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作品名:星屑の詩 作者:柳原奈生

第30回   第一章 第六話 【星屑】4
 肝試しの始まる時間の間際になって、妥子と椿希が皆に合流した。妥子が椿希のところへ行く前に、あらかじめ桔梗や笙馬に事情を簡単に話していたこともあって、椿希を気遣う声があったが、本人はもうすっかり元気になったと言って、参加する気でいる。葵生も心配で椿希が戻ったときには傍に行こうと思ったけれど、誰かが葵生がいなかった時のことを思い出して、もしかして椿希のところに行っていたのではと言われると都合が悪いと考え、少し離れたところから様子を窺っていた。
 椿希は、椿希と妥子の二人の分の仕事を補ってくれた桔梗に礼を言おうと、桔梗を探していたところ、桔梗のその滑稽な姿を見て、思わず背を向けて笑い出してしまった。少し笑いの波が収まりかけたところで、
 「一体誰なのか分からないけど、本当にすごい」
と、お腹を押さえたまま言った。期待通りの反応をしてくれたので、桔梗は満足そうに、
 「その笑いに免じて、貸し借りをちゃらにしてあげよう」
と言うと、その奇妙な顔の男が桔梗だと分かって、ますます笑いが止まらない。妥子も椿希も、あまりにも笑いすぎてしまって言葉を出せそうにない様子である。もう皆はその頃には笑うのを抑えられていたのだけれど、二人の様子を見て、また笑い出してしまった。笙馬が「静かに。もう始まるんだから、聞こえてしまうだろう」と嗜めるけれど、そう言っている笙馬も抑えきれずに体をびくびくと震わせながら笑っている。
 「なんだか、今年は肝試しでは悲鳴じゃなくて爆笑が聞こえそうだよな」
 笙馬はようやく収まったところで呟いた。葵生もそれに同意して頷いたが、ほんの少しだけ、自分もドーランを塗っておけば良かったかと後悔をしたのは、皆には内緒の話である。
 さて、その独り言は的中し、今年の肝試しでは笑い声が絶えることがなく、せっかく桔梗が張り切って作ったお化けの衣装ですら、笑いを取るのに一役買ってしまっていたのだとか。去年は夜道を歩くだけでも怖くて、慎重にならなければならないと思ったほどだったのに、本当におかしなことであった。

 無理をするなと、散々桔梗に言われていたけれど、椿希は肝試し後の天体観測には是非行きたいと言い、肝試しに続いて参加することとなった。高校生活においてこのような自由に動き回れて心を思い切って開放出来る時間を過ごせるのは、もうおそらくこれが最後であろうから、思い出を作りたいと思うのも当然のことであった。そうではあるけれど、桔梗はなおも、「明日一日あるのだから」と言ってどうにか休ませようとしているが、妥子がそっと、
 「あまりそういうことばかり言っているのはせっかく羽を伸ばす機会に水を差すことになって、良いものではないよ」
と窘めたので、ようやく桔梗は引き下がったのだった。
 管理棟でしばらく休んでいる間に飲んだ鎮痛剤がよく効いたらしく、友人たちに混じって笑顔を振りまく椿希を見て、葵生は良かったと安堵しながらも、どうせ妥子は自分の気持ちに気付いているのだから、やはりあのまま傍についていたかったと惜しい気持ちにもなっていた。

 夜になると少し冷えてきて、新緑の若葉の衣を纏っていた木々は外套を羽織るように黒い影をとなって、風が吹くたびに揺れるのが恐ろしく不気味に思えて、とても先ほどまで笑い声を上げていたのが嘘のような違いようであった。去年、表には出さなかったけれど怯えていたという椿希のことを思い遣ると、とても放っておけず、彼女の姿が自分の目の届くところにあるようにと、葵生は彼女の少し後ろで離れないようにしながら歩いていく。連れだって歩くのにも、この暗さでは自然と声もか細くなるのだろうか、それが一層寂しさを誘い、夜のしじまを縫うように群れはひそやかに移動していた。懐中電灯や遠くで光る電灯が頼りなく思え、光の少なさだけがどうしても耐え難いもののように思えてならない。
 妥子はちらちらと周りを確認しながら、そっと葵生と椿希を呼んだ。笙馬が明日の打ち合わせのため、桔梗と共に炊事場に戻って後から行くと言っていたので、この集団には加わっていないとは分かっていたが、再度そこにいないことを確かめた。笙馬のほか、聞かれてはややこしいことを並べ立てて話しそうな人物もいないのを認めると、そっと切り出した。
