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作品名:星屑の詩 作者:柳原奈生

第3回   第一章 第一話 【染井】2
 いくら気になっていても、どんなに頭脳明晰でも、殊異性と話すことに関しては、葵生はあまりにも不慣れだった。あっという間に仲良くなった塾生同士だが、どうしても葵生は女子生徒たちとは会話が出来ずにいた。男子校育ちだから、というのは言い訳に過ぎない。葵生以外にも男子校出身の者はいるのだから。普段ならば女子学生たちと話せなくてもそれほど焦ることもないし、煩わしさがなくていいじゃないかと思い切れるものを、何故か葵生はそわそわと落ち着くことが出来ない。
 葵生は言い訳になるからと考えないようにしていたが、彼が奥手なのはひとえに母親の努力の賜物だった。小学生のときから、女子と接することのないよう、母親が防波堤となっていた。この年頃になると思春期に突入し、気が散漫になってしまって受験勉強に身が入らなくなるのを、母親は懸念していた。友人の子がそれで受験に失敗したと聞くと、自ら盾となり、葵生に降りかかるであろう誘惑を悉く撥ね退けていったのだった。
 当時何も知らなかった葵生は母親の望みどおり、小学生の間は友人といえば同級生の男子ばかりで、放課後になれば塾か家庭教師という毎日を繰り返し、志望校に合格した。中学・高校は男子校だから、もう気持ちが異性に浮つくことはないと安心した母親は、ようやく葵生に対する監視の目を緩めた。
 しかし葵生は聡い少年だったから、中学に入ると、親にばれないように上手く発散させる方法を知っていた。部活に入るときも、もちろん反対には遭ったが、体力がなければ大学受験に乗り切れないのでは、人間関係を構築する上で、チームプレイは必要、などと理屈を並べ立てたところ、それはもっともだと母親は許可した。あんなわざとらしい説得に応じた母親は、すっかり希望通りの進路に進んだ葵生を信頼していたらしい。部活仲間とこっそり街中を歩いたり、映画を観たりとそれなりに楽しんでいたため、決して抑圧された不自由な生活を過ごしてきたわけではなかったはずだった。
 だが、高校生になって光塾に入塾して、いかに自分が世間知らずだったかをたった一日で思い知らされ、愕然とした。いくら知識が豊富でも、いくら世界情勢に詳しかろうとも、弁が立とうとも、世の中には男女という二つの性別があり、異なる性別の人間と相対するときには、普段通り接しようと試みても、それはなかなか難しく、うまくはいかないということを、ひしと理解した。そればかりは机上の勉強でどうにかなるものではない。
 出会ってから三週間経って、ようやく彼女に声を掛けられるようになった。女子の中でも特にすらりと長い手足を持ち、際立った美貌を誇る冬麻椿希は、その容姿と聖歌隊の一員という経歴から、塾生たちから、
 「音楽学校の生徒みたい」
と言われていた。そのため、塾生の中でも早くも学級委員長格になってしまった秋定桔梗(あきさだ・ききょう)は、最初のうちは彼女のことを、「オスカル」と呼んでいた。体格のいい大柄の彼は、人の良さそうな外見に加えて興味の範囲が幅広いため会話の種類も豊富で、塾生同士がたちまち親しくなれるきっかけを作ったのも、彼が上手く取り持ったお陰だった。そんな桔梗もどうやら葵生と同じく、塾生の中でも特に異彩を放つ椿希のことが気になっていたらしく、特に彼女に対して話しかける割合が多く、視線にも熱いものが込められる。
 「椿希は聖歌隊の中では、ソプラノのパートリーダーなのよ」
 友人の相楽妥子が言うと、皆一様に意外だと言っていた。
 「アルトだったら、なおさら格好いいのに」
 長身の椿希は女子学生たちの中にいると、なおさら髪さえ短ければ、さぞかしその美少年ぶりが話題になることだろうと思われるので、そういう発言も出るのだろう。
 「人間、そんなにうまくいくはずがないの」
 残念がるのは、おっとりとした外見の甲斐ゆり子(かい・ゆりこ)で、気の強い口ぶりで言ったのは、同じ高校で友人の大隅茉莉(おおすみ・まり)。こちらは、今流行らしい『コギャル』と呼ばれる格好を好むらしく、おそらく校則違反であろうが髪を茶色に染め、化粧を施しており、目の周りは黒く縁取られていた。靴下はわざとだぼだぼにさせて、靴の上に何重ものひだを作っている。ゆり子はそれほどで派手ではないにせよ、やはり薄く化粧をしているためかほんのりと大人びた雰囲気があって、二人は塾内でもやや浮いた存在のように見受けられた。それは見た目だけではなく、大学の附属高校の学生ということもあるのだろうか。附属校なのにわざわざ塾通いしているのは、普通にしていれば内部進学、良ければランクの上の大学に進学したいという狙いがあるのかもしれない。果たしてそれが本人の意思かどうかは、別として。
