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作品名:星屑の詩 作者:柳原奈生

第32回   第一章 第七話 【花火】1
 高校二年生の夏になり、否応なく進路のことを考えなければならない『三者面談』というものが、どうやら多くの学校で実施されたらしい。進学、就職の調査を予め学生に行い、定期試験や実力試験、模擬試験などを踏まえて面談が行われたのだった。
 葵生はまだ、母親には医学部進学希望であることは伏せておきたかったので、模擬試験でも第一志望の大学と学部の欄には、大学の欄については志望校そのままで、学部を理学部や工学部など、他所のところを書いておいた。成績も順調に伸びていたし、これといった弱点のないのが特徴だったため、教師からの母への解説でも、
 「このままの成績を維持するだけでも、十分その大学への合格可能性は高いですね。合格判定のランクを見ればお分かりの通り、実に素晴らしい成績を取っています。中等部から回ってきている資料から比べると、本当に驚くばかりの上昇ぶりです。もし下宿しても良いというのなら、東京へ行かれてはどうでしょう」
などと勧めると、
 「まあ、先生。それほど息子は上がっていましたか。私はそれほど息子に対して、熱心に勉強しなさいと煩く勧めなかったものですから、喧しいと思われてでも、もっと勉強しなさいと言えば良かったと、近頃は後悔をしていたんですよ。そう思っていたところへ、思いもがけず良い成績を取ってきたとは、本当に驚きました。それも一度や二度ではなく、ずっと高校生になってからというのは、私はますます知りませんでした。ちゃんと見ていたつもりだったのですが、覚えがないほどとは、放任過ぎてこの子に悪いことをしたと反省もしております。この子ももっとよく話をしてくれる子ならいいんですけど、何せ内気で何事も考えていることをあからさまにしない性分ですから、この子がまさかその国立大学を目指しているとは、思いもしませんでした。その国立大に行ってくれれば、私としてもこちらの学校に入れるために、小学生の頃から何かとこの子に気を遣って育ててきた甲斐もあったものです」
と、いかにも謙虚な風に答えている。控えめを装いながら、このようにしゃしゃり出て余計なことを喋るのが苦手で、葵生は「もうそれ以上言わないで」と目配せをするが、それも気付かない様子で、さらに言葉を続けた。
 「東京へというお話は、とても嬉しいことなのですが、生憎とうちの家計もそれほど裕福なものではありませんでして。いえ、困っているというわけではないのです。ただ、うちの家には娘もおりまして、まもなく結婚する予定なのですが、その娘にも何かと手がかかるのです。息子には幼い頃から、格別に手を掛けて育ててきましたが、娘にはこれと言って何かをしてやった覚えがありませんから、せめて結婚の時ぐらいは何から何まで整えてやりたいと思っています。この子が東京の大学に行くとなると、仕送りもしてやらねばならないでしょうし、大学生になれば学費以外にも諸経費がかかることでしょう。それを思えば、とても東京になど出せそうにありません。東京の大学を出ることで、就職もあちらでするとなると、地元には帰って来なくなるかもしれないと思うと、やはり手放すのも惜しいように思われます。東京の大学を出ることで、何かしら人生が大きく変わるというのであれば、またひとつ考えてみようかと思いますけれど、こちらの国立大学も全国的には名前の通ったところですし、全国から志望者がいると聞きます。疎い私には違いがよく分かりませんが、聞けば学問という点ではこちらの方がより専門的に学べるとのことですから、私はこちらで良いと思っているのですが」
 確かこのようなことを言っていたはずなのだが、教師もあまりに長く赤裸々な家庭事情を聞いて、どう答えればよいものやらと思いながら、
 「そうですね。おっしゃる通りです。経済的にお困りならば、奨学金はいかがでしょうかとお勧めするつもりでしたが、ご家庭の都合がそれぞれあるでしょうから、これ以上申し上げるのはやめておきましょう。東京の大学でなくても、この大学で十分というお考えは、ごもっともなことです」
と、どうにか無難に答えたのだった。葵生は母の隣で嘆息を吐きながら、こんなにあからさまに家庭事情を話したり、お金がないだのと言うのはなんとも下品なことだと、ひどく恥ずかしい思いでいっぱいであった。このよく喋る母の代わりに、父を連れて行きたいと今まで何度思ったことだろうか。
 葵生は母を反面教師として、あまりこのようにあけっぴろげに思っていることを口にしないよう、努めているので、周りからはとっつきにくく、近寄りがたいように見られているのであった。