 「椿希、もう本当に大丈夫なの。あまりにも頻繁に風邪を引いたり体調を崩したりが多いから、ずっと気になってたのよ。ちゃんと診てもらってるの」
 椿希を間に挟むようにして、妥子と葵生が隣に歩いた。皆から目立たないよう、わざとゆっくり歩いて最後尾へさりげなく移動した。
 「うん、大丈夫。あの薬はすごいね。熱はまだ少しあるかもしれないけど、体は随分楽になったよ。クリニックの常連になってしまったくらい通い詰めて、ちゃんとお医者さんには診てもらっているけど、多分そういう体質なんだろうって言われているよ」
 医師からそのように言われているのであれば、一安心だなと葵生は思ったが、
 「でもやっぱり帰ったら皮膚科には行けよ。関係あるのかもしれないし、ないのかもしれないけど、必ず」
と、真剣に釘を刺すので、椿希は笑って返事した。
 「へえ、椿希は皮膚科にも行かなくちゃいけないの。葵生くんがどうしてその事情を知っているのが、どうも気になるんですがね。どういうことなのかしら」
 妥子がにやにやとしながら、わざと疑っているように言った。葵生はかっと顔に熱が集まったのを感じ、森の中を歩いたときのことや管理棟の救護室での遣り取りを思い出して、急にまた胸がどきどきと激しく動くようであった。
 「手に赤いものが出来てるの。こんな暗い中じゃ分からないかもしれないけど」
と、椿希が平然とした様子で手を妥子に見せようとしたので、
 「また明日見せてもらうわ。なるほど、手だったのか」
 からかう種でなかったので、少し残念そうに妥子が言ったが、ちらりと葵生を見たので葵生は顔を背けた。それにしても椿希が照れたり困ったりする様子も見せずに、妥子にさらっと言ってしまうのが、葵生には今ひとつ理解出来なかった。自分はこれほどに感情が上がったり下がったりと激しく動いているのに、椿希がやけに落ち着きを払っているのが、なんだか悔しくてならない。

 歩いているうちに森林を抜けていくと、芝生の海が広がっていた。少し伸びた芝がゆらゆらと揺れているのが、まだ少し肌寒さの中冴え渡る月の光を受けて妖しく浮かび上がり、幻想的な風景が眼前に広がっていると思うと、様々な物思いも鎮まりそうであった。薄暗い中で色をはっきりと認識出来ないけれど、それが夜のしんしんと静まり返った様は、人工的に明るく照らされたものよりもずっと幽玄の世界の広がりを感じられる。
 あるところまで来て、先を歩いていた学生たちが逸る心を耐えかねて駆け出して、デッキを目掛けたり手前の芝生の上で寝転んだりし始めたので、葵生たちも堪らず足が自然と芝生目掛けて走り出していた。去年と同じく芝生の上にゆっくりと体を横たえて空を見上げる。都会から少し離れたこの山の中で、一年ぶりの星屑との再会を果たせた葵生は感慨深くて堪らず、特に何も哀しくも切なくもないのに、涙が出そうな気がしてぐっと堪えていた。金色の月が輝き、散りばめられた満天の星たちが澄み切った夜空に鈍い光を灯す。
 星の中でもとりわけ明るい星が、星座として注目されることとなるけれど、その近くにある屑星たちがあることを、ここに来ると思い出させてくれる。その屑星がまるで取るに足らない一人の人間になぞらえては、普段は思い遣られもしない自分でも、ああいう風に鈍くても光っているのだろうかと、しみじみと思いを星に語りかけていた。
 「こういう夜には星屑が詩を紡ぐと言っていたけれど、中には輝きを放つ者もゆくゆくは現れるかもしれないにせよ、ここにいる皆、今のところは明るい星座の星たちに比べたら星屑に過ぎないようなものではないか。遥か彼方の天から見下ろすと、あるかないかすら分からないような俺たちも詩を紡いでいると言われるのだろうか」
 葵生はそんな風に思うと、隣で星を見上げている椿希を見た。
 一年前からすれば随分親しくなったし、日ごとに彼女を思う思いは積み重なっていくけれど、まだあともうひとつ踏み出せないでいて、彼女に胸の内を知らせることが出来ずにいる。こんなにやきもきしているのが自分ばかりでいる現状は、もうそろそろ終わりにしなければと思って、もう何日も考えているけれど、いい案が思い浮かばない。流れ星がまた、夜の劇場の風流な演出のように、すっと流れた。葵生は流れるたびに、迷信だろうとは思いながらも、願い事を唱えてはそれが本当に叶うようにと、祈っている。きらりと光る流れ星が一瞬のうちに消えてしまい、最後まで唱えられずに終わってしまったこともあったけれど。
