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作品名:星屑の詩 作者:柳原奈生

第10回   第一章 第二話 【光】4
 高校生活にもようやく慣れて軌道に乗ってきた初夏の頃になると、気の合う友人同士が固まって休み時間を過ごすことが多くなっていた。そろそろ衣替えの時期になり制服も重たい冬服から中間服や夏服へと変わりつつあり、木々も若葉が萌えいずるように、心までが瑞々しく爽やかになるようであった。
 容姿でも成績でも優れている夏苅葵生は本人は素知らぬ振りをしているけれど、どこへ居ても目立っていて、休み時間になると彼のいる方向へ視線が自然と向けられてしまうのは、女子の塾生たちならば仕方のないことであった。自分たちから話しかけたいけれど、同級生でありながら近づくのも恐れ多いような雰囲気で、視線が偶然合った時にかこつけて話が出来ればと狙っているばかりだったのである。
 葵生が椿希とばかり話をしているのは、もはやよほど鈍くない限りは誰もが気付いていたことであった。男子校出身ということもあってか、そもそも女子学生と話をしていること自体がなくて男子学生と話しているのだが、女子の中では椿希と妥子ばかりで、特に椿希に対してだけは笑顔を見せる数も多ければ、自ら話し掛けようとしている風が見て取れるので、おそらく特別な感情を持っているのだろうと察することが出来たのだった。美男美女と言うにはまだ幼すぎるけれど、とても似合いの二人なので男子学生の多くは苦笑いしながら見守り、女子学生の一部は心の中で応援し、またある一部は嫉妬心を煽られて妬ましげな視線を椿希に送り続けていた。
 「なんだかつまんない。葵生くんたら、つーちゃんと一緒にいると楽しそうにしているくせに、あたしが話しかけるとなんとなく鬱陶しそうにするんだもん」
 頬を膨らませながら茉莉が言ったのも、無理のないことであった。後ろから話し掛けると椿希だとでも思ったのだろうか、少し表情を緩ませて振り返るのだが、彼女ではないことを知ると途端に表情を真面目くさったような顔に変えて、「何か」と言うのがなんとまあ無愛想なことか。
 「そりゃあ、お前は喧しいからなあ。その甲高い声も大きな声も、聞き苦しいし。もうちょっと淑やかさがあってもいいんじゃないのか、椿希みたいに」
と、桂佑までが椿希を褒めて茉莉の言うことが間違っているかのように言うので、茉莉はますます機嫌を悪くさせた。
 「あんたみたいに冷めた物の見方しか出来ないような男には、あたしの気持ちは分かりっこないでしょうよ」
 すっかり怒りに任せて言い放ってしまったので、茉莉はぷいと桂佑から視線を逸らせてしまった。茉莉も茉莉で、突然怒り出したかと思えば、突然大きな口を開けて笑い出したりと感情の起伏の激しい性質なので、とても付き合いきれないと桂佑は思っていたのだった。振り回される周囲の立場になってみれば、桂佑がつれない態度を取ってしまうのも仕方のないことであった。
 「そうそう。山城くんって、恋愛には程遠いように見えるもんね」
 同調するのは、茉莉と同じ学校に通っている甲斐ゆり子だった。椿希と妥子の関係が爽やかな友情関係を築けているように見えるのに、何故この二人の関係は主従関係とまでは行かないにせよ、力の差が歴然としているように見えるのだろうか。
 恋愛には程遠いと言われても、そんな風には微塵も思っていない桂佑はそっと溜め息を吐いた。当時としては早熟な方だった桂佑は、これでも中学時代には彼女と呼べる存在の人がいて、それなりに女子学生からの評判は良かったのだけれど、今は葵生に気圧されてしまってすっかりその様子もなりを潜めてしまっている。葵生さえいなければ、すらりとした長身になかなか整った顔立ちで頭の回転の速い桂佑は、さぞかし人気があったことであろう。
 桂佑はそんな言い訳をすると、何倍かにして返答するだろうと思われたので、敢えてだんまりをすることに決め込んだ。
 「ほら、あそこ。葵生くん、つーちゃんといると本当に楽しそうによく笑ってる。あたしたちには全然そんな風に笑わなくて、いつもクールにしているんだけど、ああいう顔もするんだって思うと悔しくてね」