 葵生はこの苦痛で堪らない面談を終えて、母と共に帰るのは限界を超えてしまいそうだったので、図書館で勉強して帰るから、と上手く言い繕って途中で別れて帰った。電車の中であろうが、場を弁えず、今日の面談の話を話すだろうと思うと、もう顔から火が出そうなほどの恥ずかしさと居心地悪さを感じるだろうから、先手を打って別れたのである。まさか息子に嫌われてのこととは思わない母親は、
 「分かったわ。しっかり勉強してらっしゃい。それにしても、ああ、気分の良かったこと。葵生ったらつれなくしているくせに、ちゃんとやることはやっていてくれているんじゃない。塾に入れて正解だったかしらね」
と、大層ご機嫌な様子であった。葵生は適当に母の機嫌を損ねないよう、
 「秘密にしておこうと思ったというよりは、言う機会がなかっただけだよ」
となんとか言っておいたのだった。母子の間ではすっかり水臭い間柄になっているというのに、葵生がそれを母に感じさせないように、さりげなく振舞っているので、母は全く気付きもしないでいる。葵生は東京の大学には行くつもりは元々毛頭なかったとはいえ、勝手に母親によって行かないつもりにされてしまったというのは、自分の人生の計画なのに、母親が横からしゃしゃり出て塗り替えていくようで、内心はとても気分を害していたのであった。

 さて一方で、桂佑はというと、葵生のように教育熱心な母親がいるわけでもなく、通っている学校も中堅の県立高校であったため、とても中途半端な身の上のように思えて、さてこれからどうしようかと今後のことを考えると、悩みが尽きそうにない。
 最初は就職しても良いと思っていたが、近年の経済不況により就職率は年々低下しており、高校卒業で内定が貰えることは滅多にないと言われていたため、学校からの指導としては、
 「大学に進学出来そうならば大学へ、手に職を付けたいならば短大または専門学校へ」
と概ね決まっていたらしく、桂佑もその流れに従うように、いつの間にか大学進学組に入れられていたのだった。
 大学進学率は決して悪くはないとはいえ、それでも短大や専門学校志向が強いらしく、周りはそのつもりでいるらしい。桂佑はそれほど真剣には考えていなかったけれど、時折一年生の終わりに葵生と将来のことを話し合ったことが思い出され、さてどうするかと決めかねていたのであった。高校二年生への進級前に、理系へ進むか文系へ進むかという調査の時、何も考えずに文系の方が楽そうだからという理由で文系に進んでしまったが、果たしてそれで良かったのかと振り返ると、時間を巻き戻してもう一度じっくり考えたい気もする。
 桂佑は、中学生の時に、
 「山城はやれば出来るのにやらないから勿体ない。真剣に取り組めば、そこそこいい線は行くと思うくらい、潜在に秘めるものは大きいと思うんだが、お前は深く考えもせずに諦めたり、簡単に出来る方を選んで楽をしようとするからなあ」
と言われていたので、今回もやはり楽な方を選んでしまったと、反省するのであった。昔は悪友たちとたむろして、体育館の裏でとぐろを巻いて煙草を吸っていたし、他校の生徒と喧嘩をしては他校の職員室と自分の学校の職員室を何度も往復したりして、多くの人たちに迷惑をかけてきたものだった。それでも、やればそれなりに結果を残す桂佑だからこそ、教師たちからすれば、ちゃんとやれば出来るのにと、もどかしくて堪らなかったのかもしれない。
 このままでは確かにいけないのかもしれないと、このようなことを繰り返すうちに態度を改めようと思った桂佑は、不良集団から足を洗うべく、真面目に勉強して高校に入ることに決めたのだった。それまでの志望校だったのは私立高校で、地元でも荒くれた少年ばかりが集まることで有名なところだったが、それを公立高校へと志望校を変更させた。内申点が芳しくなかったために行けそうな高校は限られていたが、自分の実力で上乗せ出来る精一杯のところを最大目標に掲げ、それからは教師も目を見張るほどの猛勉強を始めた。一年、二年と無駄に過ごしてきた分を取り戻すかのように、職員室に通い詰めてはしつこく質問を重ね、あれほど嫌がっていた塾にも通い、一日中机に噛り付いていた。逃げようと思ったことは何度もあったが、男らしくない行為だと思い直して、またその日のうちに問題集を広げていたのは、潜在的な意識がそうさせたのであろうか。
