らないことを前提に、日にちと待ち合わせ場所、待ち合わせの時間などが書いてあり、最後には、
 「このことは他言無用です」
と結んであったのが、あの管理棟での出来事を彷彿とさせるので、椿希は逡巡させてすぐに返事も出来そうにない。だが、何も言わないで無視するのも決まりが悪いので、ルーズリーフの端を丁寧に四つ折りに千切ると、
 「私が返事を出すまでもなく、拒否権なんで初めからなかったのでしょう」
とだけさらさらと書き、葵生の机の上に置いてあった筆箱の下に紙をそっと忍ばせた。
 休み時間が終わる頃に葵生が教室に戻ってくると、椿希は素知らぬ顔で桔梗や柊一と話をしているので、怪訝そうな顔をしたが、筆箱の下に紙切れがあるのを認め、もしやと思って開けてみると、椿希からの返事だったので、葵生の表情はさっと笑みを作り頬を赤く染めた。
 それにしても相変わらずの達筆ぶりである。彼女の書く美しく趣のある楷書体を時々見ることはあっても、こうして自分のものになるのは全くの初めてのことなので、思いがけない喜びも得られ、葵生は浮き足立ったような心地のまま、授業を受けていたのだった。もう少し長い文章で返事をしてくれれば、もっとその文字の端正さを味わうことも出来ただろうにと思うのは、なんとも欲深いことであった。

 花火大会に誘われて、そのまま何事もなく終わればいいが、もしかするとあれから医者に診てもらったかと訊ねられることもあるかもしれないと思い、椿希は先に藤悟に病気のことを伝えておくことにした。夏の日の夕方に藤悟を喫茶店に呼び出して、自分の病気のことをすっかり話して、ついでに葵生に対してのことも相談しようかというつもりでいる。葵生とのことを知られるのは気恥ずかしくて伏せておきたかったのだが、藤悟にとっても葵生は全くの赤の他人というわけでもないので、少々のことは大目に見てくれるだろうと思い、椿希は病気のことを全て話し終えた後で言った。
 「私の病気のことを真っ先に気付いて、医者に診てもらうよう勧めてくれたのは、実は葵生くんだから、葵生くんにもいずれは私の病気のことを話さなくてはと思っているんだけど、そのことについて、前もって藤悟くんにはお願いしておきたいことがあるの」
と言って、一度間を置いた。藤悟は突然の椿希の告白に既に驚いて、本当にあの椿希がそのような厄介な病気に罹っているのかと信じられない気持ちでいるところを、さらに何かを言おうとしているので、藤悟の気も休まることがない。だが、葵生のことで何か言うことがあるのだろうと察すると、藤悟はさりげない風にして、
 「葵生のことで何か話があるの。珍しいね、今まで葵生のことなんて話にも上らなかったのに」
と、思ったことをそのまま口にした。
 「本当にそうね、今まで葵生くんのことは藤悟くんの方がよく知っているだろうと思って、遠慮したわけではないけれど、敢えて話すこともないと、話題にもしなかったことね。でも、今回ばかりは流石にそうもいかなくて。さっきも言ったように、私の病気は葵生くんがただ事ではないに違いないと言ってくれたから、早期発見することが出来たわけで、もし彼の口添えがなければ私はきっと虫にでも噛まれたのだろうと思って、皮膚科に行くこともなかったと思うの。皮膚炎と体調不良がまさか関連があるだなんて、素人には分からないことでしょう。それを見逃したことによって、後になって深刻な事態になってから救急で運ばれていたかもしれないと先生に言われて、本当に心の底から彼には感謝したものだわ。だけど、葵生くんは藤悟くんも知っている通り情が細やかて優しい人だから、きっと私の今の状態を知ると悲観したり同情したりして、私のことばかりにかまけるのではないかというのが気掛かりでならないの。それが杞憂だといいけれど、最近の葵生くんの態度を見ているとやはり見過ごすことも出来なくて」
と、慎重に言葉を選びながら椿希は言った。藤悟はおよそ言葉の続きが分かったので、
 「なるほど、確かに椿希が思う通りのことにならないとも限らないよな。あいつは何事にも動じないからか冷たいように見えることがあるけれど、心を許した相手には自分のこと以上に気に掛ける情の深い性質だから。分かった、俺はあいつには何も知らない振りをして黙っておくことにするよ。でも、いつまでも黙ったままでいるわけにはいかないだろう。ある程度は葵生にも話しておいた方がいいんじゃないの」
と、優しく諭すように言った。
 「もちろん、全てを隠すつもりはないわ。貧血の傾向があることは嘘ではないから、当分はそういうことにして、後のことは経過観察中ということにしようと思うの。本当のことを話すのは、大学受験が終わってからというつもりよ」
 全くの嘘を吐いているわけではないけれど、やはり隠し事をするのは後ろめたく気まずそうで、椿希の声にも張りがなくて申し訳なさそうである。どういうことを言えば葵生にとっても椿希にとっても心のすっきりとするものなのか分からず、結局このような曖昧にぼかした打ち明け方をするしかないと思い至ったのだった。
 椿希がそう決めたのなら、と藤悟はあまり口を出さないつもりでいる。一人っ子の藤悟にとって、妹のように思っていた椿希がこんなことになるなんてと、内心では取り乱しているのだが、他人の自分がそのような有様を見せたら、当事者たる椿希はもっと心を掻き乱して、良いところも悪くなってしまうのではないかと思われて、平静を保っているようにしていた。
 藤悟は幼い頃から日曜になると教会に通っていたので、聖書には馴れ親しみ、牧師からの説教を聞きながら信心深く、「全ての事象は神が定めたことなのだ」と思っていたため、椿希の身の上に起きたことは何を意味しているのだろうと考えるが、これといった答えが見つからない。それもこれも浅慮のあまりに大切なことを見落としていることがあるからかもしれない、と思いながら、神に椿希の病状が安定するよう祈るのであった。
 聖書には「神は奇跡を起こし、いかなる難病も治すことが出来る」というような話があるけれど、それならば椿希を苦しめているものを奇跡によって取り除いて欲しいと願うのであった。またその一方で、このようなことを簡単に思いついてしまうのは、まだ完全に教えを信じ切れていないのだろうか、とも藤悟は自嘲気味に思っていたのだけれど。
 病が宿命づけられたものなのかもしれないから、受け入れるべきなのだろうと思いながらも、椿希の苦しみを取り除いて欲しいと思う本心は、なんとも矛盾したことなのだが、藤悟としては一人の人間として、幼馴染みとして、彼女のことを気遣って心配せずにはいられなかった。

