第19回 性愛の坩堝
〇 清津峡谷 そそりたつ絶壁に囲まれた峡谷にごうごうと清流が流れくだる。 〇 緑風館・桔梗の間 花園弁護士と藤原教授が紫檀のテーブルに載せられた朝食の料理に箸を つけている。 「ええと、昨夜のはなしのつづきなんだが、そもそもフェラチオとはなんですか。 耳新しいその概念の意味は」 花園は箸置きに箸を載せる。 「ええ。そのフェラチオ(fellatio)とは、オーラルセックスの一種で、性的関係に おいてパートナーが相手の男性器を口に含んだり、舌を使ったりして刺激する行為 をいいます」 「ほう。聞きなれないことばだが。そういう意味なんですか」 「まあね。その語源はラテン語のfellare(吸う)からきてるんだ」 「なるほど。そうなんだ」 「これを略してフェラともいいいます。性俗語では尺八とか Fとかフェラーリ などともいわれてるんだ」 「このフェラというセックスアクションもいわゆる[前戯行為]なんですか」 「このフェラも通常はセックス前のアクションだが、このセックスアクションは [する側]も[される側]も性的快感がえられるし、口内に射精することもできます」 「そこまでくれば、もはやセックス本番になってしまう」 「まあね。この場合、ホモセクシャルの男性同士では挿入行為は要らないので、 アナルセックスよりも好まれる傾向があります」 「ほう。そうなんだ。なんだか生臭いはなしになってきましたな」 「もっといえばパートナーの喉(のど)の奥までペニスを挿入するアクションの ことを[ディープ・スロート]といい、男性がパートナーの口の奥までペニスを 強制的に入れることをイマラチオといいます」 「そういうアクションは、わしとしてはあまり好感はもてないね」 「まあね。このセックスアクションは乱用すると喉の奥はペニスで閉塞されてしま うおそれもあり、そうなれば窒息による呼吸困難となり、耐え難い苦痛をともなう から乱用は禁物です」 「そりゃ、そうでしょうな」 「そうはいっても、マゾヒズム的性癖のある人はこのような苦痛を好んで受け入れ ることもありえます」 「そりゃ、異常というしかないが。ところでフェラチオにも、正常なセックスアク ションのような[体位]というもんがあるんですか」 「ええ。あります。[正常位型]とか[立ち位型]とか[シックスナイン(69)型]などが あげられます」 「ほう。そのうち前の二者はわかるような気がしますが。[シックスナイン型]って どんな体位なんですか。初めて耳にする概念ですが」 「ああ、これはね。この体位の名称は数字の69からきてるんだ」 「数字の6と9は、象形的な形からみれば、9を逆さまにすれば6になるような気 がするんだが」 「いいところに気づきました。その体位を横から見れば行為者の二人の姿勢が69 のように見えるから性俗語としてはシックスナイン型と呼ぶんだ」 「ほう。69に見させるためにはどうするんですか」 花園弁護士は興味深そうにからだを乗りだした。 「まずこれを[される側]の男性は仰向けに寝て両足を開脚します。これに対しこれ を[する側]」のパートナーは頭と足の位置が逆さになるような姿勢をとります」 「なるほど。6と9は横から見れば逆だからな」 「このように双方の頭と足の位置が逆さになったときには、頭の位置が互い違いに なり69の数字のようになるはずです。この型は、正常のセックス本番のときにお ける体位にもなります」 「ほう。識らなかった」 「フェラチオにおけるこの体位では、いまのような型になってペニスを愛撫してゆ きます。本来、シックスナイン(69)は男性と女性または男性同士が相互の性器とか 肛門を唇や舌で愛撫してゆき性的興奮・快感を求めあうセックスアクションなんで すが、双方が横向きの姿勢でおこなう型と当事者の一方が仰向けに寝て他方がその 上に覆いかぶさる型があります。通常は女性がペニスを愛撫しやすい女性上位型が とられるのが多い。男性同士のときは相互のフェラチオということもあります」 「そうすると、そういう姿勢で刺激を与え愛撫するテクニックはどうですか」 「ええ。そのテクニックを探るためには、ペニスの構造を理解しなければなりませ ん。そもそも男性器としてのペニスは[陰茎根]・[陰茎体]・[亀頭部]によって構成 されています」 「ほう。わしはペニスの構造なんて考えたことはなかった。ペニスの構造も識らな いなんて、男性失格だな」 「そんなことあない。通常人はそれでよいのだ」 「そうかな。わしあ通常人のつもりだが」 「ともかく、個人差はありますが、ペニスもその部位によって性感度が異なるのが 通常です。ですからそれぞれの部位によてフェラチオのテクニックも異なることに なります」 「なんとなくわかります。