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作品名:自分が男でなくなる瞬間 作者:藤田

第5回   経尿道内視鏡オペ[TUR-P]の準備
        第5回 経尿道内視鏡オペ[TUR-P]の準備

○ 羽村堰
  玉川上水の水源地で桜の名所として識られる[羽村堰]の土手では桜が満開になってい る。
  老若男女の多くの花見客が桜並木の下を行き交(か)う。
○ 林の中
  羽村堰(はむらせき)の一角のブナの林のなかに二階建て瓦葺のモダンな洋風住宅が浮 かびあがる。
  白い生地に黒砂を散りばめた大理石の門柱に[弁護士 花園咲一郎]と金文字で刻み込 まれた表札がクローズアップされる。
○ 花園家の応接室
  20畳ほどの室には花牡丹模様を織り込んだ薄紫色の絨毯(じゅうたん)が敷き詰め られている。
  壁側には黒いスタンドピアノが配置され、その譜面台にはソナチネの楽譜が開かれた ままになっている。
  書棚には判例集や法律関係の専門書がぎっしり収納されている。
  応接室の中央に配置されているソファーにはテーブルを囲んで花園弁護士と藤原教授 が対座している。
  奥のドアが開いて和服姿の佐保子がお盆を支えてはいってくる。
  「藤原先生、ようこそお越しくださいました」
  佐保子はビールとジヨッキーを載せた洋風のお盆を花園の前にさしだす。
  「しばらくでした。奥様もお元気でなによりです」
   藤原は腰を浮かせて佐保子と視線をあわせた。
  「どうぞ、ごゆっくりなさいませ」
  佐保子は軽く会釈して奥のドアから消えていった。 
  花園はドイツ語で書かれたレッテルが貼られたビール瓶に手をかけキリンビール専用 のおおきな栓抜きで栓を撥(は)ね、中型のジョッキーに七分三分の泡だちでビールを注 いで藤原の前にさしだした。
  「どうぞ」 
  花園は自分のジョッキーにもビールをそそいだ。
  「ほう。これあドイツ産のしろものなんだ。珍(めずら)しい」
  藤原は泡立つジョッキーに手をかける。
  「まあね。それでは乾杯」
  花園はジョッキーをささげる。
  「はい、乾杯」
  藤原教授もジョッキーを掲(かか)げる。
  「これはねえ。司法研修所の同期だった友人の検事の息子が大学からの派遣でドイツ に留学してるんで彼の父親に贈り届けたもんのお裾分けなんだ」
  花園はジョッキーの淵から泡立つビールを啜(すす)りあげる。
  「なるほど。そうなんだ」
  藤原はしみじみと味わう。
  「このしろものは[ブラウマイスター]というブランドでドイツではハイクラスのビー ルらしい」
  「さすがビール本場の銘柄だけに素晴らしい味わいだ」
  藤原はあらためてビールを味わう。
  「そのうち佐保子が調理したもんをはこんでくるから、とりあえずピーナツでも摘  (つま)んでくれないか」
  花園はピーナツの小皿を藤原の前に寄せる。
  「ええと、それでは」
  花園は起ちあがり窓側のおおきなデスクに向かう。
  藤原はピーナツを摘まむ。
  花園弁護士は分厚い大学ノートを手にソファーに戻ってくる。
  「ええと、この前、秘境の温泉で話した[前立腺]のはなしなんだが。その当時の[経 尿道内視鏡オペ]の状況を書いたわしの日記帳なんだが」
  花園はいくらかはにかみながら茶色い表紙の大学ノートを藤原のまえにひろげた。
  「ほうお。それではちょっと読ませてもらうとするか」
  「わしあ、その間、デスクに向かうから」
  花園は窓際のデスクに向かう。
  藤原はビールをひとくち啜り花園の日記帳をひろげた。


                 # 花園の日記 #

 2008年8月19日

  昨日は尿閉のため桜門大学多摩病院で緊急措置を受け、ペニスの尖端にゴムホースの 尿道カテーテルを嵌(は)め込まれてしまった。
  そのあと帰宅してからペニスに痛みがはしるとカテーテルと尿道の隙間からかなりの 尿が漏れることが判明した。
  とりあえず痛み止めのロキソニンとダーゼンを服用した。
  夕食後、書斎に籠(こ)もりデスクに向かった。インターネットで[前立腺]を検索して みた。[肥大症]のほかに[前立腺癌]もチエックしてみた。
  ベッドにはいってから閃(ひらめ)いた。カテーテルの装着に工夫を凝(こ)らし[腰紐 方式]を採れば入浴時でも汗をかいてもずりさがることはないはずだ。明日の朝から実 行してみよう。

