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作品名:星屑の詩 作者:柳原奈生

第34回   第一章 第七話 【花火】3
 あの管理棟での出来事を思い出すと、今もどことなく恥ずかしいけれど、葵生が言っていた「赤い斑点がなんだか気になってならない」というのはもっともなことだと思い、椿希はあれから何気なしに近くの皮膚科専門の診療所へ行ったのだった。いくらかその斑点はもう消えかかっていたけれど、名残がまだ指のあちこちにあり、なんとなく頬のあたりにもそういったものが見受けられたので、医師はすぐに「もしや」と見当をつけ、あれこれと問診を重ねた。聡明な椿希は、その問診から、いつものように医師が薬を処方して、後は症状が出た時にだけ通院するようにと言うつもりではないことを察していたので、細かく自分の身の上に起きていた体の異変を話していた。いやに落ち着きを払っていた椿希は、血液検査のために処置室に移動したときでさえも、「これはただ事では済まないに違いない」と、大袈裟ではなく思っていたのだった。
 あれから体が妙に怠く、時折熱が出て節々が痛いので、風邪薬を飲んで治そうとしていたが、大した効き目は現れず、皮膚科にてこのこともついでに診てもらおうかと軽い気持ちでいたのであったが、斑点が出たのとそれらの症状がどうやら関連があるらしく、医師からも何度も、
 「くれぐれも無理はしないように。熱が出たら学校を休むつもりでいなさい。血液検査の結果が出る一週間後までに、何か異変があるようでしたら、皮膚のこと以外でも構いませんからすぐに来てください」
と念を押されたので、椿希も覚悟をしなければならないだろうかと思い、すぐに書店で家庭の医学の本を探し求めた。分厚い本を症状別から探していくと、本当にぴたりと合致するものが見つかり、もしやこれだろうかと目を大きくしながら食い入るようにその部分を熱心に読み始めた。長い間、そうして、椿希は次から次へと、別の本を手にとっては読み、それらしい病気についての本を探しては概要だけを掻い摘んで読んでいたのだが、次第に頭の中がもうこれ以上受け付けるのを拒むようになり、購入するつもりだったのだが、深い溜め息と共に本棚にそれらを全て戻してしまったのだった。
 「まさか私があそこに書いてあるようなややこしい病気を得るとは思えなかったけれど、皮膚科の先生もあのように仰ったんだもの、きっとただ事では済まないのだろう。滅多にならないはずらしいのに、一体どういった運命でそんな難しい病を得ることになったのか。まだ何も検査結果が出ていないからこれと決まったわけではないけれど、その心積もりをしておいて、実は違っていた、勘違いだった、という方が気持ちは楽に違いない」
と、萎れてしまいそうな気持ちをどうにか立て直そうと、いじらしくもぐっと涙を堪えているのが、またとない美しさである。少し痩せたのか、華奢ですっと消え入りそうな様子もまた、なんとも言えず傍にいてやりたい気持ちをそそられるものだが、そのような姿を椿希は決して葵生には見せようともせず、皆の前では努めて普段と変わらず元気な様子を見せるのであった。

 椿希は葵生が近頃、どことなく落ち着かない様子でこちらを見詰めているのに気付いていたが、それがまさか自分の病気のことに気付いてのことなのか、と内心はとても気になっていたのだが、それを訊ねることで葵生が確信を得てしまうのが辛いので素知らぬ振りをしていた。本当は、葵生はあの夢のことが気になって仕方がなかったのだけれど。
 そういうこともあって、椿希は葵生とは近頃それとなく距離を置いて、皮膚科に行ったことを気付かれないようにしていた。妥子にはすっかり事情を話してあるので、葵生が近づいて椿希に何か言おうとすると、妥子がさりげなく椿希に用のある振りをしてそれを遮っている。妥子は葵生が可哀相だと思ってはいたが、椿希が心配していることも理解出来るので、当分の間だけはと思って、わざと葵生に意地悪めいたことをしているのだが、やはり気分のいいものではない。それを、葵生は不快に感じて恨めしく思っていた。あれほど葵生と椿希の仲を取り持つような素振りを見せておいて、自分に恋人が出来たからと、急につれない態度を取るようになったのだろうかと思うと、妥子に笙馬との関係を訊ねて揶揄してやろうかと思いついたが、それはいざと言うときの切り札に取っておこうか、などと考えあぐねているうちに、いつの間にか日は流れていったのだった。