と、茉莉は遠い目をしながら葵生と椿希が会話しているのを眺めていた。
 「その周囲に何人かいるだろう」
 呆れたように桂佑が言うと、
 「そうかな。あたしには二人の世界が出来上がっているように見えるけど。まあ、つーちゃんはそのつもりはなさそうだけど、葵生くんはかなり本気だね」
と、さも全てを知り得たかのように生意気っぽく言った。どうやらこの二人以外はその他大勢に見えるらしく、会話には妥子や笙馬、桔梗もいたのだけれど一切無視してしまっていた。どうやら嫉妬心は立派だが、相手をこちらに振り向かせようという努力をするつもりはなく、一部の意地の悪い女子学生に比べれば良い方ではあるにせよ、なんと呆れたことかと桂佑は心底見下してしまっている。

 茉莉の自宅から見て、茉莉の通う高校と葵生の通う高校とは同じ方向にあるけれど、距離があって、葵生の高校の方が遠くにある。茉莉の通う大学附属高校は各駅停車駅で、葵生は快速電車で飛ばしていくので、結局時間にすれば同じくらいで着いてしまう。学校の最寄駅も違えばそれぞれの自宅の最寄り駅も異なるため、偶然を装って出会うというのも無理がありすぎるため、一考したことはあるけれど実践したことはなかった。
 葵生の通う、染井の濃紺の詰襟の学生服を着た学生を見掛けると、この人は葵生のことを知っているのだろうか、親しいのだろうかと様々に思いを巡らせたものだった。葵生はこの学生服がとてもよく似合っているので、春に染井の学校の前で桜咲き乱れる中でその姿を見ると、その濃紺の学生服がより一層映えて、整った葵生の顔立ちをはっきりと映し出すだろうと思うと想像であってもうっとりと頬を染めてしまいそうである。
 男子校だから、中学卒業の時に第二ボタンの争奪戦はなかっただろうが、もし自分が近隣の学校に通っていたら、思い切って手を挙げていたかもしれないと、茉莉は思っていた。
 葵生はよく直接学校から塾に寄ることが多かったが、たまに時間に余裕があると一旦家に戻って私服に着替えてくることがあった。比較的身軽な格好を好むのか、高校生だからそれほどお洒落にかける金銭的余裕もないのか定かではないが、黒や灰色などの色合いのものにジーンズを合わせることが多かった。とても簡単な装いなのだが、葵生が着ると、とても洒落た優美なもののように思えるから不思議だった。
 そうしていつの間にかどんどんと葵生に惹かれているのに、もう一歩進めずにいるのは、先ほどの遣り取りの間に出てきた、冬麻椿希の存在があったからだった。
 いくら葵生が椿希に惹かれているといっても、もし椿希が女子高生らしいあどけなさや可愛らしさ、すぐに流行りものに飛びつこうとするような軽さを持っているのであれば、葵生を引き剥がそうとしてでも椿希に立ち向かっていたと思う。
 だが、椿希の通う女学院の学生たちが彼女のことを『プリンス』と呼び慕うのも理解できるほど、日を追うごとに彼女の魅力を感じるようになり、次第に虜になってしまいそうなくらいであった。初めの頃はあんなに椿希に対して、葵生の心を独り占めして弄ぶ嫌な女と思って嫌っていたくせに、貧血でふらふらとぼんやりした意識の状態で授業を受けているのに気付いてくれたのが椿希だったことから、途端に彼女に対する考えを改めたのだから、不思議なことである。
 元々茉莉は貧血症で、よくふらついてぼうっとすることが多かったのだけれど、皆もそれを承知していたから放っていたし、自分でもこのようなものなんだと思い込んでいた。だが、椿希が気付くやいなやすぐに講師に訴え、空き教室に茉莉を背負って連れて行ったのだった。女手で力の要ることをするのはしのびないと、真っ先に桔梗が交代すると言ったが、
 「妙齢の女の子の体を、むやみに触らせるわけにはいきません。私なら大丈夫だから、気にしないで」
ときっぱりと断り、茉莉に声を掛けながら運んだのだった。このようにとっさの判断と行動力を見せた椿希のてきぱきとした鮮やかな対応には好感を抱いた者も少なくなかっただろう。高校生だからこそ余計に目を見張るものがあったのだが、たとえ大人であってもこのようにすぐに対応出来る者は意外と少ないのではないだろうか。
