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作品名:星屑の詩 作者:柳原奈生

第25回   第一章 第五話 【歌姫】 8
 修学旅行先は例年と変わらず北海道だった。椿希がつい数ヶ月前に語学研修にとアメリカへ行ったのに比べれば、地味なことではあるけれど、初めて北海道の地を踏んだ葵生にしてみれば、決して惨めではないし、これが普通だと思っていた。ただ、男子校ゆえに周りにいるのは男ばかりで、時折葵生の整った中性的な容貌を好ましく思う数名から、妖しげな視線を注がれるのが苦痛でならず、いつもに増して嫌悪感を催していた。
 羊が丘展望台、北海道庁、大通公園と、バスは札幌市内を巡っていく。久しぶりに勉学から完全に解放された学生たちは、この澄んだ空気に身を清められるような心地で、年頃の少年らしい笑顔を青空の下に輝かせていた。
 葵生は友人たちと大通公園を歩いていたが、通り過ぎる人たちの中に同年代くらいの恋人たちが並んで歩いているのを見ると、つい自分たちの姿を重ね合わせてしまう。彼女の背格好、髪が肩より少し下のあたりで揺れる様や、人よりも長い脚など、ありありと彼女の姿を思い出していると、ぼんやりしていたのを見破られて友人に肘で小突かれた。
 「お前、最近ぼうっとしていることが多くなったよな」
 人が何を考えているかということに疎いような友人でさえも、葵生の変化には気付いていたらしい。葵生は、とりわけ感情を表情に出さない性質で、笑顔を見せることはあっても、常に冷静に物事を見定めているという印象が強いからだろうか、こんな風に落ち込んだ顔をしたり物思いに耽っているところなど、友人たちの誰もが見たことがなかった。
 葵生は、まさかこの思いを知るわけがないだろうと思い上がったようにふっと笑うと、
 「詩人にでもなったような気分だね」
と冗談めかして言うと、友人は呆気にとられたような顔をして、すぐに破顔した。
 「ははは、お前がそんな情緒を解するなんてねぇ、まだ俺たち十代だけど。若年寄みたいなことを言うんだな。ああ、確かにこんなところを男だけで歩くのは勿体ないことだけど」
 言い繕っておきながらだけれど、本当に詩でも作れそうな風情である。穏やかな陽気と人通りも多すぎず閑散としすぎず丁度良く、緑の多さは長閑で心を寛大にさせる。青空が澄み渡って陽の光を遮ることなく街を照らしていて、こんな毎日を過ごすことが出来たら贅沢なものだと感慨深く思う。情緒は解せても詩を作る才能にはあいにくと恵まれていないけれど、ここに椿希がいるならば、どんなに気障で歯の浮くような台詞を言っても心を表すには足りないだろう。葵生はますます苦笑した。
 「恋の詩を作るにはうってつけだ」
 わざとそう言ってみると友人は、
 「妄想で作るのか。説得力には乏しいな」
と言う。葵生は「ははは」と笑った。やはり友人は全く気付いていないようだった。椿希のことを知って欲しいような、だが知られたくないような、そんな二つ心を胸に芽生えさせながら、彼女に早く会いたいと気が急いているのを、葵生ははっきりと感じていた。
 北の街は思いのほか暖かくて、本州ではもう葉桜になった桜がようやく満開のときを迎えている。白く肌理細やかな肌の彼女を思えば、一層胸に桜色のざわめきが支配する。少し遅れての春を迎えた北の街を彩る花を眺めながら、心から美しいと思う。今までなら、目にも留めない花びら一枚一枚の色づきようにまで目を配る。空気が美味しいと思う。

 ホテルに泊まれるとばかり思っていた学生たちだったが、実際に泊まったのは学校が保有している古い保養所であって、札幌市内からも少し距離の遠いところにそれはあった。宿泊先は渡された栞にはっきりと書いてあったのに、それに目もくれなかったのはほかならぬ学生たちなのだけれど。
 札幌と小樽の間にあるというその保養所のベランダを出ると、北の海が見えた。遠くの潮が満ち引きする音は耳を澄ませれば聴こえてきそうだったが、高台にある保養所から海までは距離がある。閑静といえば閑静だが、少しもの寂しげに揺れる木々や群青の海は時折黒色にも見えて、旅行で高揚した気分を沈めてしまう。しかし仄かに見える漁火がとても幻想的に浮かんでいて、思う人と様々に語り合えることが出来れば、それは心に刻まれる思い出となるであろう。
