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作品名:星屑の詩 作者:柳原奈生

第27回   27
 今年もまた春の連休がやって来た。行楽日和が続き、暖かい陽気の中日差しもそれほど厳しくなく、毎日の勉強疲れを癒し、気分転換するには実に良い雰囲気である。
 昨年はただ初めてのキャンプに浮かれてしまって、バスに乗っても友人たちとの他愛のない会話や山に入ったときに自然豊かな景色に深い心もなく幼心のままに感動するばかりで、街中のいつもと異なる様子を気付いていても気に留めることもなかったのだが、二回目となると、楽しみではあるのだがいくらか心も落ち着いて、連休中のひっそりとした街のいつにない様子もちらちらと気にしながら乗っていた。
 普段ならばどこにいても人の声や車の音などといった都会の音が聞こえるのに、街中の混雑はほとんどなく、また道行く人たちの姿もまばらで、主たちの気配の少ないビルやマンションが見えると、本当に世間は連休真っ只中なのだと実感した。葵生にとって、それまでは連休といっても泊りがけでどこかへいくことはなく、小学生の時は塾の講習や合宿で一日中缶詰状態で外に出ることはなかったし、中学生になってからは連休中一日は友人たちと遊んだり家族でどこか近隣のレストランへ食事に出ることはあっても、羽を伸ばして窮屈な日々から解放されることがなかったため、こればかりは二回目といえどキャンプの最中は完全に勉強のことを忘れていることが出来るというのが、まだ少し信じられないでいる。
 通路を挟んで斜め前に座る椿希が、妥子と笑って会話しているのをほとんど顔が見えないけれど、動く度に揺れる黒髪を、静かに笑みを湛えながらぼうっと見ていると、隣の桂佑が話しかけてきたので、残念な思いを抱えながら視線を外した。ただ仄かな思いゆえに、まだこれからどう進展させるとも考え付かないことで、ただ彼女が自分の近くにいて、ずっとその姿を見詰められたらそれだけで幸せなのだ。それにしてもこのキャンプのある数日間の間に、どれほど二人の関係を深められるかと言えば、いくらまだ十代半ばの初恋とはいえ、恋しい人に対する思いが真面目で不器用な葵生のことだから、まあ大きな期待をするのは可哀相なところだが、葵生としてはほんの少しでも心を通わせられて、僅かでも自分の胸のうちを知ってもらえたらと、控えめに思っている。
 そういうわけで、それほど気負うわけでもないのに、先ほどから胸の鼓動がやかましく忙しなく動いて、葵生は桂佑との話をしている間ずっと気もそぞろで、適当な相槌を打ったり返事をしたりしていた。
 
 青々とした春の山からは鳥の鳴く声があちらこちらから聞こえ、太陽に近付いた分浴びる光が一層眩しく、葉の上にそっと置かれたような露が煌めいて、雫となって地面に落ちるのが譬えようもなく美しく、いかなる画伯の腕でも表し尽くすことが出来そうもない。柔らかな空気が待ち構えていたかのように体を包み込み、心を鷹揚にさせる。自然そのままというわけにはいかず、人の手が入っていることでいくらか風雅が損なわれているのが残念なところであるが、馴れた都会の味気なさに比べるとこれでも十分満足である。そして、また車が一台通り過ぎて行った。
バスを降りて山を分け入って歩くと、道や別のキャンプ場で光塾の団体だけではなく家族連れやボーイスカウト、ガールスカウト、あるいは大学生らしい集団も見かけた。高校生としてキャンプをするのはこれで最後になるだろうけれど、進学のための最後の受験勉強を乗り越えたら、また大人になってからでも来ることが出来るだろうと思い、あまり感慨深くなって後々に控える受験勉強の時に思い出してしまっては都合が悪いからと、葵生は細やかなところに目を配るのを止めようと決めた。しかし、目に焼き付けておきたい、豊かな木々や可憐な花々の様子を、いくら打ち払っても記憶に留まろうとするのは、あわれ深さを心の奥で葵生が感じてしまっているからであろうか。
 既に張られてあるテントに荷物を置くと、ゆっくりしている暇はなく、すぐに広場に行くよう手伝いの卒業生たちに促された。テントを出て少し先のところの、女子テントの群れの一つから出て来た椿希が、他の女子たちと通り過ぎて行ったのが不意のことだったのでどきりと心臓が跳ね上がり、葵生は椿希がやってきた方向を見ながら、あの辺りで椿希はどんな夢を見ながら眠るのだろう、と思いを馳せた。
 我に返ってみると隣のテントから出てきた桔梗が、ほかの二年生と肝試しのことについて話し合っているので、葵生も駆けつけて簡単な打ち合わせに加わった。
 「ドーランを持ってきたんだけど、これをお化け役の男子で塗ってみようと思うんだ」
 あれほど「高校生にもなって肝試しだなんて、子供騙しもいいところだ」と文句を言っていた桔梗だが、結局率先して塾生たちに指示したり提案したりするのは、いかにも行動的な桔梗らしい。話している声も活き活きとしていて、やはり桔梗なしでは纏まらないようである。
 「男子でするということは、まさか全員という意味か」
 桔梗はいくつも用意したらしく、袋から取り出して並べていく。
 「もちろんだろ。女子でたくさん化粧道具を持ってるのといえば茉莉とゆり子だろうから、あの二人に色々借りるつもりなんだ。もう話はつけてある。ほかの女子には頼みにくいというよりは、全くしていないかしていても薄そうだから借りないことにした」
 その手際の良さにもつくづく驚き感心してしまうが、よく女子の化粧事情を知っているなと、葵生は妙なところででも感心していた。ドーランをどこからか調達して来たということも、他の者ならば考えてもわざわざ探し求めはしないだろうと思うと、つくづく桔梗は気の利く明快な男のようである。前に桂佑に言われたことで、「桔梗の方が葵生よりずっと、分かりやすい」というのが、今になってよく心に響いてきて、ちくりと胸を刺す。
 腰が軽くて社交的、そして人をわざとらしくなく盛り立てて引っ張って行く陽気な桔梗を見て、まるで正反対の気質の桔梗のことを心底羨ましいと思っていた。ああいう性質なら気軽な気持ちで応対出来るし、構えることもなく他愛無い会話も楽しめるだろう。あれこれと言葉を探し選びながら会話しなければならないことほど気の張るものはないのだから、自然に気を大らかにさせて溶け込みやすく、相手の懐に苦もなく入っていくことの出来る才能は、天性のものに違いない。そんな相手に話し掛けられても椿希だって嫌な気持ちにはならないだろうと思うと、このままだと椿希には少しも自分の気持ちを知られることのないまま、桔梗や他の男に持って行かれてしまうのではないかと、危機感が募っていく。