その部位について具体的にコメントしてくれないかね」 「まず[亀頭部]ですが、この部位を丸ごと口に含み、段差があるその[カリ部]に唇 をあて軽くじくじくさせます。次に亀頭の[カリ部]を中心に滑らかな部位を隈(く ま)なく舌で舐めまわしてゆきます」 「かなりデリケートな手法ですな」 「まあね。さらに亀頭部の裏側の包皮が左右から結合された部位は性感度が鋭いか らその部位を舌で愛撫してゆきます」 「なるほど。今度、うちの佐保子にも実行させてみるか」 「そして亀頭部の[カリ部]の表側にあたる[陰茎体]との段差がおおきい部位は性感度 が鋭いからこの部位を局所的に唇や舌でかなり強く愛撫してゆきます」 「ほう。そういう手法もあるんだ」 「これによって[射精寸前の性感]を与えることができます。この手法はモニターによ る実験例で立証されています」 「なるほど。そんな実験もしているんかね」 「まあね。これも性行動の科学的研究の一場面だからね」 「単なるエッチなはなしではなく、学問研究なんだからな」 「さらに奥手の手法としては、ペニスの亀頭部全体を口に銜(くわ)えたままの姿勢で 自分の頭を前後にピストン運動させるテクニックがあります。この手法によればペニ スをバギナに挿入したときと同等かそれ以上の快感を亀頭部に与えることができます。 これも実験例によって実証されています。一定の時間、このアクションを継続すれば [射精しないオーガズム]に達することも実証されているんだ」 「ほう。まさに驚異の実験例だね」 「まあね。いまはなしたテクニックは[亀頭部の快感トレーニング]にも活用できるはず なんだがね」 「亀頭部の快感をトレーニングするとどんなメリットがあるんですか」 「本番で射精するのが遅すぎて、女性と快感が絶頂に達するクライマックスを一致させ にくい男が射精を速めることができます。亀頭部のトレーニング効果としてこの部位の 性感度が昂揚(こうよう)されるからです」 「どうやら、わしにはその必要はなさそうだ。おれの亀頭部はかなり鋭敏だからな」 「亀頭部についで[陰茎体部]ですが。これは膨張すると硬い棒状になる部位です。この 部位はピストン運動による摩擦の刺激を感じやすい。セックス本番のときもこの部位は ペニスの[包皮]とともに摩擦されて快感を感じる部位なんです」 「よくわかります」 「ですからフェラチオの手法としてもペニスを口に銜えてじくじくさせるか、口に銜えた まま自分の頭を前後にピストン運動させるのがコツです」 「なるほど。残りの[陰茎根]についてはどうですか」 花園弁護士は藤原教授と視線をあわせる。 「ええ。これは[陰茎体]の付け根にあたる部位です。この部位は指で圧迫するだけでペニ スの勃起を促進することがでます。これは男なら誰でも経験済みのはずです」 「まあ。そうでしょうな」 「そうだとすればフェラチオの手法としてもこの部位を指で圧迫したり、とんとん軽く叩 いたりするのがよい。ただ陰毛などに妨げられるので、この部位を舌や唇で愛撫すること は困難でしょう」 「そうでしょうな。するとペニスの下部にぶらさがる[陰嚢]とか[精巣]への刺激はどう?」 「この部位の刺激を嫌う人もおります。刺激が強すぎると、かえって不快感を覚えること もあるからです。けどソフトで適切な刺激であれば性的快感を与えることができます。 たとえばこの部位を手のひらに載せ、そのボリュームを試すようにソフトに持ち上げるの がよいでしょう」 「フェラチオのテクニックはよくわかりました。そのメリットも理解できました。けど この性的技術にもデメリットがありますか」 「ええ。それはフェラチオ行為の危険性の問題になります」 「やはり危険性もあるんだ」 「この危険性を識っておくことは大切です。そのひとつは病的危険性です」 「病的危険性ですか。なんだか、ぞくりとしたきたな」 「まず[HIV]です。これは[ヒト免疫不全ウイルス]のはなしですが。この[HIV]は、血液とか 精液に含まれています。ですから男性がこれに感染している場合、相手の口の中や目の周囲 に射精すると、その相手も[HIV]に感染してしまう危険性があります。ですからフェラチオ をする人が歯を磨いた直後とか、歯周病などにより出血しているときは、相手に感染させ たり、逆に感染させられる危険性があります」 「危ない、危ない」 「次に[口唇ヘルペス]ですが。これはヘルペスウイルスが感染して発症します。このウイル スに感染している人がフェラチオをすると、[される側]の男性に感染する危険性があります」 「おお怖い!」 「このほか淋病などの性行為感染症ですが。フェラチオによるこの種の感染例が増加傾向にあ ります。さらに強制的なイマラチオの場合には、男性器を銜える側のパートナーにその行為中 に呼吸困難など身体的苦痛を与えます。