 一週間が経って、血液検査の結果を受け、皮膚科医より直ちに大学病院へ行くように言われ、紹介状を手渡された。このときは椿希の母親も付き添って診察室に入っていたのだが、椿希は血液検査の結果表を渡されて簡単に説明を受けると、すぐに診察室を出るように言われ、残った母親は皮膚科医より事情を聞くこととなった。話を聞いていると、母親は何故あのように素直で明るく、将来も見込んでいるわが娘がそのようなことに、とハンカチで目元を押し拭いながら「不憫なこと」と何度も言った。この医師も、世の中には様々な病を抱える人がいるけれど、中でも特に幼い子供や年頃の少年少女が生涯を通じて医師の世話にならねばならない病に罹ってしまった場面に立ち会うのが辛くてならなかった。大学病院に居た頃にはそういう告知の場面に何度も出くわしたけれど、こうして診療所でそれらしいものを告げるのは初めてだったこともあって、医師としての立場から淡々と語らねばならないにせよ、内心では同情しきっていて、もらい泣きしてしまいそうなほどに心は大いに乱れていたのだった。
 椿希は待合室で母親が出てくるのを待ちながら、やはり思った通りになったと、血液検査の結果表を見詰めていた。何がどういう意味だかさっぱり分からないけれど、『高値』の欄にいくつも印が付けられていたので、健康というわけではないらしい、と椿希はここのところずっと続いている、もう何度目かも知れない深い溜め息を吐いた。
 ずっと心配し続けてくれている妥子には、ちゃんと現在進行形で報告をしようと決めたが、後のことはどうしようかと、いやに落ち着いた心持ちで考えていた。あまり多くの人に知れて、尾ひれがついて、さも重大事件のように扱われるのはいい気がしないし、重病人のように周りから腫れ物に触るようにされるのも、自分の出来ることも出来ないことと決め付けられるようで、とても耐えられそうにない。やはりこういうことは、気の置けない人たちにのみ伝えようというつもりで考えている。
 椿希が思い浮かべた気の置けない人として、すぐに藤悟の顔が浮かんだ。幼い頃から、互いの家を行き来していて、兄を通して親しくなった藤悟のことを、高校生になった今では心の底から信頼しているので、大学病院で確たる結果が出た時に、必ず伝えようと心積もりしている。
 そして、次に浮かんだのが葵生であった。病を発見するきっかけを作ったのは、他ならぬ葵生だったのだから、やはり報告はしておいた方がいいだろうかと考えたが、藤悟と違って葵生はとても繊細で、どういうわけか友人である椿希の辛く苦しんでいるようなことまでを一緒に背負おうとするような節が、これまでにもたびたび見受けられたので、来年は受験生になることもあって、真実を伝えようかということについては迷いがあった。自分のことで葵生まで巻き込みたくないという思いと、心の底では少しでも味方になってくれて、挫けてしまいそうな気持ちを支えてくれたらと願う気持ちとがぶつかり合い、椿希の中でもすぐには結論が出そうになかった。
 色々とこの先のことを考えているうちに、母親が診察室からゆっくりと出てきたので、考えるのを止めて、母親にどういう話だったのかと訊ねると、母親は目を少し赤く腫らしながら、
 「先生はおよそ見当がついているみたいだけど、ここで行った血液検査の結果だけだと、ちゃんと確定した診断を下せなくて曖昧だから、やっぱり大学病院で診てもらった方がいいって。大学病院へ行くとなるといかにも大げさなようだけど、聞くところによると、そんなに深刻に思い悩むようなものじゃないみたいだからね。ただ、近所の内科だと専門に勉強した先生が少ないから、研究の盛んなところで診てもらった方が今後もいいだろうということで、大学病院を紹介されただけだから、少し遠くて面倒だけどちゃんと診て貰おうね」
と、優しく諭すように言う。椿希はそんな母親に、うっすらと笑みを浮かべながら頷いた。fきっと母もこの椿事に心を痛めているだろうと思うと、悲しい顔は出来なかった。せめて自分だけは元気であり続けたいと思っている椿希にとってみれば、こんな親不孝なことはないと、胸の内では涙が溢れ出して止まらないのだった。