 葵生は椿希が書いた紙切れを筆箱に入れたまま、どこへ行くにも持ち歩いていた。時々そっと広げて見ては、ふっと表情を緩めるのが優しくてうっとりと見惚れてしまいそうな美しさである。椿希としてはさりげなく書いたつもりであろうが、気取らず飾らずありのままなので、かえって葵生にとっては宝物を手に入れたようで、ようやく彼女の一部を手に入れたような気になり有頂天でいた。彼女は誰かに見られてしまうことを懸念したのか、敢えて内容が二人にしか分からないよう、曖昧にしているのもまた一層葵生は好ましく思え、また二人だけの秘め事というのが葵生はこの上もなく色めいたことのようで、幸せな心地に浸りきっていた。
 夏の初めの統一模試の結果が返ってきて、その成績次第では花火を見に行くのにも晴れ晴れとした気持ちで行けるかどうかだったが、葵生はとにかく椿希の前では格好をつけていたい、彼女に注目されたいという一心でいたため、成績は当然今回も二位とかなりの差をつけての総合一位となったのだった。国語と数学の両方を一位、その他化学や世界史などは学生の選択によるので掲示板には貼り出されなかったが本人にとっても満足のいくものだった。しかしながら、死角がないと言われながらも、本人にとっては最も苦手と思っている英語だけは、頑張っても上位に食い込むのが精一杯で、椿希には及ばない。今回の試験は特別英語が難しく、平均点も低くて葵生もその影響を受けた一人なのだが、二位以下を大きく突き放して九割以上の正答率で一位を獲得したのは、例によって彼女だったのだ。
 殊、成績に関しては葵生は椿希に負けたくないと思っているので、英語はとりわけ熱心に勉強をするのだが、他の教科も疎かには出来ないので英語ばかり勉強するわけにもいかず、伸び悩んでいるのだった。
 葵生の悩みなど意に介すわけもなく、椿希は英語は単語を新しく覚えたり、文型を頭に入れたりするのはほどほどにして、あまり得意とはいえない国語や数学に力を入れるようになったので、その成果が徐々に現れ始めていた。
 まだまだ葵生には余裕があるとはいえ、一科目どうしても椿希を上回ることが出来ないのが悔しくてならない。普段の会話のみならず、こういった学業面でも張り合いのある彼女だからこそ、きっと惹かれたのだろうと考えながら、葵生は明日に迫った花火大会のために準備を整えた。準備といっても、お互い学校の夏期講習が昼にあるので、直接大会の会場へ向かうため、服も制服なので、取り立ててお洒落をするほどでもないのだけれど。
 晩、風呂上がりに入念に髪を乾かしながら梳き、鏡で何度も癖がないかを確認した。元々癖の強い方ではないけれど、気になるところが少しでもあれば、まだ乾ききっていない今のうちに直そうと、全身鏡と手鏡を使って後頭部に至るまでくまなく調べた。そこまでしなくても、少しくらいの癖があったって気にするほどでもないだろうし、完璧でないのもまた見応えがあるというものだが、やはり椿希と並んだ時の見栄えが悪くなりはしないかということが気掛かりだったようだ。近頃少し頭の頂のあたりを逆立てるようにしているのは、いくらか差が開いたとはいえ、彼女より少しでも身長を高く見せようという思いからであるらしい。
 やや満足のいかないような表情であったが、あまりこだわったところで眠っている間に乱れるかもしれないのでいい加減のところで止め、再び勉強机へと向かった。
 恋心の向かう先が、今のところ勉強に繋げられているせいで、光塾の塾生たちでは到底歯が立たないという程度にまで達しようとしていた。そのようなこと、誰一人知るはずもなかったけれど、そのことを知ったら、さて、皆はどういう風に思うだろうか。


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