「・・・、この目狐め」
ルナの口元は膨れ上がり、その口元から鮮血が一筋の糸の様に流れ落ちた。
「なぜ情報を漏らした」
モンヘは肩で息をしながらルナの顔を殴った拳を労わるように撫でていた、いままで自分の手で人を殴ったことなどなかったのだろう、手加減と言うのが感じられなかった。
ルナは椅子に座らされ、両手は椅子の後ろでネクタイの様な紐で縛られていた。
総務局局長室には、モンヘと椅子に拘束されたルナ、そしてそれらを取り囲むように十数人の男達が立っていた。
ルナは無言でうつむいて身動き一つしない。
「弁解しないところを見ると、やはりお前か?」
モンヘのその言葉にルナの口元がニヤリとが微笑んだ。
「こ、こいつ・・・・、」
「おい、あれを貸せ」
モンヘは一人の黒服の男に向かって手を出した。
「し、しかし局長、これを女に使うんですか」
手を差し伸べられた男は、あまり乗り気ではなかった。
「もう一度言わせる気か?」
「い、いえ」
「ど、どうぞ」
モンヘは男から電気ショック銃を受け取ると、トリガーを2、3回引き、「バリバリ」「バリバリ」と動作確認のため放電させる。
「よくも私を利用したな」
「お前は誰の命令で動いている、モルタニアか?、それともアメリカか?」
ルナは口元から血を流しながら、か細く小さな声でつぶやいた。
「どうしようもないお人よしですね、自分の部下の行動も把握していなかったのですか?」
「な、なにぃー」
モンヘの顔が段々真っ赤に膨れ上がってきた、ルナは顔を上げモンヘを睨みつる。ルナの鋭い視線がモンヘを捉える。
「うっ」モンヘは一瞬だじろいた。
「あなたは今まで、とてもいい働きをしてくれました」
「しかし、もうあなたは必要ありません、明日中にはルジウェイの新しい王によって囚われの身となるでしょうから、今のうち逃げて方が良くってよ」
「但し、逃げるのは不可能でしょうけどね、・・・」
「ふっ」とルナは鼻で笑った。
「こ、こいつ!」
モンヘはルナの首に電気ショック銃を強く押し付けると引き金を引いた。
モンヘにその銃を渡した男はこの後起こる惨状をみるまいと、片手で目を押さえる。
「バリバリバリバリバリバリバリバリバリバリ」
「バリバリバリバリバリバリバリバリバリバリ」
「バリバリバリバリバリバリバリバリバリバリ」
辺りに髪の毛が焦げた様な、いやな匂いが漂い始める。
ルナの首はぐったりと下に垂れ下がった、完全に意識を失ったようだった。
一人の男がルナの首元に手を振れてルナの状態を確認する。
「死んではいません」
なんだこの女、笑みを浮かべながら気絶してやがる。
「どうした?」モンヘが尋ねた。
「い、いえ、何でもありません」
「それより局長、どうしますこの女、始末しますか?」
「いや、まだ生かしておく、こいつの命は明日の評議会の結果次第だな、・・・」
まったく、いずれ自分の女にするつもりだった女が、まさか二重スパイだったなんて、これが本社に知られたら自分の評価が地に落ちてしまうどこれではない、将来保障されている莫大な報奨金すら貰えなくなってしまう。
くっそ、とんでもない女に引っ掛かったもんだ、・・・・。
「女はお前らの所に連れて行け、この部屋を汚すわけにはいかないからな」
「いいかどんな手を使ってもいい、こいつが誰の指示で動いていたのか口を割らせろ、絶対にだぞ!」
「わかりました、局長」
「どんな手を使ってもいいんですね、・・・」
長身の男がうれしそうに尋ねてくる、それに対してモンヘは背筋がぞっとするのを感じたが、いまさら自分の言葉を訂正する気は無かった。
「ま、まかせる」
ルナは毛布にくるめられると、長身の男がひょいと担ぎ、局長室から運び出されて行った。
局長室から、くるまれた毛布を担いだ男が急に出てきたため、机の上のパソコンで局長あての問い合わせ事項の整理をしていた女性秘書官は驚いて立ち上がった。
「どうしたんですか?」
男は秘書官を睨みつけると
「何でもない」
「えっ?」
「もう一度言う、何でもない」
「は、はい、・・・」
女性秘書官は男に凄まれ従わざる得なかった。
男は黙って秘書官の横を通り過ぎて行くが、秘書官は毛布の端からハイヒールが少し見え隠れしているのを見逃さなかった。
ま、まさか、ルナさん?