 葵生がこのことをを目撃してから、さらに椿希への思いを強くしてますます他の女子など眼中に入らないようになってしまったけれど、あの一件で椿希が見かけだけではなく本当に『プリンス』と呼ばれるに相応しいだけの器量を持っているのだと思い知らされたため、妬ましく思う者も表立ってそれを口にすることはなくなったのだった。
 そして茉莉もまた、椿希のことを憎らしく思っていたのがだんだんと彼女に引き込まれて、彼女と話すことが出来れば嬉しいし、気に掛けてくれると恋に堕ちたかのように、どきどきと心がざわめき緊張のあまりに声が上ずってしまうのだった。
 だから、最近は葵生と椿希の二人が親しげに笑い合っているのも、葵生がそっと椿希に何か耳打ちしてくすくす笑っているのを見ても、決して嫌だとは思わないのだけれど、何故か気に入らなくて苛々としている。その苛々の正体が掴めないことも腹立たしく、落ち着かない心地で悶々と過ごすばかりであった。
 そんな茉莉の様子を見るに見かねて、桂佑が、
 「俺には茉莉が何を苛ついているのか分からないけれど、せめて自分の感情ぐらい自分で操作できるようになることだな。たまには葵生みたいに、何があっても動じない振りでもしてみたらどうか」
と、呆れたようにわざと感情を抑えた声で言ったので、茉莉はまた腹を立てて舌を噛んで睨み付けてやったが、桂佑の言うことももっともだと思うと反論することが出来なかった。
 光塾に来てからというものの、ずっと悔しい思いばかりしていて何一つすっきりとした心地にさせられるものに会っていないのは、自分の不甲斐なさのせいだと自覚しているだけに堪らなく辛いのだ。光塾を辞めてしまえばこんな物思いをしなくても済むのだろうけど、両親の言いつけで内部進学をなんとしても果たすために入った塾であるし、やはり葵生や椿希といった人物は、茉莉がそれまで過ごしてきた生活の範囲の中では到底出会うことのなかった洗練された人たちのようで、格の違いはあれどその空気をもっと感じていたいと思うので、とてもあっさり辞めてしまう気にはなれなかったのだった。
 「茉莉みたいに足掻いている子を、可愛いと思う男子はたくさんいると思うよ」
 ちらっと悩みを桔梗に言ったところ、そんなことを言って慰めてくれたけれど、そんなことで解決するようなものではない、もっと根深いのだと茉莉は分かっていた。
 「そう言ってくれるんなら、私のこと好きになってよ」
 思わず口を突いて出てしまった言葉に後悔しながらも、少しばかりの良い返事を期待してしまうのは、それによっていくらか気持ちが救われるかもしれないと思ったからなのかもしれない。少しの間を開けてから、
 「そうはいかないよ。茉莉だって嫌だろう。嘘でもいいから好きと言って欲しいわけならまた別だけど、そんな風には思ってないよな」
と、微笑みながら優しく言うので、茉莉は余計に辛くなってひくひくと体が痙攣を起こしてしまっている。涙が零れそうになるのだけはどうにか堪え、
 「当然だよね」
と、精一杯の笑顔を向けた。
 桔梗もまた、椿希に惹かれている男子の一人なのだということは分かっていたけれど、まだ出会って数ヶ月ほどしか経っていないが、桔梗となら話が通じ合えるような気がしていただけに、優しさを含みながらもきっぱりと断られてしまうと辛いものがある。
 ただ客観的に見ても、葵生と椿希と桔梗の三者はいがみ合うような関係ではなく、互いに学業面でも意識しながら高め合えるような関係を築けているので、それが羨ましく思えた。もしかしたら互いに牽制し合うようなものがあるのかもしれないけれど、その三者の中に入っていくことが出来るといのがどれほど茉莉にとって高い壁であるか、きっと桔梗には想像も出来ないだろうと思うと、同じ高校生でありながら雲の上の人たちを見ているようで、居た堪れない気持ちになってしまう。
 そんなことを考えているうちに、ぼんやりと潜んでいた不快感はいつの間にか消えかかっていて、ひとつの答えを茉莉は見出そうとしていた。本当にそれで解決するのか否かはまだ分からないけれど、一時的にでも心が安らかになるのであれば、そう思い込めばいいと思ったのだった。


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