 「でも、夏苅くんも素敵じゃない。本当に綺麗な顔してるよね、羨ましい」
 こういう会話を本人の目の前でするとは、なんという品のないことか、と葵生は呆れていた。溜め息が出そうになるのを押さえ、この手の話は苦手なので、返答をしないことにしていた。
 「葵生には熱心なファンの女子がいて、よく校門の前で葵生が来るのを待ってるんだ」
 日向柊一が得意そうに言う。いつの間にか、「葵生」と呼ぶようになっていたことや、何故他人のことなのにそんなに誇らしげなのかと、葵生は違和感を拭いきれなかったが、それよりも火に油を注ぐかのような柊一の発言に、葵生は眉間にしわを寄せた。
 「へぇ、みんな暇だねぇ。でも、気持ちは分かるかも」
 茉莉がちらちらと葵生の顔を見ながら言った。何かを訴えるような視線に、葵生は気付かないふりをして、教室の隅を眺めていた。塾でもまた追い回されるのかという気の重さと、椿希を桔梗に取られてしまったという悔しさと、それに対して何も出来ない自分と、打開策が思い浮かばない経験の浅さと、様々な思いがむっとした顰め面の表情を作っていたらしい。
 「なぁ、今、大丈夫か」
 桔梗が覗き込むようにして言った。
 「ああ、何か用」
 気を遣うような物言いに、葵生は努めて気を悪くしていない風を見せようとぎこちなく笑った。
 「今度、ゴールデンウィークキャンプがあるだろう。聞いた話だと、肝試しがあるんだって。なあ、椿希」
 桔梗の体に隠れていた椿希が顔を見せると、葵生は作り笑顔を少し緩ませた。
 「私をここに紹介してくれた人が教えてくれてね。夜の肝試しは二年生が用意するんだって。じゃあ、私たちも来年は一年生に肝試しのお化けをやるんだね」
 自己紹介の凛とした印象の強かった椿希だが、ここ数週間ずっと観察していて分かったことは、常時あのように堂々としているのではなく、普段はもっとくだけていて、仕草や言葉遣いは気品があって女性らしい。相楽妥子が言っていたが、「学校が女子校だからか、椿希のようにすらりとした美人は人気で、中には『プリンス』と呼ぶ子だっている」らしい。
 まるで、どこかの誰かみたいだな、葵生は自嘲気味に思った。だがそれと同時に、自分のあずかり知らぬところで賞賛されまくるだなんて、似たもの同士ではないかという仲間意識も感じて始めていた。いや、親近感を感じただけではないだろう。
 椿希が女子校で『プリンス』と呼ばれて困っているだろう姿を思い浮かべると、少し面白い。いや、案外嫌がっていないのかもしれない。気が利いて、機知に富んだ会話があって、それでいて優しければ、それは紳士的な『プリンス』と周りは呼びたくなるのかもしれない。男である自分でさえそう思うのだから、きっと女子ならばさぞかし、と葵生はそんなことを想像しながら、葵生はにやにやと笑った。かつてならば「なんと下らないこと」と馬鹿にするようなことなのに、何故かその下らないことが面白くて仕方ない。
 「じゃあ、『プリンス』は王子の格好をした亡霊で決まりだな」
 からかうように言った。椿希が、「もうっ!」と軽く睨んだが、すぐに頬を緩めて言った。
 「でも、意外だった。そんな冗談言う人だと思わなかった」
 近づきがたい人だと思っていた椿希は、初めて葵生が笑ったところを見て、ついそんなことも口に出てしまうのだった。
 「そうそう、もっとお堅い奴なのかと思ってたよな。何せ、あの『染井』出身なんだし」
 桔梗も同意したことからすると、どうやら葵生は周りから堅物と思われていたらしい。三週間経ってもポーカーフェイスを貫いていれば、誰だってそう思うだろうが。
 「堅いなんてとんでもない。こんな綺麗な顔して、バスケ部のエースだからね、葵生は」
 茉莉たちと話をしていたはずの柊一が、どこから話を聞いていたのか、急に加わった。
 「へぇ、バスケやってたんだ。それにしては、身長が」
 椿希が、しっ、と目で合図を送ると、桔梗は慌てて口をつぐんだ。あまりにも瞬時に反応をされてしまったのと、嗜めたのが椿希だったということもあって、葵生は顔を少し赤らめた。既に完成された大人の体格に近い桔梗に比べれば、少なくともこの教室内全員が小さいと表現されてしまうだろう。決して葵生は自分の身長にコンプレックスを持っていたわけではないが、桔梗との差や長身の椿希を見てしまうと、どうしても気にせざるを得なくなってしまう。
 「所詮弱小チームだったから身長なんてどうだっていいんだよ。確かに身長はバスケ部にしては低い方だけど、一般からすると決して低くないよ。ただ低く見られがちなだけで。なあ、葵生」