 一方の葵生はなんとかして椿希と話したいと思い、妥子が椿希から離れる隙を窺い続けていた。笙馬と妥子は交際していることを大っぴらにしていないので、塾にいても友人同士のように接しているので、二人きりで話していることもあまりない。笙馬との関係を知っているんだぞと仄めかさなくても、「どうして椿希と話すのを邪魔するのか」と、妥子を捕まえて恨み言を言ってやりたい気持ちである。妥子はじっとこちらを物言いたげに見詰める葵生の切ない気持ちを察して、哀れとも事情を説明してやりたいとも思うのだが、それはあまりに差し出がましいことであるし、椿希の事情もよく知っているので、ぐっと堪えているのだった。

 それから数日ほど経って、椿希は紹介された大学病院に来ていた。その大学病院というのが、自分の志望大学の医学部附属病院というのは皮肉なのかそれとも何かの縁なのか、と椿希はなんとも言いようのない不思議な思いを抱いていた。
 さすがに大学病院というだけあって、建物も大きければ人も多い。玄関を入ってすぐに高い吹き抜けの空間があり、そこには初診・再診受付や会計窓口などがあり、その前に順番待ちのための長いソファーが今までに見たこともないほど多く並んでいる。患者の年齢層のほとんどは中高年であり、高校生らしい姿は今のところ椿希自身のみで、場違いのような気がした椿希はすっかり緊張してしまってきょろきょろと周囲を見回しながら、順番を待って初診の手続きを済ませた。
 初診ということもあって、順番は最後の方に回されるため、随分長いこと待合に居座ることとなったので手持無沙汰になった。今日は幸いにして状態のいい日で、症状もほとんど出ていなかったから良いものだが、これがあの日のように起き上がっているだけでも辛い時なら、とても耐えられないだろう。初診受付時間よりも二、三十分ほども前に来ていたのに、診察室に呼ばれたのは、それから約二時間後のことであったので、本を持ってきていたとはいえ、座り心地の良いとは言えないソファーの上で何時間も座っているのは相当に辛いものがあり、椿希は自分の受付番号が呼ばれて診察室に入ろうと動いた時には、もうぐったりとしてしまっていた。ようようのことで番が来たので、力を振り絞って返事をした。
 初診担当はどうやら教授がすることになっているらしく、「失礼します」と言って診察室に入ったところで直ちに椿希は嫌な予感がした。いかめしい顔付きで、いかにも厳格で近寄りがたい冷たい雰囲気を持つその教授は、椿希が中に入ってきたにも関わらずこちらをちらりとも見ようともしない。ただ、「どうぞお座りください」と感情の籠もらない機械的な声で言うだけだった。癇に障る物言いではあるが、こういうときの椿希は、なよなよと引っ込み思案になるような性格ではないし、それに対して怒ることもない。姿勢を正して極めて慇懃に振舞い、観察するように、じっと教授の顔を見詰めた。
 「紹介状があるんだね。ふうむ、なるほど、確かにこれはただ事ではないようだな。あんたいくつ、ああ、十六か。まだ高校生なんだね、なるほど大変だねえ、これからの人生長いのにこんなことになっちゃって」
と、一人でぶつくさ言いながら納得したようではあるが、全く感情の籠らない同情の言葉を言う。
 「先生、私は皮膚科においては何も聞いていませんので、先生の仰ることがよく分かりません。詳しいことは大学病院で聞くようにとだけ言われていますので」
と言った椿希は声の張りも素晴らしく、態度も凛然たるもので、まだほんの小娘にしか過ぎない椿希を嘗めきっているとしか思えないような教授の態度とは、全く正反対であった。教授も見くびっていた十代の娘に言われて自尊心に触れたのだろうか、ようやくふてぶてしい態度で椿希と向かい合ったのだが、目と目が合った瞬間、教授は思わず呻き声を零した。大抵は立場としては患者の方が下だからと、多少の無礼な態度も許されたのだが、この患者については病人とは思えぬ覇気があり、この若さにして気高く美しいので、思わず頭を下げてしまいそうなほどである。
 「ああ、そうだ。そうだねえ、確かに何も言わないだろうね。この結果だけじゃあ、確かに何も決められない。今日はほかにも色々検査をしてもらいましょう。診療所ではやらなかった検査をして、ちゃんと確定させましょうか」
と、紹介状に同封されていた血液検査の結果表を見ながら慌てて態度を覆すので、椿希は小さく呆れたような溜め息を吐いた。大人の世界はよく知らないけれど、大学病院では教授が偉そうに威儀を正していると聞くけれど、それは本当だったのだ、とひどく幻滅してしまった。患者を適当にあしらって、さも深刻そうな患者だけを論文のために教授自らが診てやり、そうでない患者は若手医師にどんどん回していくことがあるらしい、と噂に聞いていたことがあったけれど、こうして自分自身が投げやりな扱いを受けてみると、その噂が全くの想像から出た話ではないのだろうな、と思ったのだった。また、葵生がこの大学の医学部進学を目指していると言っていたけれど、葵生も大学病院に勤務するようになったら、こういった場面に直面するのだろうか、と先のことながら彼の苦労を思い遣って溜め息を吐いた。
 教授が血液検査やその他の検査の依頼を、まだ操作に慣れていないのか、たどたどしくパソコンで打ち込むと、
 「さて、次回の来院についてだけど、君、高校生だもんね。土曜がいいでしょう。検査結果も話さないといけないから、再来週がいいんだけど、どう」
と、馴れ馴れしくねっとりとした口調で訊ねた。いくら教授だからといって、患者が高校生という年端もいかない娘だからと、その話し方はあんまりではないかと、椿希は嘆息した。診察室に入ってから五分あまりの時間が経過したが、椿希はもう心の中ではすっかりこの教授に対していい印象を持っていなかったので、言うか言うまいかで迷っていたが、これからずっとこの教授が主治医になるかもしれないと思うと、やはり耐えられそうにないと思い、
 「我侭を承知で言いますが、今後は女医さんに診ていただきたいと思っています。色々と女性同士の方が相談もしやすいと思いますので。お若い先生でも構いません」
と、教授の自尊心を傷つけないよう、きっぱりと言った。予めこの病院で、その内科に女性医師がいることを調べていた椿希は、顔は笑みを作っているが、目は嘘をも見破れそうなほど射抜くように教授を見据えている。
 「ああ、そうだね。確かにその通りだ。それでは向日先生を紹介しよう。彼女はまだ若いが、とても熱心に診てくれるからと評判だし、何かと相談にも乗ってくれるだろう。それでは次回からは向日先生のところで診てもらってください」
 椿希はほっと安心して、それから少しだけその教授から検査事項についての説明を受けて、診察室を後にした。そして看護師に促されるままに採血室へ向かい、血液を取った。