女性秘書官は背筋がぞっとするのを押さえ切れなかった。
何時の間にこのルジウェイが無法地帯になってしまったの?
午前中に来たマーメイプロジェクトのランロッドと名乗る男からの電話の内容が脳裏に蘇ってきた。
ルジウェイの上層部の殆どが犯罪に加担している、彼ら全員を告発することになっているが、混乱を最小限に抑えるために協力してほしいと。
それに関連する重大発表を今夜行うと、確かに言っていた、いたずら電話と思ってそれとなく話を合わせてやり過ごしたつもりだったが、・・・・・。
時計を確認すると、もうその時間になっていた。
私って、とんでもない勘違いをしていたのかしら、あれはいたずら電話じゃない、本当のこと!?。
一斉に構内放送を知らせる電子音楽が鳴り始めた、いや、構内だけではなかった外にある防災用のスピーカからも聞こえてくる。
テレビやビデオを楽しんでいる人もビックリした、急に画面が緊急放送を知らせる表示に切り替わった。
ラジオもしかり、インターネットもしかり、ルジウェイの全ての情報を発信する媒体で緊急放送を知らせるメッセージ鳴り響いた。
『全ルジウェイ市民のみなさま、マーメイプロジェクト広報より重大発表があります、テレビ、ラジオ、インターネット、全ての報道媒体で発表されますので、必ず確認するようにしてください、尚この発表は世界へ向けて同時に発信されます』
『繰り返します、これより、・・・・・・・・』
秘書官の机の上にある数本の電話のベルも鳴り響く、なにごとかと局長あての問い合わせだろう、秘書官はそれを無視して机の上のパソコンでルジウェイ広報のストリーミングチャンネルを開いた。
局長室ではモンヘが天井を見上げうろたえていた。
「誰の許可でやっている!!、私は許可していないぞ」
「局長、テレビを付けますか?」
「ああ」
男が部屋にあるテレビのスイッチを入れた。64インチの壁掛けの大画面には、ブルーの背景にルジウェイのロゴが映し出され一番手前の縦長の机の上には数十本のマイクが所狭しと置かれていた。
生放送らしく、記者の咳き込む声やら、こそこそ打合せをしているような声がテレビのスピーカから漏れてくる、まだスクリーンには誰も映し出されていなかった。
モンヘと黒服の男達は固唾を呑んで、これから行われる生中継を待った。
「何を始めるつもりだ、・・・・」
モンヘは独り言の様につぶやく。
ルジウェイ中央病院のバーン博士の病室には、ベットに座っているバーンとその横でフレアが椅子に腰掛テレビの方へ視線を向けていた。バーンはテレビに興味を見せるわけでもなく、うつろな目で外の景色を眺めている。
コクト、いよいよ発表ね、・・・・、フレアもテレビから発せられる重大発表を待っていた。
視線をルジウェイ南西の位置にある汎用ロボット組立て工場に移すと、10体ずつ隊列を組んだ歩兵ロボットが隣のダンプトラックの倉庫に向かって行進していた。
星明りと薄暗い街灯の中を歩く姿はまるで蟻の行進である、歩兵ロボットはダンプトラックの倉庫に吸い込まれるように次々と入って行く。
歩兵ロボットの左アームには自動小銃と弾倉が一体となった小火器、右アームは人の手と同じ役割をする標準のアームが取り付けられていた。そして背中には対戦車用と思われるロケット砲が1個背負わされていた。
発射時には背中から水平に筒が移動しターゲットに照準を合わせる仕組みになっている様だ。