 葵生の代わりに柊一がさらに続けた。自分の代理で答えてくれているとはいえ、これではまるで恋人同士、いや、寡黙な夫に代わって答える妻のようではないかと思うと、苛立ち始めた葵生は、せっかくの笑顔も立ち消えになってしまった。大体、何故そんなに詳しく自分のことを知っているのか、調べ尽くされているようなのがこの上なく不快で、こんこんと、机の端を爪先で叩いた。
 「ねぇ、葵生くんって学校ではどんな感じなの。美人さんだから、『その気』のある男子から告白されてたりして」
 茉莉が鼻息荒く興奮しながら参戦すると、もはや葵生の出番は完全になくなった。葵生の深い溜め息も周りには聞こえなかった。あとは勝手に周囲が盛り上がるだけだ。面倒なことには手を触れない、君子危うきに近寄らず、の精神で葵生は話題から遠ざかっていった。
 「確かに、べっぴんさんだよな。俺達の学校は公立で共学だけど、男女どっちにしてもこんな美人さんはいないよな」
 桔梗の友人の綾部笙馬(あやべ・しょうま)が、同級生の桔梗に向かって言った。笙馬をちらりと見ながら、彼もまた小柄ではないか、と内心では思っていたけれど、それを言うことでややこしい方向に話が向かっていくような気がして、黙して語らずの精紳を貫くことにした。
 「告白されてても、全然不思議じゃないよな」
 桔梗が笙馬の言葉に対して同意すると、たちまち先ほどまで柊一の演説に聞き入っていたはずの何人かがこちらの話に加わり始めた。葵生はすっかり呆れてしまっていて、明後日の方を見ながら何も聞こえないふりをしている。
 「禁断の花園っていう感じよね。危険な世界だけど、気になる」
 ゆり子は、もはや現実の世界ではなく、妄想の世界で言葉を発しているようにしか見えない。
 「私は、葵生くんならたとえ男好きでも全然構わないわ」
 茉莉も妄想の世界に入ってしまったのか、うっとりとしながら言う。徐々に会話があらぬ方向へと向かいつつあるのを、誰も制しようとはしないのは、それほど興味深い内容だったのだろうか。
 葵生は頭痛がしたような気がして、もう話をしているのを見たくもないと言わんばかりに仏頂面をしてしまっている。一方の椿希と妥子はというと、あまりに白熱する周りについて行くことが出来ず、ぽかんと遠巻きに傍観していた。
 「いきなり大スターだな。どうだ、気分は」
 いつも教室の隅に座っている山城桂佑(やましろ・けいすけ)が、いまだに騒がしくあれやこれやと妄想話を繰り広げているのを見て、呆れたように言った。口数は少ないけれど、それがどことなく自分に似ているような気がして、葵生は塾の中でも気が合いそうだと思っていたのが桂佑だった。
 「最悪だ」
 桂佑はその返答に、ぷっと笑った。笑われたことで、葵生は顔を赤くさせたけれど怒ることもなかった。
 「みんなが好き勝手言ってるから、私も言わせてもらうけど」
 相楽妥子が、少し声を落として言った。
 「私は、実は夏苅くんには椿希みたいな、正統派の子が似合うんじゃないのかな、なんて思ったりしました」
 妥子はおどけたように言ったが、思わず葵生は顔を赤らめた。冗談で言ったのだろうとは思いながらも、椿希のこととなると敏感になってしまう葵生は、どきどきとしてしまって椿希の顔を見ることが出来ない。ちら、と桂佑を見たら、桂佑はにやにやと笑っているものの、それについて何か言うつもりはないらしい。お喋りな奴でなくて助かった、と葵生はほっとした。
 「ちょっと妥子、『清純派』の間違いじゃないの」
 当の椿希はというと、妥子の言うことに対してそういう風に切り返したのだった。葵生は顔を上げて、椿希を見たけれど、普段からこの二人はそういった冗談を言い合っているのか、息もぴったりの様子に見える。
 「椿希が『清純派』だなんて言ったら、学校中の女子が泣くでしょ」
 妥子はそう言いながら、ちらと葵生を見た。視線が合うと、葵生はまたも顔を赤くさせて目を逸らしてしまったので、妥子は苦笑いした。
 「仕方ないか、私は『プリンス』だし」
 椿希が肩を竦ませて言うのが、いかにもそれまでの会話が冗談でしたというようなので、葵生は呆気に取られて何も言えそうにない。それにしても、妥子が鋭く葵生の心を見破ったかのように言ったのがなんとも気恥ずかしくて、これから味方になってくれれば心強いけれど敵に回したくない人だと思っていた。そして、改めて椿希もとても頭のよく回る人らしいというのに気付いて、それについては自分の想像通りで良かったと、密かに嬉しく思っていたのだとか。


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