 こうして無事に中央高校に合格して、今に至っているわけだが、無事に目的を達成してからは、次にどうするべきかを考えていなかったので、ただ流されるままに従っていたが、いよいよ進路を考えねばならなくなった時になって、軽い気持ちで選んでは後できっと前と同じように後悔するだろうと、普段滅多に深く考え込むことはなかったのだが、近頃は書店で様々な職業の本を手にとって見ては、あれこれと思うことも多くなったのだった。
 塾に入って間もない頃は、必死で勉強して志望校に入れたことで、すっかり安心して自信を持っていたので、たとえ染井や女学院と言えど自分とそう変わりはしないだろうと、高を括っていたのだが、その芽生え始めていた自信は、すぐさま摘み取られることとなったのだった。何度か塾内での試験が行われていたが、そのたびに上位に居座り続けるのは同じ人物たちばかりで、桂佑が平均点を取ることが出来れば上等なところだが、葵生や桔梗、妥子などといった塾生らは常に平均を遥かに上回る得点であった。英語の得意な椿希は、どんなに平均点が低い試験でも九割以上を取ってくる。太刀打ちが出来ない、と初めて心底から思ったのだった。
 「あいつらは格が違いすぎる。まともに考えても辛くなるだけだから、あのくらいを目指すのではなくて、自分なりにやればいいじゃないか。きっと葵生たちは教室の窓ガラスを割ったことなんてないだろうし、喫煙経験もないだろう。あいつらは悪さということを知らないだろう。綺麗な世界に住んでいる奴らの知らない世界を知っているんだ、それがいいこととは思わないけれど」
と、我ながら苦しい言い訳だと思いながらも、そう思い聞かせることで、それほど桂佑は劣等感を抱かずに済んでいたのだった。
 いくら引け目を感じていないとはいえ、進路のこととなると、きっと優等生たちは大学に進学して一流企業に就職して、などと青写真を描いているだろうけれど、桂佑はふと我が身を振り返るとそういった展望が見えない位置にいることに気付いてしまった。果たして大学に進学するのがいいのか、それとも短大や専門学校へ進んでみるか、就職難とは言われているが働くべきか。成績が伸びたからといって大学、というのは違うような気がして、どうにも気持ちが落ち着かずにいるのである。流されたくないと思いながらも、ある程度の進学校に通っていれば、否応なく大学に進学するものだと刷り込まれて、自分も初めからそのつもりでいただろうが、中堅高校というのは自由に選択出来る分、迷うことも多いのだった。
 結局、ああだこうだ言っていても仕方ないからと、桂佑は大学進学するつもりだと、とりあえず三者面談の場では担任教師に伝えたのだった。

 葵生は、ある意味ひとつの頭痛の種であった三者面談を終えて、のんびりと家路に着く間、志望校のことを考えていた。まさか椿希も同じ大学を目指しているとは思わなかったので、嬉しくてますますその気になっていたけれど、椿希は音楽大学や芸術大学などといったところに進めばいいのに、と思うことがあったので、勿体ない気もする。あのうっとりとするような澄んだ歌声を聴けば、素人ながらにもこのまま終わらせてしまうのは残念なことと思うのに、聖歌隊を指導している教師が勧めないわけがないだろうと思うのだが、椿希は一体どういうつもりでいるのだろうかと、葵生は気になっていた。同じ大学に行けたらそれは嬉しいが、彼女がもっと輝いて華やかな場に立っているのを見ることが出来るのなら、進学先が異なってもいいと思っているのに、と複雑な気持ちながらも彼女のためを思えば、そう思うのも自然なことであった。
 そんな少し前のことを思い出したからか、葵生はしんみりとした心地になって、閑静な公園の中に佇みながら、椿希のことを思っていた。彼女を思う気持ちは日に日に強くなっていき、会えない時が寂しくて、あと何日で会えるかを数えて過ごしている。
 少しずつ大人の女性へと近づくにつれ、顔立ちもはっきりとめりはりのあるものになっていき、声もやや高いながらも落ち着いた艶のあるもので、年齢よりも少し上に見える。少し会わないだけでもいくらかの変化があるようで、毎日でも見ていても飽きないだろうと、葵生は常に傍についていられないのが口惜しかった。
 高校生になって初めて知った恋というものに、こんなにも心を割いて悩むとは思いもしなかった葵生は、もはや堰き止められそうにない思いを持て余していた。彼女を見れば、始終話をしていたいし彼女に触れたいと思う、彼女が他の男と喋っていようものなら、何を話しているのかと気になって堪らない。椿希が女子校に通っているというのだけが、会えない日々に彼女が他の男に触れる機会がないだろうと、葵生を安心させることであった。


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