ただこのロケット砲では、複合装甲版で覆われた戦車に対して致命傷を与えのには無理がありそうである、歩兵用のRPG(対戦車ロケットランチャー)を小型化して装着した様な代物だった。
工場の制御室ではツカヤマ・シンを含む20人の作業員が、テレビを囲むように座っていた。
一人の男が後ろを指差し「噂では、うちのボスがこいつらを使ってクーデターを興すらしいぜ」男の後ろには生産ラインを一望できる窓があり、その窓の下では今でも歩兵ロボットがラインで組み立てられ続けている。
シンはその男を睨みつけると「しッ、黙って、今何が起こっていて、自分達が何をすべきかが、これから発表されるんだ」
「す、すみません」
シンは自分達が組み立てた歩兵ロボット、そして何時でも動かせるように調整したダンプトラック、それらがどう使われるのか、これらから報道される内容で全てが明らかにされると、コクトから聞かされていた。
同じ頃、議会棟のビル・アッカーマンの執務室ではビルを含む数人の委員がテレビを囲むように座っていた。
「しかし何故マーメイプロジェクトの暴走を誰も止められないのだ?」
この状況を委員の誰もが納得していなかった。
「ふっ、全てのシステムをマーメイに統合するなどと、よけいな事をしようとするからだ」
何人かの委員の視線がビル・アッカーマンに向けられた。
ビルは直には反応せず、ゆっくりとした動作で各委員の顔を確認するように見渡す。
「システムの統合は絶対に必要な条件ってことは、みなさんが認識されていると思っていましたが、認識不足の方もいたようですね?」
「な、なに!」
「まぁ、落ち着け、ここで我々が争っても何の意味も無い」
皮肉を言った委員が立ち上がろうと中腰になるが、周りの委員達に直に抑えられた。
「ところでビル」
「コクトとか言う若造はどうやって、マーメイの全権を手に入れたのだ、わしはそれが不思議でならん」
「バーンが現れたことと関係があるのか?」
委員の中で一番年輩の委員が尋ねてきた、それにビルは大きく肩を落として答える。
「残念ながら私どもにも、・・・・」
「そうか、わからんか、・・・」
重たい空気が部屋中に漂う、しばらくは誰も声を出さなかった。
「何の前振りもなくバーンが戻ってきたことや、モルタニア軍の突然の進行やら、告発リストやら、と、タイミングが良すぎる、誰かがそう仕向けているとしか思えない、わからんことだらけだ、・・・」
「とりあえず、マーメイプロジェクトの発表を待とうではないか」
ご老体の委員がそう言うと、全ての委員が深くうなずいた。
テレビの画面にベトラの姿が映し出されると、一人の委員が驚きの声を上げた。
「な、なんでベトラが!?」
「この子を知っているのか?」ご老体が声を出した委員に尋ねる。
「ええ」と声を上げた委員が答えた。
「ウクライナの女性大統領の娘、ベトラ・ティモシェンコです、少なからず彼女がここで働けるように力添えをしたのが私です」
「ま、まさかウクライナも絡んでいるのか?」
「ありえません、おそらくコクトに良いように利用されているのでしょう」とビルが代わりにご老体に向かって答える。
まったく大した奴だ、知っていて彼女を起用したのか、コクト、これではいやでも世界中のメディアが大騒ぎするではないか。
モンヘもこの放送を止められないところを見ると、ルジウェイ警察もコクトに同調したと考えていいのか?