 割り当てられた部屋に入り込んだ学生たちは、畳の上にごろんと寝転がったり早くも風呂に入る準備をしたりと、それぞれ思い思いの行動をしている。部屋にテレビはないので娯楽といえば、持ってきたトランプやカードぐらいで、あとは談話室に行って長話に興じるかをするしかない。中には鞄の中に読書用の本を持ってきたり、参考書を紛れさせていた者もいたが、葵生にはこんなところまで来て、と気が知れず、さてこの暇を持て余しそうなのをどうやって時間を潰そうかと思案していた。
 それぞれ退屈そうにしているので、嬉しそうに学生の一人が、鞄の中から色鮮やかな柄の花札を取り出した。普段は大人しく目立たないような学生が、にこにこと笑いながら見せているのは、全く無邪気な様子でいるので頑是ない子供のようである。
 「おい、それ先生に見つからないようにしないと。絶対部屋の外に出すなよ」
と、部屋のリーダーとなった大柄の学生が窘める。その直後に不意に部屋の扉をノックする音が聞こえたので、どきっとして花札の学生は慌てたような顔をして、どうすればいいのか分からないようである。
 「馬鹿。早く隠せって」
 嬉しそうに見せると共に、既に何枚も床にばらけさせていたので、葵生はすぐに鞄を被せ、それでも足りないと見ると、自分の体を札の上に覆いかぶさるように片肘を立てて横たえた。直後、ドアノブが動いて扉が開くのを、花札君は顔を真っ青にして俯いて見ることが出来ない。
 「ん、ここは随分寛いでるな。この後三十分から談話室に集合。それから夕飯だから、準備しておけよ。風呂は三十分で上がれるなら入ってもいいし、その後でも構わない」
 教師は部屋の中までは入り込まず、入口のところからそう言って、ぱたんと扉を閉めた。何部屋もそれを伝えるためだろう、極めて簡略的な事務連絡であった。教師が去って、花札の少年は心底ほっとした様子で、気弱な目を葵生に向けて、
 「ありがとう」
と言うのがまた頼りない。葵生は「どういたしまして」と言って、細身ながらも華奢ではない体をゆっくりと起き上がらせると、大きな欠伸をした。その様子を、花札の少年はじっと物言いたげに見詰めている。葵生が視線を感じて振り返ると、少年は花の咲くようにぽっと顔を赤らめて目を逸らした。葵生は心の中で溜め息を吐き、「これが椿希からだったらなあ」と、このときもやはり彼女のことを考えてしまっていた。このように胡蝶のような彼女のことばかりを思うのも、ほかにすることのない徒然の時を過ごしているからであろうか。
 夕飯を揃って食べて、その後は談話室に向かった。部屋の連中とはどうも会話が合うとは思えず、話せそうなのはリーダーの学生ぐらいだろうかと見定めると、こうも自分の交友範囲が狭いとはと思い知らされる。友人たちとは誰も彼も別れてしまったし、その気の合いそうだと思った彼も班長会議という名の談話会に出席してしまっていて、部屋には残っていない。そういうこともあって、葵生は夕食後は部屋に戻らず真っ直ぐに別の班に分かれてしまった友人たちを誘って談話室に行ったのだった。
 学生たちは、部屋に戻ったり入浴したりと散り散りになっていたためか、談話室が人で溢れ返るということもなかった。教師たちは打ち合わせと言って、保養所の管理人に何かを告げるなり、どこかへと消えていったので、大方すすき野にでも行くのだろう、と学生たちは噂し合って羨んでいた。
 毎日勉学に励む染井の学生たちも、修学旅行のこのときだけは心を休められるのか、表情は柔らかかった。中には食堂で勉強をする人間もいたけれど、旅行に来てまで勉強するとはご苦労なことだ、と冷ややかな目を向けるばかりで、葵生は談話室で友人たちと体を楽にしながら、気の置けない話を楽しんでいた。話はゲームの話だったり、この場にはいない教師たちの話だったりするのだが、ゲームといっても毎日しているわけではないので話が続かず、教師たちの噂話をしようにも話好きの女子ではないので、話がいまひとつ盛り上がらない。そうなると、こういう場面で出てくるのは恋にまつわる話のようで、自然な流れでその方面へと会話が移って行った。
 「そういえば、最近彼女と上手く行っているのか」
 にやにやしながら、筑紫が言った。突然会話を振られた眼鏡を掛けた少年は、顔を赤く染めて、
 「お陰様で」
と、控えめに言う。この場にいるほぼ全員は、そういった恋人とは無縁の生活を過ごしているためか、憧れではあるけれど経験が全くないか少ないので、人の話を聞いてあれこれと想像するのを楽しんでいる。気になるけれど相手と巡り会えないのだから、どうしようもないのだが、少し下世話であったようである。。
 「そうだ、お前の彼女の友達を紹介しろよ。コンパやろうぜ」
