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作品名:星屑の詩 作者:柳原奈生

第31回   第一章 第六話 【星屑】5
 去年は雨で流れてキャンドルサービスになってしまったけれど、今年は無事にキャンプファイヤーをすることが出来た二年生たちは、二年かけて夜の楽しみを両方体験出来たので満足した様子であった。
 夜の帳が下りて、彼方に月や星がぼんやりと輝き、木々が黒い影となって風が吹くたびにざわめいていた。薪を塔のように組んで火を熾すのだが、これに手間取ってしまい、開始予定時刻をとうに過ぎてしまったけれど、皆はその間にめいめいお喋りをしたり火が点く様子を見守ったり、好き好きにしていたので、そのことに気付いていた者はほとんどいなかっただろう。火を熾すのにいくつもの懐中電灯でその辺りを照らしているから、広場の中心部分に光が集まり、学生らは仄かに互いの顔が見える中で、身を寄せ合って語らいの時を楽しんでいた。こうして無駄な時間を過ごしていることでさえも、非日常の出来事の中にいては心も大らかになって許せてしまうものなのだろうか、誰一人文句を言う者などいなかった。なんと言っても、明日になると家路に着いて夢から醒めてしまうのだ。こうして待っている間に様々と思い返される出来事の数々、それまで無邪気に過ごしていた僅か数日の間、あの幸せな時間が永遠に続くようにはしゃぎ回っていたことや笑い転げたことなど、つい先ほどまでしていたことを、早くも懐かしんで切なく胸を震わせる者も多くいた。中には、うっすらと目元を潤わせている者もいる。
 火が組まれた薪いっぱいにじわじわと広がって、炎の明かりがちらちらと辺りを照らすようになり、ようやくキャンプファイヤーらしくなったところで、この時を待っていた卒業生の進行によって始められた。少し離れたところにある電灯が白く光るのが、ファイヤーだけでは心許ないのを助けてくれていた。
 司会進行をする卒業生たちが声を張り上げてゲームの説明をしているけれど、それも皆半分聞いて、半分は友人たちとじゃれ合ったりふざけ合ったりしていたので、碌に聞いていなかったのだが、それもまた許されるような、和やかな雰囲気であった。誰も咎めないのをいいことに、そっと闇の中を抜け出そうとした者は流石に見つかって、連れ戻されていたけれど。小学生の集会のような幼いことをしていると思いながらも、皆は笑みを絶やさず輪の中に加わっていた。普段は斜に構えて、下らないから嫌だと突っぱねそうな者でも、仕方ないから付き合ってやる、と言い訳しながらも、なかなか楽しそうにしていたのだった。
 そんな風に皆が楽しんでいる中、柊一は視線だけはしっかりと外すことなく椿希を捉えていた。椿希が妥子に何かを言って、昨日の肝試しの準備中に姿を消したのを柊一は気付いていたのだが、二人がそのことを大っぴらに語ろうとしないので黙っていたのだった。
 思えば椿希はよく風邪を引いては体調を崩していたものだった。そのことを、おそらく葵生も感付いているはずだと柊一は思っている。だが、おそらく葵生は知らないだろうことを柊一は予感していて、なんとなく今もなお患っていて、病院に通っている祖母と似通った経過を辿っているようだと思うと、違うかもしれないけれど有り得ないことでもないとして、慎重に目を光らせた。
 こういう時にこそ男女の恋心の行き交いがありそうなものだが、まだ堂々と大っぴらに仲を広めるのも恥ずかしい年頃だからか、不思議とそういう話を聞くことはない。薪を次々と入れていかねば消えてゆきそうな儚げなこの炎のように何もしないままでいるのも惜しいけれど、もじもじとしていてもそこから掻き口説くような言葉も浮かばない。そのような経験も少ない少年少女たちなのだから、仕方がないといえば仕方がないけれど、これ以上書くこともないというのも詰らないことである。

 夢心地でいたあの山から帰ってきて、またいつもの日々が始まったわけだが、皆は名残惜しくて、魂を抜かれたように少々やる気を失っている節はあるものの、大した疲労を見せることなく翌週から始まった授業にはちゃんと出席していた。ところが椿希は案の定、例によって体調を崩してしまったらしく、一度だけ塾を欠席してしまった。