テレビに映し出されているベトラの口が開いた。
『ルジウェイ、マーメイプロジェクト広報のベトラ・ティモシェンコです』
場所はマーメイプロジェクトビル2号棟の3階に用意された記者会見場、ベトラが大勢の記者団に向かって話し始めていた。
『今夜皆様に集まってもらった理由についてご説明します』
「その前にベトラさん、どうして総務局広報ではなく、一プロジェクトの広報から発表されるのですか、総務局と何かあったのですか?」
めったに陽の目をみることが無かった記者の一人がチャンスとばかりにベトラに質問を投げかけてきた。
「そうだ、総務局の人間を玄関で追い払ってましたけど、彼らと問題でも!」
各報道機関も質の良い特派員は送り込んではいなかったようで、どうにか目立とうと必死になった連中が騒ぎ始めた。
しかしベトラは動揺せず、落ち着いた様子で騒ぎが収まるのを待っていた。
自分達だけが騒いでいるのに気づいた何人かの記者が自重し始めると、騒いでいる連中も自分らが周りから浮き始めていることにやっと気づき、少しずつ声を静めて行く。
ベトラそのタイミングを逃さなかった、記者一人一人に確認を求めるように前に座っている報道陣を睨みつける。
『では、よろしいですか?』
声を出す人はいなかった。そして何人かの記者がうなずく。
「総務局の報道官よりこの子の方が記者連中の扱い方がうまいではないか」
議会棟でテレビの画面でみていた委員の一人が小声でささやいた。
「まったくです」
数人の委員がそれにうなずく。
マーメイプロジェクトビル2号棟3階の会見場でベトラは声明文を目の前に広げ、高らかに読み上げ始めた。
『マーメイプロジェクトより、ルジウェイで不正行為を働いた1,510人の各部局の人員と各研究機関でそれに協力した人員311人の計1,821人をルジウェイ警察に告発しました』
『主な不正行為の内容は、偽装された電子認証を使い公金を不正に個人または、架空の団体に送金したことのよる公金流用です』
『その不正行為は、現在ルジウェイで進められている、全てのシステムをマーメイを中心としたシステムに統合するプロジェクト、マーメイプロジェクトの進行過程で明らかにされたものであります』
『今回の発表は、各機関からの隠蔽圧力を防ぐために、直接我々マーメイプロジェクト広報が担当しております』
『なぜ隠蔽圧力を防ぐためかと申し上げますと、ルジウェイ最高評議委員会の数人の委員及び各部局の局長クラス、部長クラスと、このルジウェイの上層部に私腹を肥やしている連中が多数いるためです』
『残念ながら、ルジウェイ警察も例外ではありませんでした、・・・・・』
「ほ、ほんとかよ、・・・」何人かの記者が唖然としてつぶやく。
一人の記者が手を上げて質問しようとすると、ベトラが掌を広げて、待て、無言で質問を押さえつける。そのタイミングの良さに記者もしぶしぶ席に腰を降ろした。
ベトラは声明文を机の上に置くと、演説さながらに記者団に向かって語り始めた。
『これから話すことは警告です』
『このルジウェイの混乱を収めると称して、軍事力でルジウェイを占領しようと考えている国家が、もしあるなら、我々はそれを排除する権利と力があることを宣言します』
『現在、マーメイプロジェクトでは、不正に関わっていない警察関係者及び各機関の担当者と協力し、この大規模な不正行為の摘発と事態の収拾に取り掛かっています』
『外部からのいかなる国家及び組織の現時点での介入を拒否します、今回の問題はルジウェイ市民自らの手で解決して見せるつもりです』
『・・・・・』
ベトラの言葉を頭の中で猛スピードで消化している何人かの記者が、周りのを確認しはじめた、質問するタイミングを伺っている様子だ。
『マーメイプロジェクトからの発表は以上です』
『これより質問を受け付けたいと思いますが、・・・』