加えて[顎関節症]とか[口内炎]などを発症する危険も あります。いわゆる顔射の場合には誤って相手方の目に精液がはいると結膜炎を起こす危険性 もあります」 「その顔射ってなんですか」 「ああ。これはフェラチオにより射精する寸前に相手方の口からペニスを抜いてパートナーの 顔面に射精することです」 「本番のセックスでもその顔面に射精することもありますか」 「まあな。ちょっと異常だが膣内に射精しないで、射精寸前にペニスを抜いて女性の顔に射精 することを愉しむ人もおります」 「ほう。識らなかった」 「フェラチオをするときに性病を予防する手法はありますか」 「ええ。そのためにはコンドームを使用するのが望ましい。普通のコンドームでは感触が好まし くないので、オーラルセックス専用のコンドームを使用するのがよい。これは膜が薄いので感触 もよいし」 「へえ!。そんなもんまであるんですか。驚きだな」 「セックスエリアも奥が深いんだな。このコンドームには果実などの薫りや味もつられ、使用感 をアップさせる工夫もなされているんだ」 「性グッツにもいろいろあるんだ」 「いいわすれたが、さっきの口内射精のときフェラチオをされる男性がパートナーの口内に射精す る場合、突然射精すると精液がパートナーの気管に入る危険性があります。これを防ぐためにフェ ラチオをするときは鼻で呼吸をする習慣を身に着けておきたい。そして射精しそうになったらパー トナーの股を抓(つね)るなどの手法で相手方に知らせるとともにペニスの先端を喉(のど)の奥から 離すのがよい」 「なるほど。わしも佐保子とのときには射精寸前に佐保子の耳を抓ることにしてる」 「さらにイマラチオのときには、ペニスの先端が喉の奥に達すると、その反射で噎せ帰し苦痛を感 じたり呼吸困難となります。パートナーが呼吸困難により苦しくなると不随意に顎の筋肉が反射的 に反応して口を強く閉じることがあります。するとペニスを齧(かじ)り外傷を負わせる危険があり ます。ですからその危険を避けるため、長い時間にわたりペニスを喉の奥に差し込まないことが望 ましい」 「フェラチオは海外では昔からなされていたらしいが、わが国でもそうでしたか」 花園弁護士は冷め切ったお茶を啜(すす)る。 「ええ。日本においてフェラチオが注目されるようになったのは、1972年に公開されたアメリカ 映画[ディープ・スロート]がひとつの契機とされています」 「ほう。そうなんだ」 「それ以前の日活ポルノでも描かれていなかったフェラチオをアメリカポルノでは描いていたんだな。 その後におけるアダルトビデオの普及、風俗産業などの影響もあってフェラチオが抵抗感なく受け入 れられるようになったんだ」 「なるほど。それも時代の流れかな。風俗産業におけるフェラチオとはどんなものですか」 花園は藤原教授と視線をあわせる。 「これはソープランド、ピンクサロン、ファッションヘルス、ウリ専などにおけるサービスとしてなさ れる特殊なエリアなんです」 「ほう。特殊なエリアか」 「実はダブルフェラというもんもあるんだ」 「そのダブルとはどんなものですか」 「これは一人のパートナーが二人の男性のペニスを同時にフェラチオすることです」 「ほう。そうなんだ。それで」 「男性を起たせたり、寝かせたりして二人の男性に対し交互にフェラチオをするのが通例らしい。されて いない男性には手淫などによる刺激をするそうです」 「もうフェラチオはお終いですか」 「いや、まだあります。[疑似フェラ]とか[パンフェラ]とか[指フェラ]とか[セルフフェラ]のほか[お掃除 フェラ]や[相互フェラ]や[バキュームフェラ]など多彩です」 「いやあ。もうたくさんだ。この辺の説明も君の著書に書いてあったかな」 「ええ。それも人間の性行動のひとつですから性行動の科学的研究の対象ですからな」 「それはそのとおりだ」 「まあね。これも学問的な研究ですから」 「わしは佐保子にフェラチオをやらせるつもりはない。でも、なんだかむずむずしてきて、フェラチオの テクニックに興味が湧いてきた」 「ああ。フェラチオの具体例については、あとでコメントしよう。ちょっとトイレにいってくる」 藤原教授は起ちあがり桔梗の間から廊下に消えてゆく。 花園も起ちあがり窓際のソファーに身を鎮め目を瞑る。 花園は、いつの間にか蕩けてしまう。 〇 河川敷の花畑 花園が寝そべって天空を見上げている。群青の天からエンジェルが舞い降りてくる。 エンジェルは花園の真上に覆いかぶさる。 羽を窄(すぼ)めたエンジェルを抱擁した花園は巨大な白光がする白金製の坩堝の中に 溶融していった。
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