 「今日はそういえば学校も早退してしまってね、どこがどう悪いとも分からないけれどただ辛そうにしていて、熱も三十八度くらいあったのを隠そうと気丈に振舞うものだから、もう病人は病人らしくしてなさいって無理に家に帰したのよ」
と、妥子が半ば呆れたように言っていた。
 「そんなに酷くなるなんて思いもしないよ。あの時は風邪に見えなかったけど、結局風邪だったっていうの。彼女が体がこういうときに体調を崩しやすいのは分かってたけど、ただの風邪なのだったら、まあ良かった方なのかな」
 葵生が残念そうに言った。さすがに周囲がいるから、管理棟にいたことやその時の遣り取りは話さなかったが、思い返せば疲れを溜めた後になって大きく体調を崩しているようなので、今回もまたそうなってしまったかと、大したことのないよう装ってはいるものの、声色はとても重たいようなものであった。
 「まあ風邪にも色々あるでしょう。熱が出るのも、喉が痛くなるのも、鼻の通りが悪くなるのも、節々が痛くなるのも、全部ひっくるめて風邪でしょう」
 妥子がそう言って話に収拾をつけようとするのも、あまり周りに悟られまいという気遣いからであった。葵生もそれに気付いて、それ以上追究しようとはしなかったけれど、やはり心配なのか、休み時間や帰る時間になると妥子にそっと訊ねているのが見受けられて、柊一は自分の勘も全くの的外れなものではないのだろうと思っていたのだった。
 憎らしく思っていたはずの椿希のことを気に掛けるなんて、可笑しなことだと我ながら思うが、あの修学旅行で語り合ったことでもはやわだかまりは消え、葵生が真剣に椿希のことを慈しむようにしているのを見ると、もはや彼女を恨む気持ちも本当に失せてしまうようだった。しかしまだ葵生へ向けた物思いは吹っ切れたわけではないので、まだ時々ちくりちくりとはするけれど、やっと彼女と話が出来るまでに気持ちの持ちようを変えることが出来たのは大進歩であった。
 さて、そんな椿希のことを観察していて柊一が思ったのは、今回のことを聞いてもやはり祖母になんと似通った経過を辿っていることかということだった。風邪らしくないと思いながらも風邪のような症状が出て、そのうちにやがて風邪薬を飲んでいるだけでは治まりきらなくなって、気が付けばそれからずっと医者にかかりきりになってしまったのだった。祖母の場合は関節症状がひどくて、それから外科にも通うようになったが、どうやら様々な経過を辿るらしいので、祖母と同じだとは素人には言い切れないのだが、なんとなく同じ系統ではないかという気がしてならず、嫌な考えばかりが浮かんでくる。祖母の場合は、結局節々が痛いと言っているあっという間に、歩くのも杖をついて歩かなければならなくなっており、なまじそれまで元気にすたすたと早足で歩いていただけに、少し動くのにも慎重にならざるを得なくなってしまったのが、柊一には堪らなく痛々しく見えたのだった。「そう滅多になるものじゃない」とは聞いているけれど、こういう悪い勘というのは概して当たりやすかったはずだと思うと、やはりまだ椿希に対して意地の悪い思いを抱いているのかと、柊一は自分の心の疚しさを情けなく思った。
 椿希は次の授業の時には元気そうな様子で出てきていたけれど、それが上辺だけを繕っているように見えて、柊一はどんどんと自分の考えがぴたりと当て嵌まっていくようなのが恐ろしく思えてきた。椿希はいつものように、にこにこと笑っているけれど、顔の表面がうっすらと赤く、掌や掌の側の至る所に不自然なまでに、赤い斑点が浮かび上がっているのが一層不吉なものに見え、柊一は非科学的だと思いつつも、自分がそのように考えているからそうなったのではないか、言霊というからにはそのせいでこんなことになったのだろうか、などと気にしながらも、椿希に声を掛けられないでいる。
 英語の授業のある日になって、葵生が椿希の姿を見つけるや否や、
 「もう大丈夫なの。まさかと思うけど、季節はずれのインフルエンザとかではないよな」
と、わざと的外れなことを言ってみたところ、
 「まあ、葵生くんはそんなに私を病人に仕立てたいの」