「・・・・」
「は、はい!、はい!、はい!」
「ベトラさん、1,821人も逮捕したら、ここは大混乱ですよ!どうするんですか!?」
「具体的に誰々を告発するんですか?、それと圧力はありましたか?」
「ちょっと、俺の質問から先だ!」
「こらっ、どけよ!」
記者会見場は騒然となった、ベトラの後ろで待機していたフジエダとアッシュはベトラの前に出て記者連中がベトラに近付くの阻止するのがやっとである。その間も記者会見場の様子は衛星通信を利用しあらゆるメディアを通して世界中に発信されていた。
『たしかに、彼ら全員を逮捕するとなると、混乱は避けられません』
『私達マーメイプロジェクトでは、混乱を避けるため、ルジウェイのライフラインを管理するシステムを含め全てのシステムを一時的にマーメイプロジェクトの管理下に置きます、と、同時にまだマーメイに統合されていないシステムも随時マーメイに統合していきます、これにより通常生活における混乱は最低限に押さえられる予定です』
「はい!、はい!」
「軍事力でルジウェイを占領とか言ってましたけど、そんな動きがあるのですか?」
『ええ、残念ながら、・・・』
『今現在ルジウェイ近郊で、隣国モルタニア軍による大規模な軍事演習が行われています、私達はそれを注意深く見守っています』
「モルタニア軍の介入があるかも、と!?」
『その可能性は不定しません』
『万が一その様な場合の対策は既に整えてあります』
質問した記者は思わずつぶやいてしまった、戦争もありかよ?
会見場は一段と混乱してくる、次から次からと新しい事実がベトラの口を通して明らかにされると、会見場にいる全ての記者が色めきたった、彼等にとってここはまるで特種の宝庫だった。
ベトラと記者との質疑応答も数時間に及んだ、興奮した記者がベトラに詰め寄ると、フジエダとアッシュにがそれを阻止すと言う場面も何回かあった。
『そろそろ、記者会見を終わりにしたいのですが、よろしいですか』
一人の記者が手を上げてきた。
『どうぞ、・・・・』
さすがにベトラも記者連中も疲労が見え隠れしていた。
「私達は恥ずかしながら肝心のことを聞くのを逃すところでした」
「あなたがたマーメイプロジェクトが行おうとしていることは、はっきり言って、クーデターに近い行為だと思います、・・・」
ベトラがその記者を睨みつける。
「い、いえ、非難しているわけではありません」
「つまり、その、首謀者と言いますか、責任者と言いますか、この様な勇気ある告発を決定した、人物は誰ですか?、ベトラさん自身ですか?」
ベトラの堂々とした対応に会見場に集まっている記者連中は、このうら若き少女ベトラをフランスとイギリスの100年戦争で、フランスの勝利に寄与したとされるジャンヌダルクと重ね合わせていた。
ベトラは少しキョトンとする。常に記者団の誘導じみた質問に的確なアドバイスをしてくれたマーメイだが、この質問に対するマーメイのサポートはなかった。
ベトラは笑いそうになったが、直に悟られないように口を押さえた。そしてゆっくりした口調で話した。
『私達のリーダは、ジャン・フィデル・コクトです』
ベトラはそう言うと、壇上から降りそくさと出口に向かって歩き出した。
「えっ?」
「あっ、ちょっと、待ってください!」
「コクトって誰ですか!?」
記者団が慌ててベトラの後を追うように出口に殺到したが、フジエダとアッシュに止められた、そして記者会見を影で支えいたアーリが大声で記者団に向かって叫ぶ。
「今日の記者会見は以上で終了です!」
「必要に応じて随時状況は公表する予定ですので、みなさまはプレスセンターで待機するようにしてくださーーーい!」
何人かの記者がアーリに質問を浴びせてきたが、アーリはそれを無視するかのように記者団に解散するように促した。