 椿希の隣が空いているのに気付いて、葵生が「あれ」と言うと、
 「さっき笙馬くんが来ていたの気付かなかったの。妥子なら笙馬くんとどこかへ行っちゃったよ」
と、椿希が言った。空との対話に夢中になっていて全く気付かなかったとは、なんだか恥ずかしいけれど、葵生は良い機会だと思った。だが、こういう時に限って良い話題が思い浮かばず、静かな沈黙が流れるだけであった。
 椿希の横顔が薄暗く浮かび上がるのが、普段は凛とした中にも清らかで愛らしさがあるのに、今はこの淡い光が匂い立つような美しさを引き出していて、その香りを体中に引き込んで満たしたい欲望が芽生え始めた。薄手のシャツの上に羽織った上着の裾が、芝生の上にさらりと落ちている。呼吸をするたびにゆっくりと動く彼女の胸には、細くくびれた腰からは考えられないほどゆったりとした膨らみがあり、腹部の上で長い指がさりげなく組まれてあるのがとても艶かしい。男の性の溢れるところのすぐそばにある女の体はあまりにも無防備で、あの清らかな歌姫が済んだ夜空の下に身を横たえているのが、一層男を狂おしい感情に駆り立てた。涼しい空気に冷やされた男の熱情で火照った剥き出しの腕がそっと伸びると、胸が張り裂けんばかりに鼓動して、そのまま女の柔らかな体をくまなく触れて感じてみたい心地である。
 そんな疚しい思いを振り切ろうとして、また空を見上げると星が瞬いて流れ落ち、消えていったのが見えた。ざわざわとした声が遠くに聞こえ、葵生が体を起こして見ると、意外と人が少なくなっているのに気付いた。もう少し良い場所でも見つけて移動したのかもしれないし、あるいは星屑たちがどこかで恋心を語る詩でも詠(うた)っているのであろうか。
 そしてそんな椿希を見詰める葵生もまた、鈍く映る顎から喉仏にかけての稜線が言いようのないほど艶やかで、少し長めの睫と切れ長のくっきりとした二重の陰影は、画家が見れば絵画にしたいと思うであろうほど妖しげであった。女が見ればたちまち魅入られてしまうだろう姿である。
 「ねえ、何を祈ったの」
 椿希がこちらを見ている。周囲の人気が少なくなっていたので、すっかり二人きりになったような状況にあり、葵生の堰きとめていた思いが今にも溢れそうになっている。起こした体は椿希よりも視線が上にあり、上目遣いでこちらを見ている椿希の瞳が、弱い光を受けて静かに揺れている。そのまま彼女を上から見ていたいという思いをどうにか押さえ、体を芝の上に倒して顔を椿希の方に向けた。
 「『プリンスの体調が良くなりますように』と」
 少し擦れた声は、自分でも驚くくらいの甘さを含んでいて、腕や腿に戦慄が走った。
 「あら、葵生くんたら優しい」
 語尾を上げて笑った椿希は、そんな葵生の驚きなど気付く様子もなく、ふふふと言って楽しそうである。
 「そっちは何を祈ったんだよ」
 どういう話をすればいいのか分からないと、あれだけ悶々としていたのが嘘のように、話が続きそうな雰囲気である。椿希が狼狽する様子も見せないので、わざとぶっきらぼうにそう言ってみた。
 「葵生くんの身長が伸びますように、と」
 一本取られた、と葵生は思った。大方「秘密」と言うだろうと踏んでいて、それに対してからかってやろうと思っていたので、どう切り替えそうかと考えているうちに、椿希は戸惑っている葵生を見て、また笑った。
 葵生はもう一年あまりの間にぐっと大人になって、少女とも見紛うほどの繊細な作りをした顔立ちは、顎も尖って、きりっと少し大きめの切れ長の二重瞼の目に、引き締まった頬のあたりがとても精悍な男性そのものに変わり、その見た目に恥じないほどの艶やかさを備えるようになっていた。そうだというのに、まだ色恋事には疎くて初心なのが、まだ少年に過ぎないのだと思えて安心させられる。十七にはいま少しという年齢なのだから、完成されていない方が、先々が楽しみではないだろうか。
 「高校生でこうして星を見ることが出来るのは、これが最後」
 そう低く呟いた椿希は、寂しそうにじっと空を見詰めたままであった。本格的に勉強に専念するには、まだ早すぎる時期にしても、これからはこのように朝から晩まで気ままに過ごせることなんてないだろうから、この一日の終わりが名残惜しくなるのももっともなことであった。