と、椿希は呆れたような口振りで返したが、おどけながらなので、本気でそう思っているわけではないようである。
 「そんなことを言える元気があるのなら、もう本当に大丈夫そうだな。全く何もかも揃っている人はいないものだな。俺みたいに少しくらい欠点があった方が健康でいられるものだから、長所ばかりの人は常に健康ではいられないという欠点を得てしまったんだな。残念なことだ」
 もっともらしく、わざと憎らしげに言うのだった。椿希は、
 「私が完璧じゃないことくらい、聡明な葵生くんならとうに知っていることと思ってました」
と恥じらいながらも、わざと慇懃に返した。椿希のこういう謙虚なところが葵生はとても好ましく思っていたので、ほかの女子たちの我が我がと出しゃばり、辟易するほど実を伴わないくせに主義主張ばかり繰り返すのに比べては、同じ年頃だというのになんという違いようかと、感服してばかりいた。これは惚れた贔屓目ではなかっただろう。

 椿希との仲もそれほど悪くないものになり、彼女への憎しみももはやなくなったと言い切れるような柊一は、彼女の健康面以外でさらに一つ気掛かりなのは、葵生のことを彼女がどう思っているかということだった。椿希も葵生に対して好意は持っていそうなものだが、それが恋愛としてものなのか、友人としてのものなのかが判別がつかないほど、微妙なところであった。
 もしかすると、他に男がいるかもしれない。女子校だからといって、出会いが全くないわけではないだろう。幼馴染みの一人や二人くらいいるだろう。もし幼馴染みが相手だとすると、優しく爽やかで義理堅い椿希のことだから、相手に対して思い遣るのも並ひと通りのものではないだろう、もしかすると葵生ですら割り込むのは難しいかもしれない、と柊一は思っていた。
 葵生が未だに進み出せそうになく、悶々としているのを見かねて、差し出がましいと思いつつも、柊一はとうとう自ら英語の授業のない日に、
 「冬麻さんは葵生のこと、どう思ってるの」
と、何かのついでにずばり訊ねた。あまりに唐突なことだったので、椿希は驚いて目を丸くしたが、少し視線を天井に遣り、考えを巡らせ、やがて微笑んだ。
 「そうね、難しいんだけど、優しいのか冷たいのか、鋭いのか鈍いのか、よく分からない人、という風に思っているかな。掴み所がないというのとは、また少し違う気もするけれど。複雑に絡み合っていて、どれが葵生くんの基本なのかがよく分からない」
 まだ上手い表現が思いつかずに、椿希は言い終えてからも少し考えていたようだった。こういう風に、突然葵生のことについて聞かれると、すんなり答えられないものなのか、と椿希は言った後になって初めて気付いたのだった。柊一はその言葉を聞いて満足したように、
 「葵生は冬麻さんのことを大切な人だと思っている。そのことを、どうか忘れないであげてくれないかな。僕が言うべきことじゃないとは分かっているけど、どうも葵生は考えすぎて慎重になりすぎるきらいがあって、冬麻さんを大切に思いすぎるあまりに、傷つけたくないとも思っているみたいだから」
 そう言ったのを葵生が知れば、葵生はもう金輪際話をしたくないと言わんばかりに、柊一のことを徹底的に嫌い抜きそうな気がしたけれど、柊一は葵生が椿希にすっかりのめりこんでしまっているのに、このまま二人の関係が一向に縮まりそうにないのも、折角縁あって出会った二人だというのに機会を無駄にしているように思えてならない。お節介で差し出がましいとは思いながらも椿希には伝えておこうと思ったのだった。
 「うん、忘れない」
 椿希がそう言ったのは、果たしてどういう思いから出たことであろうか。
 柊一はなおも葵生への道ならぬ思いを断ち切ることが出来ないのだが、椿希がそう返事したことで、諦めがようやくつきそうな気がして、いくらか心も軽くなったようであった。柊一としては、憎むべきは葵生と自分を出会わせた運命だと思っているので、もし葵生と出会っていなければ、こうまで心を悩ませることなどなかっただろうけれど、そうはならなかった現実に立ち返って溜め息を吐かずにはいられなかったのだった。


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