各局のテレビカメラは逐一その状況を世界へ向け配信していた。
場面は再び議会棟のビル・アッカーマンの執務室、記者会見を見ていた委員達は皆黙り込んでしまった。しばらくしてご老体の委員が重い口を開いた。
「ビル委員、明日の評議委員会にはコクトもくるんだろうな」
「はい、その様に手配しております」
「ならいい」と老体の委員が椅子から立ち上がった。
「諸君、事態は必ずしも我々のコントロール下にあるわけでは無いが、ルジウェイの目指す方向には確実に向かっている」
「明日の評議委員会である程度の決着は付くだろう、それまで自分の身の安全は自分で守る様にしてくれたまえ」
委員全員が椅子から立ち上がリ、ご老体に敬意を示した。
ベトラの母国ウクライナでは大騒ぎになった、女性大統領の一人娘が全世界に向かってルジウェイの独立宣言とも取れる声明を発表したからだ。ルジウェイとウクライナは時差も1〜2時間程しかないため、多くの国民がその放送を生で見ていた。
「ベトラ、なんであなたが?」
ウクライナ初の女性大統領コーリ・ティモシェンコは数人の側近とテレビを囲んで見ていた、コーヒーカップが口元数センチの位置で振るえながら止まっていた。
「しかし見事なやり取りでした、・・・、さすがコーリの娘です」
側近の一人が感服したようにささやく。
「そんなことより、直に首相と外務大臣を呼びなさい、これは他人事ではありません、私達がどう否定しても、ウクライナはこの問題に巻き込まれてしまいます、早めに対策をとらないと、・・・・・」
コーリは成長した娘の姿に埃を感じつつも、これからの予断できない状況になんとも言えない複雑な心境だった。
「かしこまりました」
マーメイプロジェクトビルの玄関前に数10台のパトカーとルジウェイ警察のロゴマークの付いた軽武装のバス3台が次々と停車すると、各車両から降りた武装警察官が玄関前に整列した。武装警察官の手には透明な防弾の盾が握られていた。
それを迎え撃つ様にマーメイプロジェクトビルを警備していた8人の警官は緊張した様子で、玄関前に一列に立っていた、彼らも武装し手には自動小銃が握られている。
圧倒的に攻撃側が有利だと思われていたが、ビルの屋上にも何人かの武装した警察が自動小銃を構えて待機していた。
丁度その頃記者会見を終え、まだ興奮が収まっていない記者達がエレベータから降りてきた、そして直に目の前の状況に気が付く。
「さっそく鎮圧部隊が繰り出してきたようだぜ」
「カメラを回せ!」
初老の少しやせたルジウェイ警察のソロス長官が2人の取り巻きと伴に玄関先を守っている警察官に近付いてきた。
「君たちのマーメイプロジェクトビルの警備の任務を解く、そして直にルジウェイを混乱に陥れたジャン・フィデル・コクトを拘束しなさい」
玄関を守っている8人の警察官は無言で微動だにしなかった。
「き、さまら長官直々の命令だぞ!」
取り巻きの一人が脅すように叫ぶ。
玄関を守る8人の警官の間を割って、オニールが一歩前に歩み出てきた。
オニールは長官に向かって敬礼をする。
「お待ちしておりました、ソロス長官」
大人しく自分に服従すると思ったソロスはほっと胸を撫で下ろした。
「おお、オニール警部補か」
「しかし、自分の方からお伺いするつもりでしたのに、わざわざ来てもらえるとは、なんとも手間の省けることです」
「どう言う意味だ?」ソロスは低い声で尋ねてきた。
オニールはソロスの言葉を無視して後ろで整列している武装警官に向かって叫んだ。
「ソロス長官を公金横領の罪で拘束しろ!、ついでにこのうっとおしい二人の取り巻きもだ」
「はっ!」
最前列で並んでいた数人がソロスと二人の取り巻きを取り囲むと、彼らの腕を後に回し手錠を掛けた。
「何をする!?」
「自分達が何をしているのか分かっているのか?」
