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作品名:星屑の詩 作者:柳原奈生

第1回   1
星屑の詩(うた)

 それは、世紀末と呼ばれている頃のことだった。表向きは華やかで、何の不安もなく行き交う人々は毎日を過ごしているようだったけれど、胸のうちには淡々としてはいられないよいうな思いを抱えていた。いかに煌びやかで美しい服に身を包んでも心は晴れず、不安定な先行きを嘆いても叫ぶことは出来ない、狭く苦しい時代が訪れている頃のころだった。
 多くの人はさらさら信じていなかったけれど、世界が滅亡するという噂が流布し、滅亡まで行かなくとも何かしら嫌な予感をさせるような、何をするにつけてもあまり希望を見出せない時期が続いていた。長引く景気は泡のように弾け、夢か幻を見ていたかのような輝かしい栄光は、確固たる基盤がなかったために儚く消えていった。
 そのためなのだろうか、ある親はわが子にはそのような憂き目に遭わせたくないと思って、有名私立中学を受験させた。受験会場に集まるのは皆、一様に家と塾、家庭教師などによって徹底的に鍛え抜かれた優等生たちばかりで、親の期待をその小さな背に背負っていた。将来はこうなりたい、ああなりたい、などと言っているのは本当に本人が思って決めたことなのかは定かではないにせよ、その話す口振りは大人ですら思わずたじろいてしまうほど、しっかりとしていて理路整然しているのだった。
 一人の少年は、小学四年生の頃から塾に通い始め、五年生になると家庭教師がつき、そして六年生になったときにはその学力は、どの中学でも合格することが出来るだろうと言われるほどにまで達していた。母親は嬉しくて狂喜したけれど、本人の前では至って冷静で、
 「くれぐれも怠けちゃ駄目よ。こんな感じの成績を取ってくる子なんて、ごまんといるんだから」
と、厳しく言っていた。少年は、内心ではどう思っていたのかは定かではないけれど、こくん、と小さく頷いて、また当たり前のように勉強机へと戻っていった。
 あまりにも勉強に打ち込みすぎるあまりに、彼は風邪を引いていても構わず夜遅くまで問題集を解いていた。勉強は嫌いではなかったけれど、好きでもなかったし、ただ問題を解いて正答を出したときの喜びが堪らなくて続けている、というような感覚だった。ゲームや漫画を買えない代わり、と思っていたのかもしれない。そんな無理が祟って、彼は風邪をこじらせて肺炎を起こし、直ちに入院することとなってしまった。受験前のこの事態に母親が焦らないわけがなく、大騒ぎして無理なことを担当医にも言っていたらしい。子供ながらにもそれが恥ずかしくてならず、言いたいことも、自然と口も噤んでしまう。
 個室を与えられていたので、もう体調も戻ってきて勉強出来る気力が湧いてきたときには、本を開いてこつこつと勉強をしていた。親しくなった若い医師は、それを見て感心していたが、その医師もかつて同じような経験があったのか、彼からの相談に乗ったり、少しだけ勉強を教えたりしていたようだった。もう退院出来るようになっても、母親の希望でまだ彼は病院に残っていた。
 退院したのは受験まであと数日となった頃だったと思われる。小学校は当然その間は休み、そして受験までの数日間も、風邪が伝染るといけないからといって通わなかった。結局、一月はほとんど学校に通わなかったということになるだろうか。
 彼の本命である学校、それと滑り止めとして受ける三校、そのうち本命の学校が一番初めに受験があるということで、母はそれまでの間やきもきしてしまっていて、とても落ち着いていられない。もうすっかり良くなったけれど、それでも心配が尽きない母は、もう夜遅くまでの勉強をさせることはなく、ただひたすら彼の健康管理に努めた。
 その甲斐があったのだろうか、彼は無事に本命の学校に合格し、そして滑り止めとして受けた三つの学校全てからも受験番号が掲示板に張り出されていた。そのときの母には、息子の明るく開けた将来が見えるような気がして、今が人生で一番嬉しいと言わんばかりにあちこちに息子の闘いぶりを話していた。それがなんと恥ずかしいことか。
 それに対して少年は、合格したということは努力が報われて良かったと思うけれど、母とは別のことを思っていた。これから、ますます母からの期待が膨らんで、今度は大学受験のときには今以上に張り切ってしゃしゃり出てくるのではないかと。年齢の割に大人びた考えの少年は、そんなことを考えていると、まだこれがほんの第一歩にすぎないということをよく理解していたのだった。


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