 今回の行動班は、よく知る間柄の塾生の中では茉莉と桂佑と同じ班で、後は同じ授業を受けるようになってまだ間もないので、顔と名前が一致しない二年生や、まだあどけない顔立ちで緊張した面持ちの一年生たちがいた。椿希と同じ班になるのが望み叶ったりなのだが、そうはいかなかった。せめて桔梗や笙馬のいる班ならば気心が知れて良かったのにと、少し残念である。桂佑は友人として打ち解けた仲で、些細なことでも相談し合う気の置けない付き合いをしているからひとまずは安心なのだが、茉莉のようなどこでもかしこでも開けっぴろげで、大きな声で身内のことも他人のことも話すようなのは苦手なので、葵生は少し先が思い遣られて知らぬ間に溜め息が漏れた。だが、あからさまに顔にそれを出すのも見苦しく、椿希や妥子に見られては具合の悪いことと、何気ない振りをしている。
 早速食事の準備に取り掛かるのだが、炊事場で調理を始めるにあたり、二年生は勝手を知っているということでよく働き、一年生は言われるままに野菜を切ったり薪を割ったり、それぞれ仕事の役割を見つけて動き回っていた。中には卒業生や講師の目を盗んでどこかへ仕事をせず逃亡する者もいたが、そういったことも気に留めるほどではなく、今はただ久しぶりの開放感と自然の穏やかなで澄んだ空気に包まれながら、皆は表情を活き活きとさせていた。
 「葵生、今日はよく茉莉と喋るよな」
 大方の作業を終え、熾した火で煮炊きするだけになったところで桂佑が言った。「そうだっけ」、ととぼけて言ったものの、確かに苦手意識を持つ茉莉と今日はやけによく話す。同じ班になったのだから当然だけれど、こうして同じ作業をしていると、単に女子高生の間で流行っている、乱れているとされる言葉を使い過ぎていて、見た目があまり品があるとは言えない格好をしているだけで根は悪くないのだろうと気付き、葵生も茉莉を追い払ったり邪険に扱うことなく、ほかの学生と同じように接していたのだった。
 桂佑はというと、甲斐甲斐しく葵生のすることを補助していく茉莉を見ながら、ふと察するものがあったが、それには触れず静観することにした。前々から茉莉は葵生に対してあまりに気を遣いすぎると感じており、その理由も薄々気付いてはいたのだが、今日は誰に遠慮することもなく葵生の近くにいてもいいわけだから、それを存分に楽しみたいのだろうと、茉莉にそのことを言いもしない。ちらと椿希を見遣ると、椿希もまた班の仲間たちと楽しそうに笑いながら作業をしているので、お互い様だと思うし、なんといっても椿希は葵生のことをまだ友人ぐらいにしか思っていないようだから、桂佑は誰にしても、楽しむ権利はあるのだから、こんなこともあっていいだろうと静観していた。
 本当に、人の秘めた心の内を察するのはなかなかに難しいことだけれど、こういう風に親しい間柄でも、お互いのことを思い遣って我が我がと我侭を言い貫こうとしないのは、この若さにしてなかなかに立派なことであるようだが、元気がなく大人しすぎるようにも見える。近頃は主張ばかりは一人前でも、それに伴うだけの行動も心映えも出来ていない人々が多いとされ、この塾生たちも例外ではなく皆それぞれにそういった面を持っているのだが、それを自制して他人を思い遣ることが出来るようになったのは、年を一つ重ねたのと同時に、心という分においても少し大人になったからであろう。ただ、見方によっては味気ないとも捉えられかねない。