オニールは軽くソロスに敬礼を返す。
「長官、いえ元長官、自分らが何をしているか十分理解しているつもりです、ご心配なく」
「な、何だと、・・・」ソロスはこれ以上言葉が出なかった。
オニールは内心ほっとした、ジュブズ警部がちゃんと根回しをしてくれていて良かったと、まったくちびりそうだぜ。
武装して整列している警察官の中でも半数以上はまさかこうも簡単に長官が拘束されるとは思っていなかったようだった、かなり動揺している警察官も何人かいた。
「今日中に拘束する必要のある連中のリストだ!」オニールが大声で叫んだ。
「もたもたしてると、モルタニア軍に占領の口実を与えてしまうぞ!」
オニールの手には数十枚のリストが握られている。
ジュブズに予め指示を受けていたと思われる数人の警察官がオニールの周りに集まるとリストを受取った。
「連中の居場所についてだが、既にマーメイが監視システムを使って殆どの被疑者の所在地を把握している」
「中にはルジウェイ空港で飛行機を出せって、わめいている奴もいるらしい」
「では警部補、そいつらは私が」
「おう、たのむ急いでくれ、空港は一番にモルタニア軍の攻撃を受けるところだ」
「はっ!」
オニールからリストを受け取った警察官らは自分の部下を引き連れパトカーに乗り込むと、次々にマーメイプロジェクトビルを後にした。
「残りの連中は、このビルの周りを固めろ、いつ何時モルタニア軍の空挺部隊が奇襲を掛けてくるかわからんぞ!気を引き締めろ」
「はっ!」
10台のパトカーで来た連中は、被疑者の逮捕に向かって散って行ったが、3台のバスに乗ってきた殆どの警察官はマーメイプロジェクトビルの警備に回すようだった。
「さてと、コクト、これからが正念場だぞ、・・・・」
一通り指示を出し終え、玄関先に立っていたオニールは後ろを振り返り、自分が守るべきマーメイプロジェクトビルを見上げた。
ベトラがフジエダとアッシュに支えられスケジュール管理室に入ると、中で待っていたランロッドらに大きな拍手で迎えれた。
「お疲れさん、ベトラ」と最初にアミアンが労いの言葉を掛けた。
「あんな大勢の報道陣を手玉に取るなんて、どこの国の報道官と比較しても引けはとらなかったぞ」
ランロッドがそう伝え、ベトラの肩を叩くと。
「何言っているの」
「もう、限界・・・・」
ベトラの足元が崩れ床に倒れ込もうとしたが、間一髪でランロッドがベトラを支えた。 「お、おい」
記者会見の段取りを行っていたアーリが最後に部屋に入りドアを閉めた。
「ソファーに横にしてあげて、相当疲れているはずよ、私もあんなに緊張したのは人生で初めて」
「ああ」
ランロッドは近くのソファーにベトラを連れて行くと、横に寝かしつけた。
ベトラはコクトが付けてくれたマーメイの通信端末を取り外すと、マイク部分だけを口元に近付け「ありがとう、マーメイ、私達いいコンビかも」と小さな声でささやく、するとマーメイが『そうですね、かなり質の高いディベート(討論)でした』と、ベトラにしか聞こえない様な音量で答えてくれた。
「おっちゃん」
「なんだベトラ」
「コクトさんは?」
「今は、シュミレーションルームでモルタニア軍に睨みを効かせているよ」
「そ、そう」
「おっちゃん、これをコクトさんに渡してくれる?」
ベトラはふるえながら腕を上げマーメイの通信端末をランロッドに渡そうとしたが、ランロッドはそのままベトラの胸元に押し返すように持って行く。
「たぶんうちのボスだったら、お前が持ってろと言うはずだ」
「後で自分で返すといい」
「ふぅー」
「そうね、そうする」
そう言うとベトラは目を閉じた、極度の緊張から解放されて全身の力がどっと抜けたようだ。
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