 2008年9月11日

  桜門大学多摩病院で検査を受ける。
 検査室の前でベンチにかけていると検査技師に呼び出された。
 検査室にはいりエコーのあと排尿検査を済ませた。そのベッドで[膀胱圧力テスト]を受 ける。
  検査がおわってから診察室に戻り、主治医の教授の診察を受ける。
 「おねがいします」
 診察室のデスク脇の硬い椅子にかける。
 「キャンサーのマーカーは標準値が4なんだが、花園先生の場合はマーカー22とばか に高いね」
  エネルギッシュの教授はパソコンの画面を覗いたまま呟(つぶや)いた。
 「そうですか。赤マークですね」
  わたしは教授の横顔を見つめる。
 「念のため病理検査をしてみましょう」
  教授がパソコンのボタンを押すとその左側のプリンターから検査の予約表がでてく  る。
 「それでは」
 「どうもありがとうございました」
 わたしは教授のさしだした予約表をうやうやしくうけとり診察室のドアを押した。
 廊下でナースからコメントを受け、処置室でカテーテルを交換してもらった。
 尿臭いカテーテルから新しいものに取り換えたせいか下半身が爽(さわ)やかになった。

 2008年10月3日

  予約していた病理検査を受けることになった。
  検査入院のためその朝、桜門大学多摩病院に出頭した。
  外来とは反対側の入り口で入院受付を済ませてから6F東病棟の610号室に入室し た。
  ナースの案内で4人部屋の入り口左側のベッドにきまった。
  はじめての入院食チャーシュー麺がでた。
  ここでひとまず佐保子を帰宅させた。
  ナースが現われて点滴することになった。
  ベッドに横たわり点滴がはじまった。右手の手首の静脈に針を差し込み、点滴スタン ドに吊るされた点滴ボトルから細いホースを伝わってぽとりぽとりと垂れ落ちる薬液は [ブイーンF]だった。
 「花園さん。処置室にまいりますから」
  瓜実顔(うりざねがお)のナースがあらわれた。
  わたしは外来の泌尿器科で処置室に案内された。
 「その台におあがりください」
 「はい」
  ナースにいわれてわたしは処置台にあがった。
  お産のときのようにわたしの両脚は台に載せられ、おしげもなく両足を開脚して肛門 を露出した。
 「失礼します」
  教授はおれの肛門から超音波探知機を挿入した。こうして前立腺の状況を探知してか ら下腹部に局所麻酔をうちこんだ。
  麻酔が効いてから前立腺の18箇所からの細胞の採取がはじまった。針を差し込み、 がちゃりと細胞組織を掬(すく)いあげる。 
  鈍痛と不快感に堪えながらがちゃりがちゃりを18回も数える。
  40分で細胞の採取は完了した。
  わたしは処置台から降りて肛門にガーゼを宛がい、車椅子に座り点滴スタンドを右手 で支えながらナースに押してもらい病室に戻る。カテーテルのパイプを交換したせいか ペニスの亀頭部に痛みがはしる。
  610号室のベッドにあがり、点滴ボトルを見つめる。点滴液はぽとりぽとりと垂れ おちる。
  8時夕食。
  9時消灯。
  病室は仄暗(ほのぐら)さにつつまれた。
  9時過ぎから抗生物質の点滴に変わった。
  尿意をもよおしトイレに立つと2回も血尿が排出された。しかもカテーテルのパイプ 脇からの血液の噴出がつづきパンツが赤く汚れた。
  夜が更けて担当は男のナースになった。
  寝苦しい一夜になった。
  一定の時間をおいて検温と血圧測定がなされた。
  最初、200を超えていた血圧も180−160−140とダウンしてゆき、やがて 平常血圧におちついた。


 2008年10月20日

 診察予約日になった。
 11時45分、桜門大学多摩病院の泌尿器科外来に出頭した。
 診察室脇のトイレで尿検査のため紙コップに尿を採取した。尿はきれいに澄んでいた。
 待合室に戻りベンチに腰をおろし目を瞑(つぶ)った。
 「花園さん。1番にお入りください」
 聞き慣れた教授の太い声が鼓膜(こまく)を揺さぶった。
 わたしは1番の診察室のドアをおした。
 「お待ちどうさま」
 エネルギッシュな教授の脇の硬い椅子に掛けた。
 「病理検査の結果ですが。癌細胞は発見されませんでした」
  教授はわたしと視線をあわせた。
 「そうですか」
 「そこでいよいよオペですが。輸血用の血液は自己輸血にしましょう」
 「はい。わかりました」
 「22日に自己輸血用の血液として500CC採取します。31日に入院。11月4日に オペとなります」
 「はい。よくわかりました。ありがとうございました」
 深く頭をさげ診察室をあとにした。
  廊下の奥のトイレに向かった。
  白い便器の前に起った。ズボンのチャックを開き、尿道カテーテルを摘まんだ。
  その瞬間、おれには尿道が二本あるのだと気づいた。その一本は筋肉のホース。もう 一本はゴムホースのカテーテル。
  おれは尿道カテーテルのキャップをはずし、二本の尿道から勢いよく便器に向かって 放水した。
  よく澄んだ尿が排出された。
  爽快感が全身をはしりぬけた。 

○ 花園家の応接室
  ソファーに凭(もた)れて藤原教授が花園の日記に読みふけっている。
  花園はデスクに向かいワープロのキーをたたいている。
○ 羽村堰
  多数の花見客が桜並木の下を散策している。


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