 葵生は薪割りや食材の運搬などといった力仕事を見つけて積極的にしていたが、二度目とはいえ慣れない作業は若いとはいえ体に堪え、気が付けばいつの間にやら汗が額や背中から滲み出ていて、早くも筋肉が悲鳴を上げて痛み始めている。まだ夏には早いが、動けば汗ばんで額を濡らしていく。こういう汗をかくのは悪い気もしないし、いつもなら鬱陶しいはずの筋肉痛でさえも、むしろ勲章の一つのようにさえも思えた。
 袖を捲し上げたときに見える腕が、細身の体躯からすると意外としっかりとした肉付きで、薪を割る姿も薪をくべる姿もなかなか様になっていたので、飯盒を竃に持って来た椿希が、
 「実はそういう仕事が向いているのかもね」
と、からかうように言うので、班の仕事にかまけてこちらなど見ていなかっただろうと思っていたのが、こちらの様子も目を配ってくれていたのが嬉しくて、つい顔がにやけてしまう。
 「万一のことがあっても、これで生きていけそうだと証明されただろ」
 葵生が調子に乗って得意げに言うのが憎らしいと思うものの、こんな風に葵生がありのままの姿を晒し、無邪気な一人の少年としての笑顔を見せるのが物珍しく思えて、
 「本当、人は見た目に寄らないものね。それにしても、今日は葵生くん本当に楽しそうに見える。帰りたくないでしょう」
と、普段はとても思慮深い椿希なのだが、つい思ったことが口を突いて出てしまった。椿希にそう言われて、どことなく気恥ずかしい思いをしたのだが、葵生はそれほど違うように見えるものなのかと思い、または椿希がそういう違いに気付いてくれたことが嬉しくて、笑顔はいよいよ治まる気配を見せなくなった。
 「街中で暮らすのも俺は好きだけどね。だけど、もしここに残りたいって言うんなら、俺も付き合うよ。こういう暮らしも悪くないと思うし、男手が必要だろう」
 葵生はにやりと笑うと、薪をくべっている最中に滲み出た汗を首に引っ掛けたタオルで拭いたのだが、そのようにタオルを巻いているのもそうする仕草もまた、普段の優男風情とはまるで違っていて大変珍しい。その時に汚れた軍手が頬に触れ、右の頬が煤(すす)で黒くなってしまった。
 それを見て椿希が吹き出すように破顔したので、葵生が思わずうろたえると、椿希は笑いを少し抑えながら腕を伸ばして、左手で葵生の頬にごしごしと触れる。葵生は初めて椿希に頬を触れられてすっかり顔を赤くさせてしまい緊張させ、先ほどまでの余裕ぶった生意気な笑みはどこへ飛んだのやら、しどろもどろになりながらおぼつかない目で椿希を見ている。
 「はい、完成。ああ、二枚目はやっぱり何をさせても男前のまんまね」
 口先では褒めているようだが、相変わらず笑いを堪えたままの椿希を見て、葵生は訳が分からず立ち尽くしていると、通りがかった桔梗と桂佑が葵生の顔を見るなり、また吹き出して大笑いし始めた。
 「いいねえ、葵生くん。うん、君にはドーランは必要なさそうだ」
 にやにやと笑いながら桂佑が言うと、
 「ああ、でかした椿希」
と、桔梗が椿希を見て親指を立てて笑い、椿希もまたおどけた様子でその仕草を桔梗に返したところで、葵生も流石に何が起こったのか気付き、つられて笑った。椿希と桂佑が手を高いところで叩き合わせる仕草から、してやられたと思ったものの、こういう悪戯も常にないことなので被害者ではあるが面白く、顔を洗うことなくそのままでいた。だから茉莉やゆり子も笑っていたし、騒ぎを聞きつけて野次馬のようにやって来た妥子や笙馬にも笑われ、講師たちからもからかわれたりしたが、何故か笑ってくれることがとても嬉しくて、出来るだけ長い間このままでいようかと思っている。
 これも椿希の悪戯心がやったことで、椿希が笑ったのが嬉しかったからなのだろうか、別の他人にされていたらすぐにでも顔を洗ってしまっていただろうか。鏡のある手洗い場で自分の顔を見たとき、思った以上に煤が右頬いっぱいに広がっていて、よくもやってくれたなと思ったが、煤を広げた指の跡を見つめて、こういう風に椿希が触れたのだと愛しげにその右頬にそっと指を触れさせると、とても幸せな心地がして笑みはやはり尽きそうにない。


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