 筑紫はそう言って大きな声で笑った。
 「でも、夏苅、お前は参加禁止な」
 笑っていた筑紫は大柄の体を揺さぶるようにして、まだ笑ったままでいる。葵生も笑っていたが、突然言われてどきりとして顔が強張った。
 「だってお前がいたら、みんなお前に持っていかれそうだもん」
 そう言うと、輪を作っていた学生たちが皆、どっと笑い出した。葵生は、やれやれそういうことだったか、と苦笑しながらも、一瞬どきりと緊張した心がふっと縛りが解けたように緩んだようだった。
 「生憎と、女にはもてなくてね」
 半笑い、とでも表現出来るだろうか。口元をきゅっと持ち上げるようにしてはにかんだ葵生は、自嘲したように言った。
 「ははん、謙遜も大概にしろよな。いや、もしかしたら本当に女にはもてないのかもしれないな。その辺りをうろついてる女の子よりも、よっぽど」
と言い差して、葵生が軽く睨んだので、調子に乗ってぺらぺらと喋っていたのだが肩を窄めた。それ以上言わないようなのを見て、葵生は「冗談だよ」と言わんばかりに、肩を叩いて微笑した。
 「もう、慣れてるからな。でも、どうせなら俺だって男より女からもてた方が嬉しい」
 ほんのりと脳裏に浮かぶ彼女のことを踏まえながら、葵生は言った。
 「でも、夏苅くんは本当に綺麗だから、彼女にするにも相当の美人じゃないと似合わないよ」
 いつの間にか輪に加わっていたらしい同室の花札の学生が、控えめながらもきっぱりと言った。筑紫は、花札君を見ながらうんうんと何度も頷いている。そんな風に盛り上がって来たところで、葵生と同じ塾に通う柊一が困った顔をして笑っている葵生を見つけて、輪に加わろうかどうしようかと迷っていた。柊一の視線に気付いて葵生はそちらを一瞥すると、ふっと視線を外して仲間たちの談話に戻っていった。
 「あのことを、まだ葵生は許してくれていないのだろうか」と、柊一は切ない気持ちになりながらも、ほかの塾生の誰もいない今こそが一番の好機に違いないと、おずおずと近づいていく。葵生はそれを横目でちらりと見たが、来るなとは言わない。すっと、自然に話をしているところへ入り込み、話を続けている友人の話を聞くのに、皆がしているように体を横たえた。
 「そう言えば、案外美男子と美女同士のカップルって見ないよな。どちらかが自分の顔が綺麗すぎて見飽きるんだろうか。それともやっぱり、一般的に言うように外見より内面で選んだ結果がそうなんだろうか。いずれにしても俺には関係のない世界ではあるんだが、ひとつ気になっていて」
 大柄君はそう言って、何か聞きたそうに葵生を見た。だが花札君はそれに気付かない様子で、
 「内面か。じゃあ、夏苅くんが選ぶ子は見た目も中身も綺麗な子だね」
と、あくまで葵生のことを探ろうとする。しかし、葵生は、もうこれ以上自分に水を向けられたくなかったので、なんとか首尾良く自分への関心を取り除こうと考えていると柊一が、
 「まあ、『事実は小説より奇なり』っていうじゃないか。実際、どういう風に転ぶか分からないんだし、彼女が出来たときに存分にからかおうよ。末摘花みたいな子か、若紫を見つけて育てるか、あるいはもう既に藤壺のような憧れの人がいるのかもしれないし」
などと、友人の花札君にだけ語るような口調で言った。花札君はやや驚いた様子で柊一を見て、
 「ああ、確かにね。事実は奇妙なものだから、空蝉の小君みたいな人がいるのかもしれないしね」
と意味深に、努めて冷静なふりをしようとしているのが分かった。
 「さっきから末摘花だの若紫だのって、どうせ源氏の話でもしているんだろうけど、お前達は本当にあれが好きなんだな。ああいうのは女が好きなんだと思っていたよ。俺なんか古典の知識程度しか知らないから、内容まではさっぱりだからお前たちが訳の分からない暗号を使っているみたいだ」
と、筑紫が感心したとも呆れたとも取れるような声で言った。小君のことを触れなかったのは知らなかったのだろうと、花札君の言うことにどきりとした柊一は安心したのだが、一方で葵生がそのことに気付いていないかと気になって、ちらと葵生を見遣るが、彼はただ泰然と寛いだ様子で、肩肘を立てて体を横たえているのがこの上もなく艶やかである。
 「いつか俺だけの紫の上が見つけられたらいいな」
 そう言って葵生は微笑んだ。すると、「俺も」「僕も」と次々と言い出して、やがて別の人物の恋愛話へと話が移ろいでいった。


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