 大学病院を出て、すぐに脱力したように椿希は近くの柱にもたれかかった。教授の前では心を強くして臨んでいたが、やはりあのように厳しくはっきりと言葉にして意見を言い貫いたことで相当に緊張したらしく、今になって掌や背中から汗がすっと零れ落ちた。元来、あまり人を追い詰めて糾弾したり、厳しく非難することのない穏やかな性格の椿希には、あのような態度を取るのも初めてで、もしや症状が現れたのではないかと思うほどに疲れきって、先ほどから無意識のうちに溜め息も何度も繰り返されていた。
 椿希はぼうっとする頭を手で押さえながら、葵生がよく、「プリンスと言われているけれど、本当は誰よりも女の子らしいんだよな」と言っていたのを思い出すと、傍に葵生がいるわけでもないのに、顔を赤らめて恥ずかしそうに俯いた。
 学校でも塾でも、冗談でプリンスと言われていて、自分もこういう人間なのだと思っていたけれど、妥子や葵生はそうではないと言う。椿希はなんだか変だと思いながらも、
 「そういう風に思ってくれているのなら、病気のことも思い切って打ち明けようか。私が決して強くないことを知っていてくれるのなら、そうしてもいいかもしれない」
と、葵生のことを思うのだが、やはりまだ決心がつかないでいる。


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