 思いを打ち明けるにはまたとない機会なのだけれど、そうすることで彼女との関係が気まずくなることよりも、彼女に迷惑がかからないかということの方が気掛かりだった。大学受験を控えているというのに、恋愛に現を抜かして身が入らない状況になってしまっては本末転倒だし、高校卒業後の進路というのは、人生のうちの何分の一かを決める大きな選択となるであろうことは、まだまだ青くさい葵生であっても分かっていることだ。
 医師になるには大学の医学部に入らなければならないし、椿希にだって考えている道があるだろうから、それを妨げてまで果たして恋を貫くべきなのだろうか。もしそうしたとして、後々になって後悔しないだろうかということを思うと、いかに環境が整っていても、お互いを潰しかねないようなことは言い出せそうになかった。
 よって、言葉で思いを伝えることは、あまりにも互いのために害となるであろうことが予想されたので、葵生は唇を噛んだ。
 「大学生になって、時間が出来たら見れるだろう。見に来よう」
 葵生が言える精一杯のこと、不器用な葵生がさりげなく好意を伝えようとしているのを、椿希が気付いてくれればいいのだが。
 椿希がこちらを見て、静かに微笑んだ。葵生はそのまま彼女の手を探し、触れて握り締めたいところだったけれど、自分の心の流れるのを適度なところで止めておかなければ、もはやこの場であっても不埒なことを仕出かすとも限らないほどのぎりぎりのところに来ていたので、今日はここまでにしておこうと、どうにか思い留まった。
 人によっては、恋心は後悔しないように伝えるべきだと言うだろう。だが、葵生は恋心を伝えることで破綻するかもしれないお互いの将来を思い遣ると、進み出すことが出来なかったのだった。自らの中に燃え滾るような一途な思いが真っ直ぐに向けられると、もはやこの先どんな苦労が待ち構えていても構わないという気になって、いかなる艱難辛苦に立ち向かおうとするだろう。しかし、年月を重ねてふと振り返ったとき、恋に夢中になったばかりに得られるはずだったものを失ってしまうことが怖かった。強引に事を進めた後で、そんなことを椿希の口からいつか放たれるような気がして恐ろしかった。
 星空が心を惑わせて、様々に巡る思いのうち特に色めいたものを呼び覚まそうと、詩を紡いでいる。この魔法にかかるにはまだ幼すぎる葵生は、もっと年を経て、情感を細かく感じられるようになった頃に惑わされてしまいたいと、心の底で思っていた。
 これほどまでに心を一喜一憂させ、感情を嵐のように掻き乱させるのは椿希という存在があればこそで、それまでほとんど何があっても感情を高ぶらせたり極端に落ち込むことのなかった葵生が、たった一人の娘のためにこれほど気を張ったり先々のことを考えるようになったのだから、やはり出会いというものは定められた縁というものがあるのであろう。椿希と出会うことで何かを学べ、というのが天からの声であるならば椿希は運命の女で、たとえひと時の間辛抱しなければならないとしても、きっと時を経て彼女との結びつきは今以上に強まり、やがて縁付くに違いない、と思い込んで心を慰めた。そう思えばこそ、少なくとも高校生の間は恋人同士という関係ではなくても良いかもしれない、という考えに至ることが出来たのだった。
 夜空の星を見上げながら、椿希と出会ってからのことを様々に思い起こすと、葵生は胸に手を置き、ぐっと切ない感情で考えることが出来なくなるのをどうにか抑えようとした。彼女のお陰でどうしても夢を叶えたいと思うようになった、笑顔を見せるようになった、人に優しさを与えることが出来るようになった、芸術というものに興味を持つようになった、そして初恋の甘美で狂おしい慕情というものを知った、愛しいという感情と我が物にしたいという欲望との間に苦しんだ、きっとこれからももっとたくさんのことを知ることが出来るに違いない。
 隣で夜空を見詰めながら、何かを考えているのか、椿希もまた、微動だにしないでいた。
 「ありがとう」
 あまりにも小さな声だったので、椿希には届かなかったけれど、葵生は彼女がまばたきをするたびに動く睫の影を見詰め微笑みながら、願わくば自分の思いの何分の一が伝わっていて、何分の一かで構わないから思っていて欲しいと、心の中でそっと呟いたのだった。


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